【国富町】東西に分断された古墳:13号墳が語る過去と現在の共存
《本庄古墳群》
( 6 ) 13号墳 (観音山塚)
県道26号沿いに位置する13号墳は、真っ二つに切断された古墳です。県道沿いのため見つけやすいので、18号墳とともに最初の墳活にうってつけの古墳です。
手鏡のような形の柄鏡式古墳で、円と細長い長方形で作られています。通常の前方後円墳前方との違いなど、詳しいことは、以前の18号墳(西銚子塚)についての記事を参照してください。
・13号墳:丸と四角が分断された古墳
全長約73mの大きな古墳ですが、なんと前方部と後円部が真っ二つにされてます。正確には、古墳を削って抜け道を作られてしまったのです。
古墳を分断する抜け道
まずはこの抜け道部分を見てみましょう。南側からの姿です。
中央部分が抜け道ですが、分かるでしょうか?段差が残っているので、完全に削り取っているわけではないです。また草が多い茂っているため、知らない人は分断されていることに気づかないかもしれません。しかし前方に登って見てみると……
抜け道部分が、かなりくぼんでいるのが良くわかります。でも二つの小山とみれば違和感無いかもしれません。ひょっとして皆さんそう思っているのでしょうか。
追記:
10年ほど前までは完全に削り取られ、分断されていたそうです。その後、土が盛られて若干修復され、今の状態となったようです。
そのまま前方部を西に見てみましょう。
低い前方部
端に祠が見えます。
柄鏡型は前方部が低く、しかも幅が狭いので、墳丘に立っても古墳という感じがしません。次にここから後円を見てみましょう。
古墳らしい後円部
後円部は古墳らしい姿です。斜面から斜めに伸びている木が角のようです。別な角度からみると。
先ほどとは違い、小さな木がたくさん。かわいらしい感じです。墳丘からの風景はというと。
後円部は結構高いことが分かります。
今度は県道26号側(北側)から見てましょう。
ごらんの通り、道路からでも目立ちます。道路の反対側から見ると形が良くわかります。ちなみに後円には戦時中に防空壕が掘られたということです。現在は埋められています。
・利便性が古墳に勝った
大事な古代の遺産である古墳。冷戦時代のベルリンのように、東西に分離されてしまったのですが、これはこれで面白いと思います。国指定史跡が1934年(昭和9年)ですから、削られたのはそれ以前だと思うのですが、もしかして近年かもしれません。生活の便を考えて、抜け道が必要だったのでしょう。たしかにこの道があると便利です。生活によって古墳の形も変わる。
13号墳は町の中心を通る県道から簡単に見渡せます。しかも後円部はほぼ全体を眺めることができます。バス停が目の前にあることもあり、現在の生活と古代遺跡が共存している町の姿が良くわかります。バス停で待っているとき、分断された13号墳を振り返り、現代人とのつながりを考えてみましょう。しかし、考えに夢中になりすぎて、バスを乗り過ごさないようご注意を。
取材協力:
中野正裕様(くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)
13号墳 (観音山塚)
住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄 (地図)
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