「イスラム国」に引き裂かれたヤズディ教徒(1)「邪教」とされ虐殺、女性らを拉致「奴隷」に(写真9枚)
2014年8月、イラク北西部のシンジャルで大きな悲劇が起きた。過激派組織「イスラム国」(IS)が、シンジャル一帯の町や村を一斉に襲撃したのだ。住民の多くは、少数宗教ヤズディ教徒だ。ISは住民に銃を突きつけ、イスラムへの改宗を受け入れなかった男たち1000人以上を次々と殺害。3500人を超える女性や子どもを「戦利品」などとして拉致していった。
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ISによるシンジャル襲撃から一か月後、私はイラクに入った。シンジャルとその一帯はISが支配を固め緊張が続いていた。殺戮からの逃れた数万のヤズディ教徒たちは、北東部のクルド自治区に逃れ、国内避難民となっていた。
一方、幹線道を閉ざされ、行き場を失った住民がシンジャル山に逃げ込んだ。炎天下の気温と途絶える食料のなか、息絶える老人や子どももあいついだ。山で孤立した住民は約1万といわれる。イラク軍、英米軍らの輸送機が投下した支援物資で命をつないでいた。私はシリア側からクルド部隊・人民防衛隊(YPG)に同行し、ISの前線地域を抜けて、シンジャル山に入った。
ISはシンジャル制圧直後、宣伝映像を公開。「ヤズディは悪魔崇拝の邪教」「イスラムに改宗した住民は手厚く保護」などと主張した。だが、脱出住民の証言では銃を突きつけ改宗を迫り、見せしめで銃殺。見せしめに首を切り落とすなどしたという。また逃げようとした住民も殺害されている。
◆ヤズディ教徒はなぜ狙われたのか
ヤズディ教は、ゾロアスター教やイスラム教、キリスト教などの影響も受けた少数宗教。おもにイラク北部の町や村にコミュニティがある。クルド語を母語とし、イラクでは、約60万とされる。フセイン政権時代には、反体制的なクルド系として危険視され、村落破壊などの迫害を受けた。ヤズディ教は太陽や孔雀天使を崇拝する。このため、過激なイスラム主義者からは「邪教」「悪魔崇拝」などとみなされ、繰り返し激しい攻撃にさらされてきた。
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2007年にはアルカイダ系組織が、シンジャル近郊の町で自爆テロを起こし、400人におよぶヤズディ住民が死亡する事件が起きている。ISのシンジャル襲撃は突然起きたわけではなく、一連のヤズディ迫害と「邪教」扱いの延長で起きたものだった。
◆信仰を中心にしたコミュニティの絆
私がシンジャルを訪れたのは2012年7月。当時は、イラク軍とクルド部隊ペシュメルガが地域の治安維持にあたっていたが、幹線道ではたびたび武装組織の襲撃が起きていた。このため車には治安部隊の兵士に同行してもらって現地をまわった。
シンジャルはのどかで静かな町だ。だが、地元に産業はなく、土漠地帯に囲まれた地域では農産物も限られる。男たちの多くが、クルド自治区に出稼ぎに出て、建設現場や飲食店従業員として働いていた。
ある日、村の結婚式に招待された。その時、出会った新郎新婦がミルザとイヴァンだった。村人たち数百人が、2人の門出を祝福し、踊りの輪を囲んでいた。
あの結婚式から2年後の2014年、シリア・イラクで勢力を急拡大させたISは、イラク北部の大都市モスルを制圧、それに続いてシンジャルを襲撃した。あの時、幸せいっぱいだったミルザ・イヴァン夫婦はどうなったのか。ヤズディ教徒を襲った虐殺と拉致という未曽有の悲劇の事態をイラクとシリアで取材しながら、私は夫婦の行方を追った。
(玉本英子・アジアプレス 第1回了・つづく・全5回)