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国連安保理は南スーダンPKO増派をなぜ早々に決定したか

六辻彰二国際政治学者

国連南スーダン派遣団の増派

12月24日、国連の潘基文事務総長は、南スーダンへのPKO部隊の増派を安保理に勧告しました。これを受けて、安保理は同日、軍事要員約7000人、警察要員900人、事務要員2000人からなる国連南スーダン派遣団(UNMISS)に、新たに軍事要員5500人、警察要員423人を増派することを決定しました。

南スーダンでの戦闘では、既に数千人が死亡したとみられています。AFPの報道によると、キール大統領を支持するディンカ人兵士が、敵対するマシャール前副大統領と同じヌエル人市民を無差別に殺傷する事態も発生しています。

アフリカでのエスニック対立に基づく殺戮というと、思い出されるのは1994年のルワンダ大虐殺です。ルワンダ内戦が激化した1993年8月、ルワンダ政府とゲリラ組織・ルワンダ愛国戦線(PRF)のアルーシャ合意にともない、国連安保理での決議に基づき、同年11月から2500名規模の国連ルワンダ支援団(UNAMIR)が派遣されました。しかし、1994年4月6日、当時のハビャリマナ大統領が飛行機事故で死亡したことをきっかけに内戦が再燃。この状況下、当時のウィリンヂイマナ首相を警護していた(旧宗主国の)ベルギー軍PKO要員10名が、首相とともに襲撃・殺害されたことをきっかけに、ベルギー軍部隊は撤退を開始。これを受けて、安保理はUNAMIRを270名にまで削減しましたが、これが虐殺の横行に拍車をかけました。5月に入り、安保理はUNAMIRへ5500名の増派を決定したものの、米国が消極的だったこともあって、容易に参加国が集まりませんでした。結局、国連は50万-100万人の死者を出すルワンダ大虐殺のなか、手も足も出せなかったのです。

事態が悪化しつつある中で国連が関与を弱め、これが結果的に悲劇を大きくしたルワンダ大虐殺の経験を踏まえてみれば、今回の国連安保理での決議は迅速な対応といえます。とりわけ、南スーダンが独立から2年半ほどしか経っておらず、今回の武力衝突が正規の軍隊に所属する部隊同士の衝突とはいえ、独立闘争を戦ったゲリラ組織の内部分裂ともいえる状況からすれば、戦闘と殺戮が泥沼化する恐れは多分にあるため、早めに手を打つ必要があったことは確かです。

南スーダンに対する大国のラブコール

とはいえ、今回の迅速な対応は、必ずしも過去の不作為に対する反省からのみ生まれたものではありません。そこには、南スーダンという国がかかえる二つの要因があったといえます。

第一に、南スーダンがアフリカ屈指の産油国だということです。World Mineral Productionによると、2011年スーダンの原油産出量は約2230万トン(大陸6位)。同じ年、スーダンから独立した南スーダンは、スーダンの油田の8割を抱えていました。したがって、大陸屈指の産油国の座は、スーダンから南スーダンにスライドしたのです。アフリカへの今日の国際的な関心が、資源・エネルギーの調達にあることは、周知のことがらです。つまり、多くの国が南スーダンにアプローチしたい状況があるといえるでしょう。

第二に、独立したてということもあり、南スーダンをめぐる大国間の勢力争いは継続中です。多くのアフリカの国では、旧宗主国が歴史的なつながりを利用して、独立後も政治的・経済的な影響力を発揮していますが、南スーダンの場合は長年の内戦を経てスーダンから独立しました。パイプラインの多くがスーダンを経由するため、今のところかつての「敵」とある程度付き合わざるを得ないものの、他方で南スーダンはスーダンと必ずしも良好な関係にありません(後述)。特定の国が既得権益を確立しきっておらず、いわば力の真空に近い状態があるなか、大陸屈指の産油国・南スーダンは各国にとって絶好のアプローチ対象でもあるのです。

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この二つの要因を反映して、表で示すように、南スーダンに派遣されるPKO部隊UNMISSは、国土面積が広大なコンゴ民主共和国スーダンでのミッションに、要員数で及ばないものの、部隊派遣国の多さが際立っています。1990年代と異なり、最近ではアフリカからも多くの国が国連ミッションに参加しているのですが、五大国の参加でいえば、フランスを除く4カ国がUNMISSに参加しています

フランスにとって「アフリカ」とは多くの場合旧フランス領、あるいはフランス語圏アフリカを指し、マリなどのミッションでは主導的な役割を果たしていますが、それ以外には大きな関心はみせず、さらに現在はマリや中央アフリカなどで手いっぱいの状況です。なかでも、治安が極度に悪化し、フランスが1200名の部隊を派遣した中央アフリカは南スーダンの隣です。南スーダンでこれ以上武力衝突が激しくなれば、武器の流通、兵員や難民の移動などにより、中央アフリカにも悪影響があることは、火をみるより明らかです。これに加えて、フランスにとって旧スーダンは、1898年に英国との衝突を回避して撤退した「ファショダ事件」の舞台でもあります。英国との覇権競争における一つの屈辱の記憶があるこの地が、フランスにとって避けたい土地であることも、看過できないでしょう。

いずれにせよ、これらの背景のもと、UNMISSへの五大国の参加率は、面積が広く、戦闘が10年以上に渡って恒常化し、さらにレアメタルなどの鉱物資源が豊富なコンゴ民主共和国に次ぐものです。ここからも、南スーダンがいまだ特定の勢力圏に取り込まれていないだけでなく、多くの国がアプローチしたがっている様相を見て取ることができます。

米中による停戦の斡旋競争

なかでも、現在のアフリカでつばぜり合いを演じる二大勢力、米国と中国が今回そろって事態収拾に積極的なことは、安保理決議をスムーズにした一因といえるでしょう。

もともと、米国はスーダンを「テロ支援国家」と位置づけ、これと敵対して分離独立闘争を展開した南部のスーダン人民解放運動(SPLA)を内戦中から支援した経緯があります。つまり、南スーダン政府にとって米国は長年のスポンサーでもあります。その米国のドナルド・ブース大使は、安保理決議の前日23日に南スーダンに入り、キール大統領との会談で暴力の停止と対話による解決を促しました。一方、もう一方の当事者マシャール前副大統領は、ケリー国務長官と接触していることを明らかにしています。このように、英仏の歴史的な影響力の強いアフリカにおいて、内戦の当事者に協議を促し、他方で末端の戦闘を抑制するために部隊を送るために、米国が主導的な役割を果たすことは必ずしも多くありませんが、今回の場合は際立っています。

他方、中国の関与にも、目を引くものがあります。先ほどの表から確認されるように、現在アフリカで展開されているPKOミッションの全てに参加している国は、五大国のうち中国だけです。これは、最近の中国の対アフリカ政策のシフトを反映しています。

2003年に発生したダルフール紛争において、虐殺への加担が疑われ、国際刑事裁判所から逮捕状が出されたスーダンのバシール大統領を一貫して擁護したのは、「主権尊重」と「内政不干渉」を掲げた中国でした。その一方で中国企業は、欧米諸国が経済制裁を敷くスーダン国内で油田開発を続け、その原油の多くを輸入し続けました。「内政不干渉」を盾に、露骨なまでに自国の利益を追求する中国の姿勢に対しては、欧米諸国からだけでなく、アフリカの一部からも批判が出るようになりました。高まる批判に対して、「経済取り引きを行うだけでなく、アフリカの安定に寄与している」という大国イメージをアピールする取り組みの一環として、この積極的なPKO派遣は理解できます

その中国政府は、安保理決議と同じ24日、東アフリカ諸国が加盟する政府間開発機構(IGAD)の場で、南スーダンでの武力衝突を停止するよう呼びかけました。「内政不干渉」を看板として、ダルフール紛争などどこ吹く風といった顔をしてスーダンでの経済活動にいそしんでいたように、中国が「武力衝突の停止」を呼びかけることは稀です。その直接的な背景には、南スーダンで操業していた中国石油天然ガス集団など中国系企業も武力衝突によって退避を余儀なくされていることや、先述の国際的イメージを改善する必要性などがあります。しかし、それだけでなく、中国は南スーダン政府ともかなり密接な関係を築くに至っており、今回の停戦の呼びかけは、その自信の表れとも受け取れます。

先述のように、中国はスーダン政府と良好な関係にあり、その意味でSPLAや南スーダンと長い間、必ずしも友好的な関係になかったのですが、それでも独立前後から持ち前の積極性(あるいは図太さ)で接近を図ってきています。スーダン時代から続く油田の操業だけでなく、今年9月にはキール大統領を北京に招いて中国からの投資に関する交換公文を交わしたほか、今年9月には20億ドルの援助提供が合意されました。さらに、スーダンを経由しないで原油を輸出するため、ケニアの北部Lamuからインド洋へ至るパイプライン建設と港湾整備を兼ねた、255億ドル相当のプロジェクトについて、中国は南スーダン、ケニア両政府と交渉を進めています。その変わり身の早さは「いかにも」といったところですが、いずれにせよ中国のこのアプローチは、南スーダンにおける存在感の大きさを示します。

ただし、両者の接近の背景には、中国側からのアプローチだけでなく、南スーダンの事情もあります。南スーダンは独立後も、アビエイの帰属などをめぐってスーダンと対立し続けてきました。そのため、昨2012年4月には、キール大統領が中国政府に対して、スーダンとの緊張緩和の斡旋に関する協力を求めています。つまり、スーダン政府に対していまだに発言力をもつ中国は、南スーダンからみて、かつて苦い思いをさせられたことに違いなくとも、経済的にだけでなく政治的にも簡単に袖にできない相手なのです

停戦合意が成立したとしても道のりは険しい

このように大国がこぞって、なかでも米中が競ってアプローチを強めるなか、南スーダンへのPKO増派は比較的スムーズに決まりました。他方、キール大統領にせよ、マシャール前副大統領にせよ、相手を排除し、自分の派閥で政府を固めることが、自らの最大の利益であることは同じですが、南スーダンが独力で原油を輸出する技術や資金に乏しい中、(全てでないにせよ)いずれかの大国との協力ぬきに戦闘を継続することは、ほぼ不可能です。そのため、二人の指導者が早晩交渉に臨むことは、想像に難くありません。

ただし、問題は指導者たちが停戦に合意したとしても、その意思が末端にまで浸透するには時間がかかるということです。1990年代以降のアフリカでは、長期にわたって戦闘のなかで生きてきた兵員、なかでも若年層の間に、物事を力ずくで解決する「暴力の文化」が浸透しているといわれます。それ以外の問題解決を知らない末端の支持者たちに、指導者の意思が反映されず、停戦合意が反故にされる事態は、シエラレオネ、リベリア、中央アフリカ、コンゴ民主共和国など、これまた1990年代以降のアフリカの各地でみられたことです。

これに鑑みれば、大国の関心によるPKO増派によって、たとえ一旦は戦闘が下火になったとしても、原油収入が特定の人々によって握られ、その恩恵が社会の末端にまで行きわたらない状況が続く限り、そして政府の透明性が低い限り、不満の増幅で政府すら分断された今回のような事態が再び発生し得ることは想像に難くなく、その意味で南スーダンが安定する日は遠いと言わざるを得ないのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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