Yahoo!ニュース

南スーダンが自衛隊にとって戦闘に直面するリスクが最も高い土地である理由

六辻彰二国際政治学者
(写真:ロイター/アフロ)

3月29日、安全保障関連法が施行されました。この法律の基本原則は「集団的自衛権を認めること」、つまり友好関係にある国との軍事協力に基づいて自らの安全を確保することにあります。その領域は多岐に渡りますが、その一つに自衛隊の「駆け付け警護」があります。

今回の法律では、国連のPKO(平和維持活動)に参加して、海外に派遣されている自衛隊の部隊が、「近隣で外国のPKO部隊や国連施設などが現地のゲリラ組織に攻撃されている」といったケースで、自衛隊の宿営地を出て、これらを支援するために武器を使用することが認められています。これも「集団的自衛権」の考え方に基づいています。言い換えると、「国連の活動の枠内において」、「非常時に友好国の部隊を守るため」という限定付きですが、「周辺地域」ともいえない日本から遠く離れた土地で自衛隊が戦闘に従事することが、法的には可能になったのです。

安全保障関連法には様々な評価ができるでしょうが、「憲法との整合性」というポイントをあえて外して考えると、そこには以下の二つの考え方があると思います。つまり、一方には「日本の安全を守ることは日本一国では難しく(そもそも「非核三原則」を謳っていても実際には米国の核の傘の下で守られている)、とりわけ北朝鮮や中国、さらにロシアが不穏な行動を繰り返すなかでは不可欠」という考え方が、他方には「集団的自衛権を認めることで『友好国』の戦争に巻き込まれやすくなるだけでなく、『友好国』との軍事協力を推し進めれば、かえって『友好的でない国』の危機感や警戒心を強め、さらにはその軍拡を正当化する口実を与えることになって危険」という考え方があるといえます。

ただし、これらの議論は、概ね北朝鮮、中国、ロシアといった日本周辺をめぐるものが中心で、先述の「駆け付け警護」など国連PKOに付随する任務への関心は、これと比べて総じて高くないようにみえます。しかし、「実際に自衛隊が戦闘に直面する可能性」に関しては、国連PKOの方が高いとさえいえますそこには「相手が国家か否か」というシンプルな理由があります

国家の合理性

困難な状況において、多くの個人にとって「自分が生き残ること」が最優先事項になりやすいのと同様、あらゆる国家にとっては「国家の存続」が自己目的化しやすくなります。これは「自らの利得を最大化する」という意味での合理性に基づくもので、一見して全く無軌道に行動しているようにみえる北朝鮮でさえ、例外ではありません。

以前に述べたように、意図的に危機的な状況を作り出す「瀬戸際外交」は、それによって相手から譲歩を引き出すための北朝鮮の常套手段であり、そこには「あえて非合理的な振る舞いをすることで相手の合理的判断に働きかけ、自らの利益を確保する」という意味での合理性があります。この観点からいえば、日本、米国、韓国などと本当に全面衝突に至ってしまっては、北朝鮮首脳部が何より優先したい「現体制の維持」が成り立たないことは明らかなので、元も子もありません。だからこそ、ギリギリのところまで緊張を高めるものの、2010年の延坪島への砲撃のような規模の大きくないものを除き、敵対国と直接的に戦火を交えることを回避しながら自らの要望の実現を目指すことが、北朝鮮にとって利益になるのです。

これが中国やロシアになれば、「日本およびその同盟国との直接的な軍事衝突を回避するインセンティブ(誘因)」はさらに大きくなります(逆もまた同様です)。北朝鮮と異なり、両国にとって西側との交易は、自国経済の成長にとって欠かせません。通商によって生まれる相互依存関係のなかで、相手との関係が途切れた時のショック(国際政治学でいう「脆弱性」)をいかに小さくするかがグローバル化時代の各国にとって大きな課題なのであり、この点で現代は冷戦時代と大きく異なります。

もちろん、現代でも国家同士が正面から軍事的に衝突することは、皆無ではありません。あまり報道されていませんが、4月2日にはアゼルバイジャンとアルメニアの間で武力衝突が発生し、それぞれを支援するトルコとロシアの緊張はさらに高まっています。とはいえ、これらの相手国との経済関係が乏しい小国同士の、外部からの支援を受けた衝突を除くと、国家間の衝突は稀です。

さらにまた、「北朝鮮や中国の軍事力を過小評価するべき」と言っているわけでもありません。ここで強調していることは、「経済関係が網の目のように広がっている状況下で、国家を相手にまともに軍事衝突をすることはどの国にとっても避けたい選択肢であり、そのなかでいかに相手より優位に立つかでしのぎを削る点に、現代の国際政治の機微がある」ということです。正面衝突によるコストに鑑みて、相互に高まる疑心暗鬼や不信感が偶発的な衝突をもたらさないため、部隊移動の相互連絡や可能な範囲の情報開示は、冷戦期の米ソ間でさえ、欧州安全保障協力会議(CSCE)の枠組みのもとで行われたことです。

ローカルな合理性-内戦の継続が利益になる状況

ところが、テロリストやゲリラ組織などの「非国家主体」を相手にするとなると、勝手が違います。例えばイスラーム過激派の場合、「不信仰者の横行を見過ごせば自分も来世で神に申し開きできないのだから、現世で罰を受けようとも、不信仰者らの不正を正す努力をしなければならない」というコーランの厳格な解釈に基づき、自爆攻撃すら厭いません。これは、その文脈において論理的整合性があったとしても、「自らの生存」を放棄することが「自らの利得の最大化」にならないと考えるのであれば、合理性からかけ離れたものです。この場合、少なくとも、「自らの生存」を優先する国家を相手にする時のように、「直接的な衝突を回避することにお互いの利益がある」と暗黙のうちに期待することは困難です。

「戦闘の回避がお互いにとって最大の利益になる」と相手が考えることに期待を抱きにくい点では、宗教的・政治的なイデオロギーに凝り固まったテロリストと、公式には民族自決など何らかの政治的目標を掲げながらも、実際には戦闘を続けることで利益を得ている、「野盗に毛の生えたような」武装組織は、ほぼ同じです。

このような組織は、開発途上国、とりわけ貧困国の多いアフリカでは珍しくありません。アフリカでは1990年代に内戦が吹き荒れましたが、リベリア、シエラレオネ、コンゴ民主共和国など、多くの日本人にとって「どこ、それ?」といった国々では、若者が自発的にゲリラ組織に加入し、戦闘に加わることが珍しくありませんでした。

このうち、例えばシエラレオネでは、若者が宗教や民族の違いを越えて、反政府ゲリラ組織「革命統一戦線」に集いました。その背景には、権威主義的な政府と家父長的な社会のもとで、政治的な発言と社会・経済的な機会を制限されていたことへの不満がありました。その結果、彼らは年長層が支配する国家・社会を攻撃する一方、「『それまで虐げられていた』自らの力を誇示するため」に、無関係の市民に無差別の殺傷や暴行を繰り返し、さらにはダイヤモンド鉱山などの天然資源産出地帯(その多くでは、政府要人が実質的に支配する国営企業や、彼らと繋がりの深い外国企業が利益を独占的に握っていた)を占拠し、不法採掘や密輸で利益をあげました。「内戦前より経済状態がよくなった」若者たちにとって、内戦の継続が利益になったのであり、その意味では彼らなりの「合理性」があったといえます。しかし、このローカルな合理性により、組織の上層部が和平協定に臨もうとした時でも、末端の若者がこれを無視することさえ珍しくありませんでした【六辻彰二,2002,「シエラレオネ内戦の経緯と課題 1991-2001」,『アフリカ研究』(日本アフリカ学会),第60号,pp139-149】。

このように戦闘によって経済的利益を得ている人間にとっては、停戦監視や治安維持のために派遣される国連PKO部隊や、現地で人道支援を行う国連機関や国際NGOなども、目の上のたんこぶになります。

援助関係者だけでなく、PKO部隊も戦闘を主任務にしておらず、政府にも反政府ゲリラにも肩入れしない、政治的に中立な立場で派遣されますが、いずれにせよ「戦闘の停止、内戦の終結」を大前提としたものです。この観点からすれば、国連PKO部隊がしばしば「内戦の継続に利益を見出す」武装組織から一方的に標的にされ、結果的に戦闘の当事者になったことは、不思議ではありません。だからこそ、中東などと比べてアフリカに戦略的・経済的利益を見出さない先進国は、自国部隊の被害を恐れてアフリカへのPKO部隊派遣に及び腰になり、当時の国連事務総長コフィ・アナンの働きかけもあって、1990年代末から「アフリカ内部の協力による和平の実現」をサポートし始めたのです。

ローカルな合理性に基づく現代の紛争-南スーダン内戦

紛争当事者が「戦闘を回避すること」にインセンティブを見出しにくい状況で派遣されるPKO部隊が直面する危険は、現代において増しています。

PKO関係者の死者は1948年からの合計71ミッションで計3,454名ですが、このうち現在派遣されている16ミッション(アフリカでのものは9つ)でのそれが1,679名と、半数近くを占めます。特に、いわば「世界の片隅」に派遣されるPKO部隊に犠牲者が目立ちます。内戦が始まるはるか以前の1976年からシリアに派遣され続けてきたUNDOFでの死者数(46名)と比べても、2010年からのコンゴ民主共和国でのMONUSCO(100名)、2011年からの南スーダンでのUNMISS(42名)、2013年からのマリでのMINUSMA(81名)など、2010年代になってアフリカに派遣されたミッションで犠牲者が出るペースが早いことは、これを示しています。

このようなローカルな合理性に基づく内戦の一つが、南スーダン内戦です。以前に取り上げたように、2011年7月にスーダンから分離独立した南スーダンでは、2013年12月に内戦が発生しました。もともと、スーダンには北部にアラブ系のムスリムが、南部にアフリカ系のキリスト教徒が多く、前者の支配を嫌う後者が反政府組織スーダン人民解放軍(SPLA)を結成し、40年以上に及ぶ内戦の果てに南スーダンとして独立しました。ところが、北部という共通の敵を失った途端、南部の内部分裂が加速。ディンカ人の大統領キールと、ヌエル人の副大統領マシャールの間の確執を発端に、それぞれを支持する部隊が衝突するようになったのです。

南スーダンの内戦は、民族の違いと政治・経済的な利害が結びついたものです。南スーダンは確認埋蔵量でアフリカ大陸第6位の産油国です。そして、市場や制度が未発達のアフリカ各国において、政治権力を持つ者が天然資源の利益を握りやすい構図があります。先述のシエラレオネのように、殺戮、破壊、略奪を目的化する武装組織は、内戦前のその国で蔓延していた汚職、搾取、抑圧といった不公正によって生まれますが、特に天然資源が豊富な国では、利益の争奪が戦闘を加熱させやすくもなります。それは現在の南スーダンでもほぼ同様といえます。

アフリカでは、権力者の支持基盤である出身民族の人々が、政府から優遇されることを当然とみなしやすく、政府に近い立場の人間ほど、それをアテにしがちです。このように縁故主義(クライエンタリズム)が蔓延する状況は、権力者といえども「国家全体の利益」の観点から自らの出身民族への優遇を拒むことを不可能にします。つまり、独立から間もなく、「国民」意識が薄弱な南スーダンでは、キールとマシャールの意向にかかわらず、ディンカ人とヌエル人のSPLA兵士、あるいはそれぞれの民族を母体とする民兵組織の間に、豊富な石油資源から得られる利益を「自分たち」が優先的に得たいという欲求が強く、それが相手を排除するための戦闘の背景にあるとみてよいでしょう。

実際、キール大統領とマシャール副大統領は、たびたび停戦に合意していますが、末端での戦闘は止んでいません。これは国連などの働きかけに表面上は従いながらも、相手を排除するという最大の利益を捨てきれない、それぞれの上層部の意思を反映した部分もあるでしょうが、他方では先述のように、「南スーダン人」としてではなく、自らの民族の、あるいは自分自身の利益を最大化したい末端兵員に上層部が引きずられている側面も看過できません。それは南スーダンやアフリカに限らず、シリアやウクライナでもみられたことですが、いずれにせよそこには「戦闘の回避が相互の利益になる」という意味での合理性は見受けられません。

その結果、南スーダンでは際限のない殺戮や蛮行が横行しています。3月11日、国連の人権高等弁務官事務所(OHCHR)は南スーダン内戦に関する報告書を発表。このなかでは2013年12月以来、民間人を含む数千人が殺害され、200万人以上が家屋を失い、少なくとも150万人以上が避難民となったことだけでなく、2015年4月から9月までの間のユニティ州だけで1300件のレイプが確認されたこと、数多くの子どもが兵士として徴用されていることなども報告されています。この状況は、政府がキール派の民兵に「できることを何でもやってよい」と認めていることに一因があるとOHCHRは指摘。アル・フセイン人権高等弁務官は南スーダンが「世界で最も恐ろしい人権状況の一つ」と述べています。

南スーダンにおける自衛隊のPKO参加

このような殺戮と蛮行が横行する南スーダンでの国連PKOには、内戦発生以前の2008年10月から自衛隊も参加しており、2016年4月現在、UNMISSは自衛隊が参加している唯一の国連ミッションです。ただし、その活動は他国の部隊とやや異なり、治安維持や停戦監視にほとんどタッチしないものです。

戦闘の長期化により、国家としての体をなさない国家、いわゆる「破綻国家」や「失敗国家」と呼ばれるものが続出する状況を受けて、1990年代半ば以降、国連PKO部隊の活動はインフラ整備、市場や国家機構の構築、憲法を含む各種法令の作成支援、選挙の実施など、いわゆる「国造り」の領域にまで拡大してきました。とはいえ、治安維持と停戦監視が最も基本的な活動であることは、1940年代から変わっていません。

ところが、先述の南スーダンのように、当事者がローカルな合理性に固まった紛争である場合、上層部が結んだ停戦合意が、いとも簡単に有名無実になることは珍しくありません。一般に正規の軍隊ほど、上意下達の徹底が求められる組織はありません。末端の兵員からみていかに理不尽な命令でも、それに従わなければ軍法会議で「命令無視」と断ぜられることになります。これに対して、非国家の武装組織の場合、特にアフリカにおけるそれらの場合、そのような上意下達や軍律は期待できません。南スーダンの場合、先述のOHCHRの報告書では、民間人の殺傷や集団レイプなどを含む蛮行は、大統領派の民兵などによるものも数多く報告されています。

このような環境で派遣されるPKO部隊の任務のうち、停戦合意が守られているかを見張るためのパトロールや国内避難民の保護などは、ローカルな合理性に基づく戦闘に巻き込まれやすいものです。そのため、UNMISSに限らずこれまで参加したPKOにおいて、自衛隊は治安維持や停戦監視にほとんど関与せず、水道施設の復旧などのインフラ整備や物資輸送などを主な活動としてきたのです。ここには、主要国の間で関心の高い南スーダンPKOへの参加を「国際的な貢献」として強調したい外務省と、自衛官の安全に配慮する防衛省の間の妥協という側面もあります。さらに、パトロール中に他のPKO部隊が攻撃されているのを発見した場合などに、これを救援する法的根拠がないことも、これら戦闘に直面しやすい任務を回避する一因でした。

東京と現地の狭間で

ところが、安全保障関連法により、このハードルは引き下げられ、すでに認められている「自らや自らの保護下に入った人々(避難民など)を守るため」以外でも、自衛隊のPKO部隊の武器使用が法的には可能になりました。これには二つの側面があります。一方では、自衛隊が「他の参加国並みの活動」を行うことが認められたといえます。つまり、「国際社会の一員として」あるいは「経済大国にふさわしい」貢献ができると、政府は強調することでしょう。

他方では、武器使用を前提とする任務が認められることで、参加できる領域が広がったものの、国連PKOに参加する自衛隊の直面する危険がこれまでより数段上がったといえます。安全保障関連法に関する国会答弁で安倍総理は、自衛隊の海外派遣を毎回国会で審議して特別措置として派遣する、これまでの特措法から、毎回の国会審議を前提としない恒久法にすることで、「事前の準備などを十分に行えるようになるため、自衛官のリスクの極小化に資する」と強調しました。その点に関する限り、異論はありません。

ただし、繰り返しになりますが、安全保障関連法では集団的自衛権に基づいて自衛隊が友好国の部隊や国連などに対する攻撃を自らに対する攻撃とみなし、共同でこれにあたることが認められています。これは「総体としての国連PKO部隊の非常時における戦力を高める」ことにつながるといえます。しかし、自衛隊が戦闘に直面するシーンが増えることを認めるのであれば、そしてテロリストだけでなく「野盗に毛の生えたような」武装組織にとって、国連PKO部隊への攻撃が「何が何でも回避するもの」でない以上、全体としての安全保障関連法によって「リスクが極小化される」ということはできません

政府もそれは理解しているようです。実際、3月28日、中谷防衛大臣は5月に南スーダンへ派遣される自衛隊の部隊に新任務を課さないことを明言しました。

平成27年の総務省の世論調査では、国連PKOへの参加に関して、53パーセントは「これまで程度の参加を続けるべき」と答えています。「これまで程度」が何を指すかは設問表にありませんが、これが頻度のみを指すとは限りません。回答者の過半数がPKO参加に賛成であることの一因には、これまでPKO部隊の自衛官が現地で一人も死亡していないことがあげられます。北朝鮮や中国との緊張が高まり、不運にして戦火を交えることになった場合と異なり、「駆けつけ警護」をともなう任務に切り替えた場合に、日本から遠く離れた南スーダンで自衛官が戦闘に直面することを、少なくとも現状において、どれだけの人が熱心に支持するかは疑問です。つまり、回答者の過半数は、国連PKOへの参加そのものを支持しているものの、安全保障関連法をそのまま適用した任務には消極的とみるべきでしょう。

これを勘案すれば、中谷大臣の発言に象徴される、「集団的自衛権を認めるが行使しない」という考え方は、夏の参院選を控えた政治的判断といえるでしょう。その意味で、少なくとも当面、政府には「駆けつけ警護」をともなう任務がもつリスクについて明確に語ることだけでなく、南スーダンにおいて自衛隊が戦闘に直面することも、避けるインセンティブがあるといえます。

ただし、日本政府が何に関心をもつにせよ、「野盗に毛の生えたような」武装組織にとって、それは知ったことではありません。そのため、安全保障関連法の施行後も、自衛隊が戦闘に直面するリスクが最も高い土地が南スーダンであり、さらにリスクを明確に語らない東京とローカルな合理性に基づいて行動する現地勢力との間で、結果的に手足を縛られた状態の現場の自衛官に判断が委ねられる状況に、大きな変化はないといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事