「イスラム国」に引き裂かれたヤズディ教徒(4)破壊され尽くしたシンジャル(写真12枚)
ISがシンジャルを制圧した2014年8月以降、町と村の奪還を巡って激しい攻防が続いてきた。IS襲撃前に地域の防衛にあたっていたクルド自治政府のペシュメルガ部隊、そして地域一帯に勢力圏を広げていたクルディスタン労働者党(PKK)だ。
クルド部隊の猛攻をうけて、シンジャルの一部地区から一時撤退に追い込まれたISだが、近郊のタラファルやバアジなどから援軍を送り込み、町をめぐって一進一退の状況が続いた。この頃、クルド人どうしの組織であるはずのペシュメルガとPKKの政治的対立関係が顕在化し、IS掃討作戦に影響を与えることとなった。
ミルザのペシュメルガ駐屯地にもISの一斉突撃がかけられたことがある。2016年秋、ISは爆弾を満載した装甲ブルドーザーを先頭に部隊が駐屯地に向け一斉突撃をはかったという。ミルザら、ペシュメルガ側は必死に応戦し、突撃を阻止した。シンジャルの町の一部は解放されても、近郊地域では、まだ戦闘が続いていた。
瓦礫だらけの廃墟のようになったシンジャル市内の大通りをミルザと歩く。
「ここは以前、妻のイヴァンとよくやってきてアイスクリームを食べたお店なんだ。町と人と思い出のすべてが、壊されてしまった」。
◆店のシャッターに「ヤズディ」と書き、焼き討ちに
屋根は崩れ落ち、シャッターはひしゃげている。シャッターにはスプレーで文字が書きなぐってあった。
「スンニ」「ヤズディ」「ヤズディ」「スンニ」…
ISはイスラム教スンニ派とヤズディ教徒の商店を区別し、ヤズディの店に火をつけるなどして破壊していた。
どの店がヤズディ教徒なのか、それを教えたのは地元の住民という。銃で脅され、ISに協力させられたイスラム教徒も少なくない、と地元住民は言った。ISの前で拒否できるはずもない。町のイスラム教徒も犠牲者だった。だがヤズディ住民のあいだには、「これまで一緒に暮らしてきたはずの隣人に裏切られた」という感情を抱き始めていた。
「たとえ町に戻れても、もう彼ら(イスラム教徒)を信じることができなくなってしまった」
ミルザは複雑な思いを打ち明けた。ISのシンジャル襲撃は、町を破壊しただけでなく、これまでともに隣人として暮らしてきた人びとの関係まで壊していた。
イラク、シリアでISは支配地域のほとんどを失った。有志連合の軍事支援もあって、ISは解体過程にあるという。だが、ISが引き裂いた人びとのコミュニティ、隣人関係を取り戻すのは容易ではない。「ISは終わった」かのように報じられるが、拉致された1500人を超える女性や子どもの消息はいまもわからないままだ。この戦争は、決して終わってなどいない。
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(第4回了・つづく・全5回)