「イスラム国」に引き裂かれたヤズディ教徒(5・最終回)子どもを拉致された家族の悲劇(写真11枚)
◆ISの男、子どもの身代金を要求
イラク北部クルド自治区シャリア。住民のほとんどがヤズディ教徒だ。この町には過激派組織「イスラム国」(IS)のシンジャル襲撃から逃れてきた2万を超える人びとが避難生活を送っている。
ISに幼い子ども3人を拉致されたヤズディ教徒の一家にシャリアで会ったのは2015年秋のことだった。母親のノビラスさん(当時27歳)は、夫ハッサンと5人の子どもたちと、シンジャル近郊のソラグ村に暮らしていた。2014年8月、村はISに襲撃される。
家族はいったん近くの山に逃げ込んだ。だが子どもたちがお腹をすかせたため、父親ハッサン(当時33歳)は子どもたち4人に食事をさせようと山をいったん下りる。親戚のいる別の村まではISが迫ってこないと思い、その親戚の家に子どもを預けた。ところがその村もISに制圧されてしまう。
銃弾が飛び交うなか、父と当時11歳だった長男は走って逃げのびたが、幼い3人の子どもたち(長女10歳、次男6歳、三男3歳)はISに捕まった。山に残っていた母ノビラスと末娘は無事だった。
◆拉致の子、売られたり、戦闘員養成所へ
家族は約150キロ離れたシャリアに避難した。拉致から1年が経つなか、父は連れ去られた3人の子どもの行方を探し続けていた。「あの日、突然の襲撃にどうすることもできなかった」と父親のハッサンはうなだれた。母ノビラスもそれを分かっているが、ことあるごとに夫を責めた。
ハッサンは、IS地域から救出されたヤズディ女性がいるという知らせが入るたびに、訪ねてまわり、自分の子どもを見なかったかと聞いた。そこで得られた情報は、子どもたち3人は、シリアに連れて行かれ、バラバラに売られたようだということだった。
ISは拉致したヤズディ教徒の女性・女児を、戦闘員と強制結婚させたり、戦闘員どうしで売買した。まるでモノを売り買いするかのごとく携帯SNSで値段交渉し、取引した。他方、拉致した少年たちを戦闘員訓練所に入れた。連絡がつく家族には身代金を要求するなどした。
ノビラス一家は、拉致された子どもの消息がわからず、不安のどん底にあった。
2016年9月、IS戦闘員を名乗る男が、父ハッサンの親戚を通して携帯電話にメールと映像を送って来た。そこには拉致された次男、三男が写っていた。3万ドル(約300万円)の身代金と引き換えに解放してやる、と男は伝えてきた。ところがその後、連絡は途絶えてしまう。
不安な日々のなか、ノビラスは精神的に限界をきたすようになっていた。そして2016年12月、末娘を連れて、イラクからトルコを経由して、密航船でドイツを目指した。10日かけてドイツにたどり着き、難民申請。
イラクに残ったハッサンは、親戚や知人からお金をかき集め、身代金を用意。男らが再度、接触してきた際に、身代金を払って、次男はシリアで解放された。
しかし、次男が見せた姿は、父には信じられないものだった。
次男は「ISのおじさんのもとに帰りたい」と話し、父との会話を拒んだ。私には笑顔で接してくれた次男だが、ドイツの難民滞在施設から電話をかけてきた母ノビラスとも、話したがらなかった。ISの拉致生活のなかで、次男は心に大きな傷を負っていた。
三男と長女の行方はいまもわかっていない。
◆ヤズディにとってISは終わっていない
ノビラス一家の故郷シンジャルは破壊され、仕掛け爆弾もあちこちに残る。ISは撤退したものの、クルド自治政府とイラク政府が対立し、双方がシンジャルでの覇権を取り合うようになってしまった。
ISはイラク・シリアでの支配地域のほとんどを失った。「ISは崩壊した」とメディアでは報じられる。だがヤズディ教徒は帰還できないまま避難生活を強いられ、拉致された家族を捜している。ISも戦争も終わってはいないのだ。
「またきっとヤズディ教徒の殺戮が起きる。そして次も誰も助けてくれないだろう。政府も他宗派の隣人も何もかも信じられなくなってしまった」
ハッサンの言葉が重く響いた。
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(第5回了・全5回)