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南スーダンの惨状と混迷:自衛隊撤収を促した「二重の危険」

六辻彰二国際政治学者
食糧配給の順番を待つ女性(南スーダン・リール州:2017年2月25日)(写真:ロイター/アフロ)

3月10日、政府は国連PKO(平和維持活動)に参加するため南スーダンに派遣されている自衛隊の部隊を、5月末を目処に撤収させると発表しました。これに関して菅官房長官は「復興支援に目処がたったため」と説明し、治安情勢の悪化が撤収の理由でないと強調しています

とはいえ、南スーダンの治安情勢が極度に悪化していることは、いわば国際的な常識です。2013年から続く内戦により、2016年9月までに南スーダンからの難民は100万人を突破。さらにその数は増え続けており、国連は2017年1月だけで南スーダンから5万2000人の難民が隣国ウガンダに逃れたと発表したうえで、「大量虐殺」に懸念を示しています

この状況下、自衛隊の撤収が決定されたことは、大きく二つの危険を回避する目的があったといえます。それは「自衛隊の危険」と「日本政府の国際的な立場の危険」です。

「国民なき国家」の分裂の連鎖

南スーダンは2011年にスーダンから独立した、世界で最も若い国です。旧スーダンでは、北部にアラブ系のムスリムが、南部にアフリカ系のキリスト教徒が多く、前者の支配に対して後者は30年に及ぶ内戦の果てに独立を勝ち取りました。

しかし、独立からわずか2年後の2013年、南スーダンでは内戦が発生。旧スーダンで北部のムスリムを相手に戦っていた頃、南部の抵抗勢力はSPLM(スーダン解放人民運動)にほぼ結集していました。しかし、独立によって「共通の敵」を失った新生南スーダン政府では、内部分裂が深刻化したのです。

南スーダンでの内戦は、民族間の対立を発端にしました。独立後の南スーダンでは、政府の主導権をめぐってキール大統領の出身のディンカ人と、マシャール副大統領を輩出したヌエル人の間の反目が激化。2013年にマシャール氏が「キール大統領の独裁」を批判して副大統領の職を罷免され、これが内戦の発火点となりました。

「国民」という自覚が醸成されることなく、国家が先にできたことで、主導権争いが激しくなる構図は、旧スーダンをはじめ、多くのアフリカ各国に共通するものです。

豊かさの逆説

しかし、南スーダンでの混迷に拍車をかけたのは、豊かな資源でした。

南スーダンは人口が1234万人で一人当りGNI(国民総所得)は790ドル。アフリカでも小国と呼べる国です。しかし、BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)の統計によると、2015年の同国の原油の確認埋蔵量は約3500億バレルで、大陸5位の規模です。さらに、独立直後の2012年に150万トンだった原油の年間生産量は、2015年までに730万トンに急増。未開発の油田も多いことから、将来的な成長も見込まれます。

ただし、天然資源、なかでも石油や天然ガスを産出する国では、豊かな資源がかえってアダとなり、マイナスの影響を受けやすくなりがちです。そこには、産業の多角化の遅れ、放漫財政、過剰な資金流入によるインフレなどが含まれ、これは「資源の呪い」と呼ばれます。「資源の呪い」には、汚職の蔓延、独裁体制や紛争が生まれやすいことなどもあげられます

南スーダンでは、小国に不釣り合いなほどに石油資源が豊富であるがゆえに、その利権をめぐって、政府内の権力闘争がより激しくなったのです。そして、ここにも「国民」というまとまりがないがゆえの、民族間の利益の奪い合いという構図をみてとることができます。

南スーダンへの国際的な関心

独立から間も無く発生した南スーダン内戦に、各国は比較的素早く反応しました。内戦発生の直後、旧スーダンでの内戦時代からSPLMを支援してきた米国だけでなく、平素は「内政不干渉」を理由に他国の事柄にほとんど口を出さない中国までが、それぞれ南スーダンの当事者たちに和平を働きかけ始めたことは、その象徴でした。

さらに、2013年12月、国連はUNMISS(国連南スーダン派遣団)の兵員数を1万2500に増加することを決定。2016年現在、UNMISSは1万7000人を抱え、その規模はMONUSCO(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション)などを除き、国連PKOとしては指折りのものです。これは南スーダンの状況のひどさだけでなく、各国の熱心な態度を反映しているといえます。

南スーダン内戦が始まった2013年は、世界的に資源価格がピークを迎えていた時期でした。そして、南スーダンはアフリカ有数の産油国になれるポテンシャルを秘めています。さらに、シリアなどと異なり、未だに特定の大国の明確な「勢力圏」に色分けされていたわけでなく、それは逆にいえば進出競争の余地が大きいことをも意味します。

このような背景が、油田開発を念頭に置いた、大国の熱心な「和平への協力」を呼ぶ一因となったとみることに、大きな無理はありません。

南スーダンの混迷

ところが、国際的な関心とは裏腹に、南スーダンは混迷の淵をさまよってきました。

米中をはじめとする国連安保理での停戦要求と、ケニア、ウガンダ、エチオピアなど周辺国の仲介努力により、2015年8月にはキール派とマシャール派の間で停戦合意が成立マシャール氏は2016年2月には再び副大統領に任命され、これによって和平への希望が高まりました

しかし、和平合意は形式的なものに過ぎず、その後も南スーダンの状況は悪化の一途をたどりました。2016年3月、国連人権理事会は南スーダン政府が、政府軍とともに行動する民兵に、反政府軍に協力するとみられる住民の虐殺やレイプを認めていると報告。「世界で最も恐ろしい人権状況」と評しました。

同年7月には戦闘がさらに激化し、(自衛隊が駐屯する)首都ジュバでも迫撃砲や武装ヘリまで展開する大規模な戦闘が発生。国連によると3万6000人が避難し、国民の7割が「人道支援が必要」とみなされる状況になりました。これに対して、国連安保理は各派に自制を求めるとともに、4000人のPKO部隊の追加派遣を決定したのです。

首都での戦闘のさなか、マシャール氏はジュバから姿を消し、キール大統領は元ユニティ州知事のタバン・デン・ゲイ氏を副大統領に任命。ゲイ氏はヌエル人で、マシャール氏に近い人物です。

反政府軍の旗頭となっているマシャール氏が事実上追い出された後、マシャール氏と近いゲイ氏が(「マシャール氏の不在を埋める暫定的な副大統領」として)あえて起用されたことは、「国内融和」のイメージ化を図ったものとみられます。

誰が敵か?

ゲイ副大統領は、海外からの介入を防ぐ役割を担ってきました。就任から約1ヶ月後の2016年8月、ゲイ氏は訪問先のケニアで、「南スーダンは安定しており、平静」と強調。外部の関与を拒絶する姿勢を強めました。2017年2月、ゲイ氏はドイツのミュンヘンで会談した日本の小田原潔外務政務官に対しても、「戦争などない」と力説しています。

しかし、南スーダンでは「国内融和」とほど遠い状況が加速しており、2016年12月に国連の人権査察団は「民族浄化が進行している」と報告。とりわけキール大統領率いる政府軍の側に、非人道的な行為は目立ちます。例えば、大規模な戦闘が発生した2016年7月だけで、ジュバでは120件以上の集団レイプが発生し、犯人の多くが軍服を着た政府軍兵士だったと報告されています。

ディンカ人による非人道的行為が目立つなか、政治家や軍人の間で、政権から離脱する動きが活発化。2017年2月、ガブリエル・ドゥオ・ラム労働大臣が辞任し、マシャール氏への忠誠を表明。さらに同月、南スーダン軍の軍事法廷の責任者を務めていたヘンリー・オヤイ・ニャゴ准将が「政権やディンカ人による大量虐殺と民族浄化」を批判して辞任しました

これと並行して、マシャール氏を支持するヌエル人以外の少数民族の間にも、政府と戦火を交える集団が相次いで誕生。2016年8月、少数派のムール人の一群が政府軍から離脱し、SSDM(南スーダン民主運動)として、反政府軍への転身を宣言したことは、その典型です。そこには、ディンカ人以外が標的となることへの不満や、状況に乗じて立場をよくする目的などがあったとみられます。

そのうえ、長引く戦闘により、南スーダンでは食糧危機が発生。政府の発表によると、国民の半数近い490万人が食糧不足に直面しています。その結果、民族的・政治的な動機づけの武装組織だけでなく、食料や救援物資を奪う、重武装の犯罪集団までが林立。こうして、当初キール派(ディンカ人)とマシャール派(ヌエル人)の間の争いだった南スーダン内戦は、目的も終わりもみえない、泥沼の様相を強めてきたのです。

「民間人の保護」の理想と現実

このように南スーダンの状況は、国家崩壊のレッドラインを超えてしまった感すらうかがわせるものです。そこには様々な要因が絡んでおり、一朝一夕に解決できるものではありません。

そのなかで、冒頭に述べたように、日本政府は自衛隊の撤収を決定。「復興支援に目処が立った」という説明は、いかにも苦しい答弁です。むしろ、現在の南スーダンの危険を認めないのであれば、そちらの方が問題です

このタイミングで政府が自衛隊の撤収を決定したことは、二重の意味で、危険を避けるものだったといえます。第一に、言うまでもなく、「自衛官の危険」です。

南スーダンでのPKO活動は、同じく国連のミッションで派遣されている他国の部隊などが襲撃された時に、自衛隊が救援に向かうことを認める「駆け付け警護」で関心を集めました。しかし、南スーダンの状況は、既に国連PKOの手に負えるものではありません

原則的に国連PKOは、派遣先の当事者の同意と、実効性のある停戦合意があって初めて派遣できます。例えば、シリアのアサド政権は外部の関与を嫌い、またロシアとの太いパイプを活かして、国連PKOの受け入れを制限してきました。南スーダン政府の場合、そのような後ろ盾がいないなか、米中の働きかけもあってPKO部隊を受け入れたものの、先述のようにキール派をはじめとする末端兵員の行動をもはや誰もコントロールできない状況が続いています。

そのなかでPKO要員も危険にさらされており、2016年2月には避難民を収容していたUNMISSの施設をディンカ人民兵が襲撃。18人が殺害されました。さらに、昨年7月のジュバでの戦闘では、民間人を保護できなかったとして、国連PKOのジョンソン・オンディエキ司令官が更迭されました。このことは、PKO部隊にとって「民間人を保護すること」が重要な任務であるとしても、歯止めの効かない状況において、戦闘の当事者となることが危険すぎることを裏書きするといえます。

平成28年度の内閣府による世論調査によると、国連PKO活動への自衛隊の派遣について、「これまで以上に積極的に参加すべき」が19.8パーセント、「これまで程度の参加を続けるべき」が53.7パーセントでした。このように日本国内ではPKO派遣を支持する世論が多数派です。

しかし、そこには「自衛官の安全が確保される」という暗黙の前提があるとみられます。だとすると、昨年から状況が一層悪化し、国連が「民族浄化」を警告する南スーダンにこれ以上とどまることは、日本政府にとって、国内政治の文脈においても危険すぎるといえるでしょう。

「西側先進国の一国」か、「主権尊重」か

第二に、日本政府にとって、国際的な立場が悪化する危険です

2016年12月、国連安保理で南スーダンに対して武器の禁輸措置をとることの決議がとられました。南スーダンでは、ヘリや戦車、迫撃砲などを用いているのは政府軍だけで、マシャール派をはじめとするその他の武装組織は、自動小銃などの小型武器しか用いていません。つまり、今回の武器禁輸に関する決議案は、兵器の多くを保有し、さらに非人道的な行為が目立つ、南スーダン政府軍を念頭に置いたものでした。

ところが、米国が起草し、英仏などが賛成したこの決議案に対して、15ヶ国中8ヶ国が棄権。安保理の決議が採択されるためには、9ヶ国以上の賛成と常任理事国の拒否権が発動されないことが必要です。そのため、この決議案は流れ、武器禁輸は成立しませんでした。それは結果的に、南スーダン政府による「民族浄化」の制止を、さらに困難にしたといえます。

この時、棄権に回ったのは、常任理事国では中国とロシア、非常任理事国ではアンゴラ、エジプト、セネガルのアフリカ3ヶ国と、マレーシア、ベネズエラ、そして日本でした

中ロやベネズエラには、欧米諸国に対する不信感があります。しかし、欧米諸国が開発途上国の内政に介入することに批判的である点では、マレーシアや、アフリカもほぼ共通します。さらに、アフリカの場合、周辺国に悪影響が出た場合、お互いに様々な働きかけを行うにせよ、基本的には各国政府の立場を尊重する姿勢が顕著です。

一方で、この決議は日本の立場を象徴するといえます。クリミア情勢をめぐってロシアに制裁を課す欧米諸国と距離を置いているように、日本政府は「主権尊重」や「内政不干渉」を優先させる傾向があります。特に最近では、「アフリカにおける中国包囲網」の形成を念頭に、日本政府は各国の政府との関係を重視しています。これに加えて、政府軍を狙い撃ちにする武器禁輸が「キール大統領を敵に回す」ことで、PKO要員を危険にさらしやすくするという懸念も、日本政府をして棄権に向かわせました。

ただし、「主権尊重」や「内政不干渉」は相手の独立性を重視するものではありますが、場合によっては、相手国政府による不公正を見過ごすことにもつながります。自衛隊の撤収にあたり、南スーダン政府は「これまでの貢献」に謝意を示していますが、安保理での日本政府の態度も、これと無関係ではないでしょう。少なくとも、安保理における日本の姿勢が、「民族浄化」や「大量虐殺」に関心を寄せる欧米諸国と異なるものだったことは確かです。実際、日本の方針に米国政府は強い不満を表明しています。そして、決議案が流れた昨年末から、南スーダン情勢は加速度的に悪化しています。

こうしてみたとき、自衛隊の撤収は、「(アフリカ各国政府から支持を得るための)主権尊重」と、「西側先進国の一国としての立場」が行き詰まったタイミングで決定されたといえます。つまり、武器禁輸決議に賛成しなかった理由である「PKO要員」を引き揚げさせることは、南スーダンを取り巻く対立に関わることを、少しでも避けることにつながります。言い換えると、日本政府は、国際的な立場をこれ以上傷つける危険を避けたといえるでしょう。

原発事故との類似性

自衛隊の撤収を受けて、日本政府は難民支援や食糧支援などを通じて南スーダンの安定に貢献する方針を示しています。戦火が広がれば、それで犠牲になる現地の人がいるだけでなく、近隣諸国で操業する日系企業や在留邦人にも影響がでかねません。したがって、これらが重要な課題であることは確かです。さらに、PKO派遣が重要な国際協力であるとしても、現地の情勢が悪化した時、撤収すること自体は、やむを得ないでしょう。

しかし、今回の件に関する日本政府の最大の問題は、「危険」を「危険」と認めないことにあるといえます。日本政府は、安保理常任理事国入りを念頭に置いた「国際貢献」の一環として、国連PKOへの参加を進めてきました。一方で、国内世論への「配慮」から、「自衛隊の派遣先は安全」という神話に固執してきました。しかし、安全な土地なら、そもそもPKO部隊の派遣要請があるはずはありません。

政府・外務省には、「一般国民に外交を判断することは向かない」という見方があるかもしれません。しかし、いずれにせよ、「危険」を認めつつも、(「宿営地付近は安全」など他力本願の説明ではなく)それを最低限に抑える努力をみせることで、必要性や意義に関する理解を得るという態度が政府に欠けている点では、原発をひたすら「安全」と言い続けたことと同じ構図です。東日本大震災から6年目を迎えるにあたり、その賛否にかかわらず、南スーダンからの撤収をめぐる問題は、政府の説明責任と、それを判断する力の重要性を再び喚起しているといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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