《2024ドラフト候補》昨年の雪辱を果たす! ドラフトに向けて日渡柊太(富山TB)の進化が止まらない
■富山のクローザー・日渡柊太
昨年とは、違う。射るような眼、高らかな雄叫び、躍動する肢体…。
昨年も熱いマウンド、燃え滾るようなピッチングを見せていたが、今年はそれをはるかに“増し増し”にした、どこか鬼気迫るものを感じさせる。
富山GRNサンダーバーズ(日本海リーグ)のクローザー、日渡柊太投手だ。
今季は最速が154キロまで出ただけでなく、アベレージが150キロを超えるなど常時安定して速球が投げられてきた。さらに変化球の持ち球も変り、バージョンアップ。それぞれのキレが増し、精度も上がった。
大きく進化を遂げた日渡投手に、ドラフト候補としてNPB球団から熱い視線が注がれている。
■昨年のドラフト会議で・・・
今季は開幕時、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。昨年はどちらかというと人なつっこい笑顔でフレンドリーに接してきていたのだが、鋭い眼光を放つ日渡投手は尖ったナイフのような空気感を漂わせ、ギラギラとしていた。
昨季終了後、彼の中で大きな変化があったことは想像に難くない。その身にとてつもないできごとがあり、それによって気持ちが激しく揺さぶられたのであろう。
そのできごととは、NPBドラフト会議だ。複数球団から調査書が届きながらも、当日の指名はなかった。中継画面から次々と流れてくる「選択終了」の声と文字は、どれほど日渡投手を苦しめたことか。
「言葉で表すのは難しいですね。悔しいとか、そんなレベルじゃない。初めての感じっすね…」。
一緒にやってきたメンバーから3人が指名され、歓喜の輪ができている。伏せた目からは涙があふれ、その場からしばらく動けなかった。そして帰宅してからも眠れなかった。
それから1週間以上、何も考えられなかった。いや、考えないようにしていたのか。グラウンドを取っていたが練習にも行かず、退団したチームメイトと出かけたりしていた。
しかしそれも、時が解決した。日が経つにつれ、次第に気持ちが落ち着いてきた。冷静に考えれば、大学4年時に内転筋を痛めた影響でオフはろくなトレーニングもできず、シーズンインしていた。
「体もできていない中でやっていた。そりゃ指名漏れも当然か」と思い至り、「どこか、行けると期待していた」という己を恥じた。
すると、自然と前を向けた。
そして思い出したのが、ドラフト直後の松原快投手の言葉だった。松原投手自身も独立1年目で指名漏れし、奮起して取り組んだ2年目の昨年、阪神タイガースから育成1位指名を受けた。
会場でずっとうつむいていたところ、「俺もそうだったから。でも負けんなよ。先に行くだけだから」と、そっと肩に手を置き、話しかけてくれた。
そのときは何も考えられず受け止められなかった言葉が、落ち着くとよみがえってきたのだ。日渡投手は、自身の中にふつふつとやる気が湧き上がってくるのを感じた。
ここから始まった日渡投手のドラフト指名に向けての進化。では、その道程を振り返ろう。
■Chapter1:徹底的なウエイトトレーニング
まず見直したのはオフの過ごし方だ。体を作り直そうと、ボールを投げることよりも徹底してウエイトトレーニングに取り組んだ。どんなにしんどくとも、“あの日”の気持ちを思い起こすと、体が動いた。
ウエイトの重量も上がっていき、「実家におるときは1週間に1回くらい母さんに、パンイチでポーズ決めて写真を撮ってもらって、大きくなった過程を見たりしていました(笑)」と、どんどん体が大きくなるのが楽しくなった。
■Chapter2:キャッチボールでのフォーム改善
2月になると、千葉ロッテマリーンズのキャンプに練習補助のアルバイトに行った。近年、どこのNPB球団も独立リーガーを受け入れている。マリーンズでは選手の個別練習が終わったあと、帰りのバス(午後6時)まではグラウンドを自由に使わせてくれる。
そこで日渡投手は一緒に行っていたチームメイトの瀧川優祐投手と毎日キャッチボールをした。地元では寒すぎてほぼ投げていなかったが、温暖な南の地では体がよく動く。全力のキャッチボールを繰り返した。
このキャッチボールには、フォーム改善の意図もあった。昨年のアウトステップを矯正したかったのだ。
「左足の着く位置がけっこう開いていて、体重をまっすぐ前に伝えきれていなかった。シーズン最初よりどんどん開いていって、最終的に(足の横幅)2足分は開いてたんじゃないですかね」。
シーズンの蓄積疲労もあってどんどん悪化していった。だが、直したくとも昨年の体では、どんなに意識しても直せなかった。
ところが、キャンプ地で始めたキャッチボールでは、意外にも意識さえすれば労せず修正することができた。しっかりと体を作ったこと、暖かくて動けること、さらにオフにあまりボールを投げなかったこと。それらが相まって、新しい自分になって投げることができたのだ。
瀧川投手にも意見を仰ぎながら毎日約30分間、とことんキャッチボールに費やした。もちろんウエイトトレーニングも自らジムに行って継続していた。
1カ月間のキャッチボールでアウトステップはもう過去のものとなり、新しいフォームがしっかりと身についた。「2月のキャンプがデカかった」。大きなおみやげを手にし、富山に入った。
■Chapter3:プレートの踏む位置
キャンプから帰り、3月8日にチームで集合した。まだまだ寒かったが、「最初のキャッチボールは思ったように投げられていました。いい感覚が残っているわと思いながら」と、やはりしっかりと自分のモノになっていた。
1週間後にブルペンに入ったときもまっすぐに踏み出せており、「やりたいように体がうごかせている」と実感した。
2度目のブルペンに入ったときだ。吉岡雄二監督と島崎毅投手コーチから提案があった。それまではプレートの一塁側から投げていたが、「上(NPBの1軍)で活躍することを目指してやるなら、角度が出るように三塁側にしたほうがいい」とのアドバイスだった。
もともとは三塁側だったというが、大学2年時に肩の手術をして復帰したとき、「角度がある分、怖くて投げにくかった」と、投げやすい一塁側に変えたのだ。
吉岡監督も決して強制はしない。ただ日渡投手がステップアップするためには、それが最良だと考えたのだ。もちろん、ドラフトも見据えてのことだ。
自分を高めるために挑戦することは厭わない。さっそくトライした。
「ちょっとずつ変えていきました。真ん中から投げて、徐々に…。最終的につま先が三塁側のプレートの端にいけばいいかなと思って。そこも投げてみての戦いでした」。
ブルペンでいろいろと試しながら投げるうちに徐々に感覚もつかんでいき、三塁側から投げることのよさも実感できるようになっていった。
■Chapter4:オープン戦で苦戦
しかしオープン戦では、苦戦を強いられた。まずは角度をつけて投げられるようにと、ほぼストレートしか投げなかったが、どうしても真ん中に集まる。
「やっぱ角度が全然違うんすよ。一塁側から左のインコースに投げられていたボールを三塁側から投げると、全部真ん中に入っちゃう。いつも投げていた感覚で投げると、移動した何センチか分、ズレるんです。それがちょうど真ん中なんすよ。そこを投げきるのが難しくて…」。
オープン戦は“本番”を迎える前の調整の場だ。吉岡監督も島崎コーチも「対角線にしっかり投げきれるようになったら、勝手に球速も上がってくる。このボールが絶対に生きてくるから。打たれてもいいから」と辛抱強く待ってくれた。
■Chapter5:開幕3試合で9失点(自責は8)、防御率は24.00!
日本海リーグは5月5日、金沢市民野球場で開幕した。2点リードの九回は、クローザーを拝命した日渡投手の出番だ。石川ミリオンスターズの代打攻勢に1点を失ったが、なんとか逃げきった。
2戦目の同11日(ボールパーク高岡)は2点ビハインドで登板し、4失点(自責は3)して点差を広げてしまった。被安打4のうち3本が長打だった。
3戦目の同18日(高岡)、10-1の大量リードでの登板は、先頭に死球を与えたあと3連打に続いて2つの押し出し四球、犠飛で4失点。昨年の日渡投手を知る人には、想像もできないであろう惨状だった。
「ボールはほぼ真ん中だったんじゃないかな。でも、やっていることを出すことだけでした。最終回は勝たせることしか僕の役割はないから。3戦目も点差が開いてるのに投げさせてもらって、失点したけど監督も代えずに投げきらせてくれて、ありがたかったです」。
自身のピッチングを確立させたい。しかし、チームの勝利のために結果も出さねばならない。その葛藤のなかで、まさに“生みの苦しみ”を味わっていた。
この3試合(3回)で被安打9、与四球4、9失点(自責は8)。防御率は24.00になった。目を覆いたくなるような数字だが、これが後々まで響くことになる。
■Chapter6:いよいよ「これだ!」が訪れた
4試合目からは0で抑えられるようにはなってきた。だが、日渡投手の中ではまだしっくりきていなかった。
球速も自己最速を更新する154キロを記録するなど、表示はずっと150キロを超えていたが、本人には出ている感覚はなかった。ガンが示す150キロ超と自身の体の感覚は乖離したままだった。
しかし、それでも5試合連続で無失点を続けた。
6試合ぶりに失点したのが6月20日(金沢)だ。1死一、三塁から右翼線に2点タイムリーを許した。だが、このときだ。「あれ?なんか感覚が出てきた」と感じた。
「打たれたけど、投げきれていたボールだったんで全然悪くないなと思った」。
納得の1球だった。
そして、次戦の同25日(金沢)に2奪三振で三者凡退に抑えた。「出ました、『これだ!』みたいなのが。バッターの反応も違っていた」と、たしかな手応えをつかんだ。球速表示の153キロも、体の感覚と一致した。
「やっと、そこのギャップがなくなりました。三塁側から左のインコースに投げ込める割合も高くなりました」。
苦しんだ。しかし、やり続けた。それがようやく形となって花開いた瞬間だった。
■Chapter7:島崎毅コーチのドリル
オフに体を作れなかった昨年は、シーズン終盤にヘバり、アウトステップもひどくなっていった。
しかし今年はしっかりと作り上げた体で臨んだこともあり、「全然、大丈夫でしたね。気がついたらシーズンが終わっていました、疲れることなく」と笑う。
もちろん気をつけてはいたが、島崎コーチから与えられたドリルも奏功したという。
「無駄な力なく、しっかり前に力を伝えられるように」というドリルで、「正面を向いて、そのまま普通にただステップして投げるだけなんです」と、昨年のような後ろに一旦体重がかかることもなくなった。
「“ここで投げる心地よさ”っていうのがわかって、その気持ちよく楽に投げられるところを体に覚えさせる。投げるときに活かすって、こういうことだったんだとわかりました」。
さらに、昨年は投げるときに折れるのが気になっていた右膝も、体の使い方を知ることで自然と直すことができた。
百戦錬磨の島崎コーチの引き出しが、未知の世界を見せてくれた。
ネットなどで多大な情報があふれている昨今だが、「結局、島崎さんのシンプルなドリルが一番わかりやすかったっすね。体が勝手にそうなった。島崎さんが来てくれたことは、めちゃくちゃ大きい。濃いっすね、今年の1年は」と、最も自分に合うものに身近で出会えたことに声が弾む。
「プロの第一線で活躍した人は、やっぱ違うんすよね」。
かつてパ・リーグ初の最優秀中継ぎ投手に輝いた師匠を、ただただ尊敬する。
以上のように、昨季終了後から今季へと日渡投手は大きく飛躍した。
今年目指してきたのはドラフト指名だが、それも育成ではなく本指名だ。その心意気は、日渡投手のピッチングから十二分に伝わってきた。
次回は今年の球種や成績、ある選手との関わりも含め、ドラフト会議を迎える日渡投手の心境に迫る。(続く)⇒「《2024ドラフト候補》阪神・松原快からの系譜を受け継ぐ日渡柊太(富山TB)が後輩たちに見せる姿」
(撮影はすべて筆者)
【日渡柊太(ひわたし しゅうた)*プロフィール】
2000年10月16日(23歳)
176cm・80kg/右投右打
市立岐阜商業高校―中部大学
岐阜県出身/背番号14
最速:154キロ
球種:ストレート、カットボール、スライダー、フォーク
【日渡柊太*今季成績】
28試合/2勝0敗5S/防御率4.03
29回/被安打21/被本塁打1/奪三振30/与四球8/与死球1/暴投4
失点14/自責点13/奪三振率9.31/WHIP1.00/K/BB3.75
【日渡柊太*関連記事】
*日本海リーグ、人生を懸けた3番勝負は巨人3軍戦! 京本眞に抑え込まれる中、アピールしたのは誰だ!?
*阪神タイガース・ファームに勝利した日本海リーグ選抜! ドラフトに向けて猛アピール!
*《2023ドラフト候補》“えぐい高速カットボール”の使い手・日渡柊太(日本海・富山)、その進化の軌跡