「寅年に初優勝」を導いた阪神タイガースジュニア・上本博紀監督 その苦悩と葛藤、そして喜びとは
■寅年に初優勝
阪神タイガースが読売ジャイアンツを下して優勝!
昨年末、タイガースファンに歓喜の涙を流させたのは、寅年生まれの阪神タイガースジュニアだった。
「NPB12球団ジュニアトーナメント」決勝戦は、大会史上初の延長戦に突入した。
1-1の同点で迎えた八回裏、2死満塁。カウント2-1から石田修選手が振り抜いた打球が右中間を深々と破った次の瞬間、三走・岩田瑠花選手の足はもうホームベースを踏みしめていた。
サヨナラ勝ちだ!
即座にちびっこ虎戦士たちの笑顔が弾けた。グラウンドで、ベンチで、それぞれが抱き合い、タッチを交わし、喜び合った。
「寅年に初優勝」を掲げて臨んだ大会で、みごと成し遂げた。
■“伝統の一戦”で昨年の悔しさを払拭
予選トーナメントの1試合目は福岡ソフトバンクホークスジュニア相手に4-2で勝ち、2試合目の千葉ロッテマリーンズジュニア戦では1-0で勝利。TQB方式によって2位で勝ち上がり、準決勝は東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアと戦って2-1で決勝に進んだ。
いずれも僅差で、3試合トータルの失点はわずか3点。投手の制球力と堅実な守備力が光った。
そして迎えた決勝は、いわゆる“伝統の一戦”。読売ジャイアンツジュニア戦となった。
決勝の相手が決まると、上本博紀監督の中で前年の記憶が鮮明に浮かび上がった。コーチとして参加した前年のジャイアンツ戦、前半に6点リードをしながら逆転負けを喫した。
「去年(2021年)と同じシチュエーションでジャイアンツが三塁側。負けてウチの子らが大泣きしていた、後ろで。もう死ぬんじゃないかっていうくらい大泣きしていた」。
その光景が今も脳裏に焼き付いて離れない。もうあんな思いはさせたくない。あんな姿は見たくない。
だから、負けるわけにはいかなかった。決勝戦の制限時間は1時間40分(注:決勝戦の大会規定は後述)。八回裏に石田選手が打席に入ったときは既にタイムオーバーで、アウトとなれば両チームともに優勝だった。
しかし前年のジュニアのことを思うと、「相手には申し訳ないけど、これは勝負や。去年やられてるんで、『2コ1』は絶対いらん」と、上本監督には単独優勝しか考えられなかった。それくらい熱くリベンジに燃えていた。
「修、絶対に決めてくれ…」。
祈る思いで見つめたその先に、光が射した。「自分の世界観を持っている。絶対に大事なところでやってくれると思っていた」と、大会を見越して練習試合からずっと4番に据えてきた石田選手が、しっかりと応えてくれた。
嬉しかった。勝ったこと以上に、ジュニアたちの喜んでいる姿を見られたことが、上本監督にはたまらなく嬉しかった。
優勝監督インタビューでは、最初はニコニコ笑顔だった。ジュニアたちと軽口を交わしたりしていたが、実はあれは“作戦”だった。目の前には前年と同じベンチがあり、それを見るとあの号泣している姿がフラッシュバックし、涙腺が決壊してしまうのだ。
だから、あえて見ないようにジュニアたちを目の前に立たせて、わざと変顔をしてみたり、ジュニアたちとふざけたりするようにしていたのだった。
しかし、やはり耐えきれなかった。話している途中でやはり前年のジュニアのことが頭をよぎり、涙をこらえることができなかった。
あとで明かした「優勝できたのは去年の悔しさのおかげ」というのは、まぎれもない本心だ。
■優勝するためのチームづくり
思えば前年の敗戦から、上本監督の優勝への戦いは始まっていたのだった。2022年の監督に決定し、もう二度と子どもたちにつらい涙は流させまいと己に誓った。そして優勝できるチームを目指して、セレクションでは“ある指標”を基にした。
「大舞台で力を発揮できるかどうか」だ。「力があるないより、やりそうだなっていう雰囲気の子を重点的に選んだ」と明かす。
最終セレクションに残る有望選手は、ほとんどが自チームでは投手や捕手、または遊撃手だ。その中から内野手や外野手の適性も見極めて選定しなければならない。藤川俊介野手コーチ、岩本輝投手コーチとも思いを共有し、それぞれがエキスパートとしての目を光らせた。
「ほかのチームはデカい怪物級がいっぱいいたけど、ウチはそんな特別な選手はおらんかった。でも、大舞台で力を発揮できたというのが大きい」。
たしかに他球団を見渡すと、170cm超えのゴツい選手や120キロ、130キロを投げる投手もいた。一方、タイガースジュニアはというと飛び抜けて大柄な選手もおらず、全員が170cmに満たない。投手陣も110キロ台がマックスだ。
しかし、それぞれが臆せず己の持てるパフォーマンスを発揮した。それができるであろう選手を見抜いたということだ。
■指導方針とターニングポイント
また、チーム結成から約4ヶ月にわたって、上本監督が徹底してきた指導方針も大きい。「自分で考えなさい」「自分らでやりなさい」「人任せにするな」と説き、練習試合でも打席で1球ずつベンチを振り返る選手には「こっち見なくていいから!」と何度も言い、見るヒマがあったら打席に集中するよう促した。
だから、ミスをしても質さない。自分で考えてしたことならOKだ。さらには「サインがイヤだったら首を振れ」とも言い渡していた。「何回か振った子はいる」と、その意思を尊重してきた。
しかし本番までの練習期間、常にいいときばかりではなかった。ときに中だるみが見られ、雷を落としたこともある。
「もうタイガースのユニフォームを脱げ!やる気のないヤツは、明日来なくていい!」
常々言っていた。「ちゃんとやることをやったなら、0-10で負けても何も言わん」と。しかし、その日はビハインドの状況の中、「試合を見ていないとか、ベンチでちょこちょこ話したり、ぎゃあぎゃあ笑ったり」だった。いや、試合前のシートノックからやる気が感じられず、「このままやったら今日の試合は絶対負ける。自分らで心を入れ替えてやりよ」と言ったにもかかわらずだ。
ここは一度ピシッと締める必要があるだろうと、あえてキツめに言ったのだ。
そうは言ったものの、「明日、ほんまに来んかったらどうしよ」と明け方まで眠れなかった。が、心を入れ替えたジュニアたちは全員集合し、前日とは打って変わって溌溂とした試合内容を見せた。
「子どもらに後々訊いたら、みんなは『監督が明日来なかったらどうしよ』って思ってたらしい(笑)」。
今から思えば、ここが大きなターニングポイントだったのかもしれない。
大会直前には「自分のことでは神頼みなんてしたことないのにさ」と廣田神社で必勝祈願し、ジュニアたちのお守りを購入し、ひとりひとりに手渡した。
■上本監督の勝負勘
そして迎えた大会初戦。ここで勝負に出た。11月後半からほぼ固定のテッパンオーダーだったのを、大きく変えたのだ。
「大事にしていたのが、あの大舞台の緊張感で力を発揮できるか。あの場に行かんとわからないところもある。前日にオーダーは決めていたけど、それこそ目つきや顔つき、移動するときの様子を見て、パッと『1番・英太郎』やなと。ヨーイドンで一番やってくれると思った」。
これはもう、言葉で説明できるものではない。「野球人・上本博紀」の“カンピューター”なのだ。この“勝負勘”がズバッとハマり、二回にいきなり満塁のチャンスで中谷英太郎選手に回った。
そこで大会1号となるグランドスラムを放った中谷選手は、4戦の合計で“サイクル安打”と期待に応えた。
2戦目の相手は120キロ台後半の剛腕2投手を擁する。「あの怪物2人は強烈。子どもらには『スピードガン(の数字)は出るけど、速く感じるような球じゃないから』とは伝えたけど、実際はまともに打てんと思った」と亀岡壮佑選手の足、石田選手の選球眼に期待して1、2番に置いた。
結果的にチームでヒットは1本だったが四球を4つ選び、亀岡選手のみごとな走塁術で挙げた虎の子の1点を、浅居煌星投手と殿垣内大祐投手が0封リレーで守りきった。
準決勝は井澤佑馬投手が巧みな幻惑投法で六回途中までを1失点と好投し、ラストは浅居投手が締めた。打っては石田選手、駒勇佑選手がタイムリーを放ち、勝利した。
亀岡選手の足に中谷選手の激走、そして池本大地選手の守備も際立った。
決勝では先発・殿垣内投手の後を継いだ浅居投手が4イニングを無失点でしのぎ、サヨナラ劇につなげた。殿垣内選手は打っても二塁打で出塁し、高崎辰毅選手のライトゴロで先制のホームを踏んでいる。
最終回の攻撃では代打・原田侑季選手が先頭でヒットを放ち、代走の岩田選手が隙をついて二塁を陥れるという鬼度胸を見せ、その後、サヨナラの得点を刻んだ。
■自慢の投手陣と上本監督の青写真
最少失点で投げきった投手陣は本当にみごとだった。エースの殿垣内選手はじめ浅居選手、井澤選手、いずれも大舞台に動じずコントロールの間違いがなかった。ときおりクイックを交えてタイミングを変えるなど、緩急の使い方も巧みだった。
ただ、残念だったのはケガで3人の投手を欠いたことだ。クローザーにと考えていた高橋琳来選手は、大会前に故障してしまい、投げられる状態ではなかった。
新野旬選手も癒えたとはいえ、高い能力の持ち主だと評価している。それだけに、本番でアドレナリンが出てリミッターが外れることを考えると、投げさせるのは怖かった。ましてや気温も低いからなおさらだ。
そして、上本監督の中で描いていた“ある構想”も実現できなかった。
「僕は球場の空気やベンチの雰囲気を大事にするほうなんで、何かマズイなと思ったときは女子バッテリーをぶっ込もうと、そのときだけはガンちゃんにお願いしようと思っていた。迷わせたらいかんから、ガンちゃんにも言ってないけど。そうなったときに言おうと思っていた」。
上本監督にとって、前年のジャイアンツ戦で女子投手が出てきたとき、球場の空気が一変したことが鮮烈だった。女子にはそういう力があると思い知った。だから、新開柚葉選手と岩田選手の女子バッテリーには殊のほか、期待を懸けていた。
ただ、見てしまったのだ。ホテルに着いたとき、新開選手がテーピングをしているのを。「ハートの強い子やから『痛くない』って」と本人は隠し通そうとした。
が、「一番複雑なところだから慎重に」と自身も故障経験のある箇所だけに、重大さはよりわかる。気づいてしまったからには投げさせることは躊躇われた。
「夢はほんと、優勝の瞬間は女の子バッテリーっていう青写真を描いとったけど…なかなかそうはいかんかった」。
選手はここで終わりではない。たいせつな将来は、なんとしても守りたかった。
ケガで出場できなかった選手もつらいが、上本監督も身を切られる思いだった。優勝はしても、存分に出場させてあげられなかったことは胸に小骨のように引っ掛かっている。
「ごめんな…」。部屋に戻ってひとり涙した。
■藤川、岩本両コーチと三位一体
藤川コーチの“ファインプレー”も光った。
屋外のデーゲームは眩しさが天敵だ。練習中、常に太陽の位置を確認していた藤川コーチは、不動のレフトだった石田選手を準決勝ではライトにと進言した。眼鏡をかけているためサングラスができない石田選手には、その時間の神宮球場の日差しではライトのほうが守りやすいと判断したのだ。
それが奏功し、石田選手は最後、ライトフライをしっかりとキャッチしてゲームを締めた。
そもそもセレクションで、普段外野をやっていない選手の中から適任者を抜擢できたのも、藤川コーチの眼力が大きかった。
投手起用に関しては「すべてガンちゃん(岩本コーチ)に任せた。継投って迷いが出ると狂うから、『俺はいっさい口出しせんから』って」と、上本監督は信頼して一任した。もし結果的に継投でミスがあっても、自分が責任を負うつもりでいた。
1日70球という球数管理を含む継投などの投手マネジメントを「ガンちゃんがバシッと迷いなくいってくれたのがよかった」と勝因に挙げて讃える。
「俊介もガンちゃんも徹底的にやってくれたから、すべて任せることができた」と2人には最敬礼だ。3人が一枚岩となって信頼し合い、同じ方向を向いて戦ったことが、ジュニアたちに安心感を与えていた。
■3日間でベルトの穴が2つも・・・!
表彰式後、上本監督はジュニアたちの手によって4度、宙を舞った。元々小柄ではあるが、さぞかし軽かったことだろう。実は、大会3日間でベルトの穴が2つも縮まるくらいに激やせしてしまっていたのだ。
「3日間の記憶がそんなにない」というくらい没頭していた。試合終了後からすぐ次戦の相手の試合動画を見て、首脳陣3人で夜な夜なデータ研究、シミュレーションを繰り返した。
2~3時間しか眠れず、それでも「頭が回るように」と朝6時から3人で、3日間同じルートを散歩した。しかし食事は朝から喉を通らなかった。
「優勝した瞬間はなんとなく覚えている。修が打ったボールがすごくゆっくり見えて…とか。でもなんか実感わかなくて、次の日も夢のような感覚で…今でもほんとに優勝したんかなって」。
ただただ「子どもたちを勝たせたい」「保護者のみなさんに優勝を届けたい」という一心で必死だった。
■阪神タイガースジュニアの絆
上本監督の勝負勘と戦術、選手の潜在能力や性格を見抜く眼力、展開を読む能力、そして求心力、統率力も見事だった。なにより選手への愛情がとてつもなく深かった。だからこそ、強い結束力で一丸となって突き進んでこられた。
藤川、岩本両コーチともガッチリ一枚岩で、さらには中村泰広代表や前監督である白仁田寛和マネージャー、村山伸一マネージャーらには「裏方の仕事、細かい雑用もすべてやってくれた」と頭を下げる。
森田剛トレーナーや、実習で選手のケアやトレーニングをサポートしてくれた学生トレーナーたちにも「役割分担を徹底的にして、僕は口出ししないようにした。信用して任せたので、アップのところにも行かなかった」と一任した。
とはいえ、子どもたちのことが気になって「遠くから見ていた(笑)」とコッソリ観察はしていたが…。
さらには保護者への感謝の念が尽きない。情が入るからと、あえて直接のコミュニケーションはとらないようにしたという。「申し訳ない」という気持ちとともに、ジュニアの送り迎えやグラウンド整備、練習や練習試合の手伝い、当日の応援など、心から感謝している。
とくに決勝のジャイアンツ戦などは昨年の経験から、ともすれば完全アウェイな雰囲気になりそうだと予想していた。
しかし、保護者応援団の太鼓のリズムとシンバルの音色、ハッピ姿がそんな空気を吹き飛ばしてくれ、「いかつい雰囲気がありがたかった。すごく迫力があった」と、大いに勇気づけられた。保護者の応援の力は絶大だった。
前年のOB選手、その保護者たちも応援してくれ、差し入れを持って陣中見舞いにも来てくれた。関わった全員でつかみとった優勝だった。
チームは解散したが、阪神タイガースジュニアの絆は永遠に続く。
*次回は上本監督がジュニアたちに伝えたい思いを紹介する。(⇒上本博紀監督からタイガースジュニアたちに伝えたいこと)
(注:決勝戦の大会規定⇒開始から1時間40分以内で六回を終了し同点の場合、1時間40分まで延長戦を均等回行い、決着しなければ両チーム優勝)
《上本博紀監督*優勝インタビュー全文》
――おめでとうございます
ありがとうございます。(笑顔&変顔)
――就任1年目で寅年にタイガース初優勝、どんな気持ちですか
もう子どもらが喜んでいる姿を見たら感無量です。(「拍手、拍手」とジュニアたちに促す)
――どんなチームですか
ほんと、こっちがゴチャゴチャ言わずに、「自分たちで考えてやりなさい」と言っていたので、すべて自分たちでやってくれた感じだったんで、僕は何もしていない感じでした。(ニコニコ)
――決勝戦は伝統の一戦、相手はジャイアンツジュニア
相手どうこうよりも、子どもたちを勝たせたいという一心でやっていましたし、今日応援してくれている保護者のみなさんに普段からすごい支えてもらってましたから、優勝を届けたいという一心でした。(保護者、拍手)
――4試合でわずかに4失点、非常に多く守った印象
ピッチャーを中心に守りの野球というのを掲げてきたので、この大舞台でその力を発揮してくれた選手たち、本当に頼もしかったです。尊敬してます。(ジュニアたち盛り上がる)
――成長をどうご覧になりましたか
常々「自分たちで考えなさい」と言ってきたんで、気づけばウォーミングアップとかもトレーナーさんいるんですけど、自分たちでやるようになって、そういう姿を見ていると、ほんと今思うと頼もしいなとすごく感じます。
――今、選手たちにどんな言葉をかけたいでしょうか
今ですか?なんて言いましょうかね。単純におめでとうございます。以上です。(ジュニアたち「わ~っ」)
――最後にファンにメッセージを
この大会、前回ジュニアトーナメント経験させてもらったんですけど、負けて子どもたちが…ほんと自分の子どもと同じですから(こみ上げてくる)、負けて悲しむ姿を見たくないという一心で(涙で声も詰まる)、ほんとに最後勝ってくれて、ほんとに自分も救われました。(目が真っ赤)
【阪神タイガースジュニア*関連記事】