【国富町】帰らぬ者への思いを込めた古墳:15号墳に埋葬されたものとは?
《本庄古墳群》
( 7 ) 15号墳 (東銚子塚)
古代の時代、国富から異国の地の戦いに赴いた一人の男が帰らぬ人となりました。遺体の代わりに鏡を埋葬したという言い伝えの残る15号墳。今回はその言い伝えと、15号墳の特徴的な造りを紹介しましょう。
・船が難破し、帰らぬ人となった豪族の息子
7世紀のこと。国富周辺を治めていた諸県君の勝間大日主命には赤兄大使主命という息子がいました。その息子は朝廷の命を受け、朝鮮半島での白村江の戦いに行くことになります。ところが朝鮮半島へ向かう航海の途中、戦船が難破して、赤兄大使主命は溺死してしまいます。海に沈んだ遺体は国富に帰ることはありませんでした。そのため八稜鏡を遺体の代わりに15号墳に埋葬したといわれています。それゆえ、15号墳は別名「鏡塚」と言われています。
下の図は赤兄大使主命を中心にした系図です。37号墳の記事で紹介した絶世の美女、髪長媛(かみながひめ)との関係が分かると思います。祖父は髪長媛の弟になります。
八稜鏡
八枚の花びらを縁の装飾としてかたどった鏡で、当時は貴重で神聖なものでした。また、鏡は魔よけの効果があると言われてました。そのためか、権力の象徴として、遺体のそばに添えられることが多くありました。
白村江(はくすきのえ)の戦いとは
西暦663年に朝鮮半島にて日本・百済の連合軍と、唐・新羅連合軍の間に起った戦いです。この戦いで日本・百済連合軍は大敗します。このことがきっかけで日本は、防人を配備するなどの国防を強化します。
・15号墳:3層になった柄鏡式
県道26号線沿いにあり15号墳は手鏡ような形の柄鏡式前方後円墳で、柄鏡式は本庄古墳群の中では13, 15, 18号墳の3基だけです。
全長約73mと大きい古墳ですが、住宅に囲まれているため、全体を眺めることは難しいと思います。
では後円から登っていきましょう。
象徴だった3本の巨木が……
丘の上から伸びる3本の巨大なクスノキがこの古墳の特徴で、美しさをを感じていました。とても楽しみにしていたのですが、丘に上がってみると……ない!
今は安全のためか、切り倒されていました。たしかに古墳と同じくらいの大きさの木ですから仕方ないことかもしれません……
墳丘自体も、なんとなく削られている気がします。墳丘の後円部には小さな祠があり、お地蔵さんが中にいます。
西側を見た光景。おそらく奥の木が生い茂った部分は前方部だと思うのですが、自信ありません。結局、どれが前方部か分かりませんでした。
よく見ると3段の層がある
15号墳は3段築成で作られています。
実際に墳丘近くを横からみると……
たしかに段差がありますね。でも言われなければ分からないかもしれません。3段の内、2段しか分かりませんでした。
・遠い昔の親の想いを今に伝える15号墳
15号墳を訪れ、鏡に込められた想いに共感してみましょう。溺死してしまった赤兄大使主命。実際に彼の代わりに鏡が埋葬されているのかは分かっていません。他の古墳同様、記録がほとんど無いので、伝説を裏付けられないのが実情です。しかし親族の気持ちはよくわかります。昔は肉親同士の争いはよくありました。そんな時代でも身内としては、なんとか供養したいと思うのではないでしょうか。権力の象徴の八稜鏡ではなく、思い出の品を15号墳に埋葬したかもしれません。今の時代の私たちには、むしろその方が胸を打ちますね。
取材協力:
中野正裕様(くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)
15号墳 (東銚子塚)
住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄 (地図)
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