甲子園球場で登板した謎の美女は誰だ!? タイガースジュニアか?タイガースWomenか?その正体は…?
■阪神タイガースの「NAHO」とは?
150cmにも満たない小さな体に、あどけなさが残る童顔。練習着には「NAHO」と背ネームが入っている。
阪神タイガースのファン感謝デーの後、甲子園球場のマウンドから登板する姿を見たタイガースファンの間でも話題に上っていた。「あのかわいい女のコはいったい誰なんだ!?」と―。
そこで行われていたのは阪神タイガースジュニア2024の練習だった。
タイガースジュニアでのセレクションにはじまり、練習や練習試合での姿がひときわ目を惹くこの女性。打撃練習では何百球も投げ続け、守備練習ではノックを打つ。練習の前後には重い荷物を運び、練習試合ではスコアをつける。
そう。彼女の正体はタイガースジュニア史上初の女性マネージャーで、名前を角 菜帆(かく なほ)さんという。“本業”はタイガースの野球アカデミーのコーチである。
タイガースアカデミーのコーチはおもにタイガースOBや阪神タイガースWomenの選手が務めているが、角さんはWomenのメンバーではない。しかし、投げて打ってという動きは、野球経験者であることが一目瞭然だ。はたしてどのような経歴の持ち主なのか。
角さんを深堀りした。
■タイガースジュニアの実習からタイガースアカデミーのコーチに
きっかけは昨年のタイガースジュニア(以下ジュニア)だった。ジュニアでは毎年、大阪リゾート&スポーツ専門学校の学生に、ウォーミングアップやクールダウンの指導や練習補助など、トレーナーとしての現場実習の場を提供している。角さんもその1人として昨年、ジュニアの現場にやってきた。
同校の学生同士で3人組となってアップやダウンのメニューを考え、初めて人前で指導した。そして野球経験のある学生が打撃投手も務めることになり、高校時代に硬式野球をしていた角さんも自然な流れで投げることとなった。
11月も終わりかけようとするころだ。ジュニアの中村泰広代表から「もう就職は決まっているの?アカデミーコーチはどうかなと思って」と声をかけられた。だが、すでに横浜での就職も決まっていたため、その話は一旦頓挫した。
「アカデミーコーチって…?」
気になって関係者に尋ねると、タイガースが運営している野球教室で子どもたちに野球を教える仕事だということがわかった。となると俄然、やりたくなった。そもそもが野球界で働くことを希望していたのだ。
当初「関東に行きたい」と望んでいた角さんに横浜の就職先を斡旋してくれた先生には、正直に打ち明けた。すると先生は「俺でもそっち行くわ」と、野球界で働きたいという生徒の気持ちを尊重し、内定辞退することを了承してくれた。
それからタイガースアカデミー(以下アカデミー)の見学に行き、「楽しそうだな」と感じるとともに、しっかり野球の基礎を教えるというところにも惹かれ、コーチとして勤めようと決意したというわけだ。
■本当は野球がやりたかった小中学時代
では、そこに至るまでの野球との関わりを振り返ってもらおう。
岐阜県出身の角さんはお兄さん2人の3人きょうだいの末っ子で、3つ上のお兄さんがしている野球を自身もしたくなった。だが「男子の中で女子1人で入ってやるのが嫌で…」と野球は断念し、小学2年からソフトボールを始めた。
中学に上がるときにも「野球がやりたい」と思いつつ、やはり女子1人というのは気が進まず、ソフトボールを続けた。だが、ちょうどそのころ、岐阜第一高校に女子硬式野球部ができると知り、高校からは野球ができるという希望に胸を膨らませていた。
読売ジャイアンツの坂本勇人選手に憧れていた角さんは、ソフトボールでのポジションはピッチャーとショートだった。
「坂本選手のプレーのこなし方とかが好きで、バッティングフォームも全部真似して、『なんでソフトボールで足上げんねん』って言われていました(笑)」。
ソフトボールをやりながらも「やっぱ、どこかですっと野球したいっていうのがあったんで」と、高校で野球部に入ることが楽しみでしかたなかった。
ところが中学3年の11月、体験会に行って衝撃を受けた。「ボールが全然飛ばないんです。ソフトボールより小っちゃいボールだから飛ぶだろうって思っていたのに…」。マシーンでのフリー打撃では、打っても打ってもショートフライにセカンドライナーと、思っていた以上に飛ばなかったのだ。
「これはやばいな」と焦りを感じ、そこから高校入学まで地元で練習した。高校で硬式野球をする中学3年生を集めて夜に練習しているところがあり、そこに入れてもらった。周りは全員男子で、男子と同じメニューをこなしたが、そのころはもう男子の中に1人交じってやることに抵抗はなくなっていた。
■岐阜第一高校時代
みっちりと練習して、晴れて岐阜第一高の女子硬式野球部に入部した。もちろん「いける」という手応えをもって…。
するとまた、打ちのめされた。
「入学式の日が初練習で、1年生だけでシートノックしたときにセカンドをやったんですけど、みんなレベル高って思って。ちょっとナメてたんです、女子を。硬式やってた子とか男子の中でやってた子とかばっかで、みんなうまいんですよ。うわ~ってなりました」。
男子との練習でほんの少し芽生えた自信がガラガラと音を立てて崩れ、落ち込んだ。
1年時は「もう陸上部です。ほぼランニングみたいな感じで」と、実戦より走るメニューのほうが多かった。ポジションはセカンドから始まりショートに移ったが、どのポジションも飽和状態で、なかなかレギュラーが掴めなかった。
2年冬になり、監督が代わった。すると「ピッチャーやらんか」と声をかけられた。もともと肩も強く、周りからも「投げ方的にピッチャーのほうがいいんじゃない?」と言われていたこともあり、自ら「ピッチャーをやりたいです」と言おうと思っていた矢先のことだった。
「内野をやっていたときより楽しかったです。やっぱりピッチャーって、自分が投げないと(ゲームが)始まらないんで、そういう“動かす”っていうのが楽しかった。投げることがまず好きだったんで、それでもう『楽しいなぁ』って」。
水を得た魚のように、嬉々として投げ込んだ。
ところが3年生になった5月ごろからストライクが入らなくなった。投げる予定だった試合のメンバーから外され、友だちに受けてもらって泣きながら練習した。
「そんなに球も速くないんで、変化球でやっていかないといけないけど、その変化球が入らないんですよ」。
監督からも「よくなったら(メンバーに)入れるから」と言われ、居残り組で必死に汗を流す日々だった。だから高校時代は「悔しい思い出のほうが多いです」と振り返る。
■先生のおかげ
かつては女子プロ野球選手を目指していた。しかし「その夢は高1の時点で消えていったんです。レベル的に無理だと思って」と、冷静に己の力を悟った。
そして高校3年になるころ、「スポーツを裏で支える仕事もいいな。スポーツに携わる仕事がしたい」とおぼろげながら進む道を見つけた。そこで、「野球のトレーナー」を視野に入れて専門学校に入学した。
そこでタイガースと出会うわけだが、実は当初、ジュニアでの実習参加を拒んでいたという。それも強固に、頑なに。
「野球をしていたことや野球の仕事に就きたいことも言ってたんで、先生に『行かんか』って言われたんですけど、『あ、大丈夫です』って(笑)」。
その先生は何度も何度も根気よく勧めてくれたが、その度に断っていた。その理由とは、実習後にリポートを作成して全先生の前で行う成果発表が嫌だという単純なものだった。
しかし、先生の「マジでこれ行かんかったら後悔するぞ」という言葉に折れ、しぶしぶジュニアでの実習に参加した。
終わってみれば一転、「超楽しかった。ほんとになんで最初、断っていたんだろうってくらい、参加してよかったって思いました(笑)」と、勧めてくれた先生にただただ感謝するばかりだ。「先生がいなかったら、今ここにいないんで」と頭を下げる。
角さんが野球界で働きたいと希望していたのを知っている先生としては、彼女が野球界と関われる機会になると考えてのことだったのだろうが、まさか阪神タイガースに入ることになろうとは…。ここまでの展開は、さすがに先生も予想外だっただろう。
しかし、先生が結んでくれた“球縁”であることは間違いない。
■タイガースアカデミーのコーチとして
現在、アカデミーのコーチとして、下は幼稚園から上は小学6年までを対象に、1日4コマを月曜から金曜までの5日間、日々違う校で教えている。つまりクラスの数にすると20クラスということになる。
1人の生徒とは週に1度しか会わないわけだから、名前や性格を覚えるまでが大変だろう。
「4月は(名前入りの)ユニフォームがまだでき上ってないから、養生テープにマジックで名前書いて、胸に貼ってもらっていました(笑)。全員の名前を覚えるのに2ケ月くらいかかりました」。
幼稚園生は女子コーチが中心に教えるが、「最初は泣く子とか、きょとんって立ってる子とか、全然しゃべらない子とか…」と野球を教える以前の状態で、苦労が窺える。
しかしその反面、喜びも大きいという。
「投げ方もわからなかった子がめっちゃ投げられるようになったり、打つのも全然当たらなかった子がホームランをバンバン打てるようになったり、『コーチ』『コーチ』って言って走ってきてくれたり…。教えたら、やろうやろうって頑張ってくれるので、それが一番かわいくて嬉しいです」。
充実感が、その表情に表れている。
上達は野球だけではない。たとえば「ケンケンができない子がいて、最初はアップでケンケンやるときに泣いていた子が、最近は自分から『ケンケンやろう』って言ってきてくれて…」ということもあり、その成長に感動する日々だ。
ただ、「教える」というのは非常に難しい。とくに年齢が低い生徒に対する言葉の選び方に苦心しているという。
「どうやって子どもに伝えたらわかりやすいのか。難しい言葉はわからないし、簡単にわかりやすく教えるには、どうしたらいいのか。周りのコーチが教えているのを盗み聞きして、そういうのを真似したりしています」。
とくに浅野桜子コーチ(阪神タイガースWomenを今秋引退)からは学ぶことが多々あるという。
「持っている知識もすごいし、わかりやすい教え方がすごく勉強になります。桜子さんが教えていたら、その近くに行って聞くようにしています」。
いいと思うものは何でも吸収し、自身の引き出しにしている。
■タイガースジュニアでのマネージャーという任務
ジュニアではマネージャーという立場だ。昨年も学生トレーナーとして関わっていたジュニアだが、立場が変わった今年は勉強になることが多いという。
「去年はアップとかのことで頭がいっぱいやったんですけど、今年はセレクションから見させてもらっていて、自分が野球を全然知らないんだなっていうのを思い知りました。監督やコーチが教えていることを聞いて、なるほどなっていうことがすごくあるんです」。
いちファンとして見てきたプロ野球とも、プレーヤーとしての女子高校野球ともまた違う。サイン一つ、配球一つ、どれを取っても勉強になることばかりで、あらためて野球の奥深さに感じ入っているという。
これまで書いたことのなかったスコアも、マネージャーとして覚えることにした。本を購入して覚え、YouTubeでプロ野球の試合を見ながら書く練習をし、ジュニアではセレクションの紅白戦からつけて徐々に慣れていった。
「自分でメモを作ったんですよ。このときはこう書くというのを、ひと通り紙に書いたんです。それを書いたことで一気にポンって頭に入りました(笑)」。
もともとプレーヤーなだけに、覚えるのも早かったのだろう。
スコアをつける以外にも、冒頭に記したように打撃投手やノッカー、準備や片付けなど、大忙しだ。
また、ジュニアの女子選手の2人、福家一花選手と神田莉湖選手にとっては憧れの存在でもある。角さんを挟んでキャッキャと盛り上がっているところは、姉妹のような仲のよさで微笑ましい。
■コーチとしてのスキルアップと野球振興に尽力
角さんは語る。
「今は、ずっとアカデミーコーチを頑張ろうって思っていて、周りのコーチ全員が目指す人物像です。子どもたちが教えたことを試合で活かしてくれるように、子どもたちの中で印象に残るコーチになりたいです」。
“コーチ道”をどんどん追求していきたいと、瞳をキラキラと輝かせる。そして、なにより「野球を楽しんでほしい。野球を好きになってもらうことが一番です」と白い歯をこぼした。
近年、高校や大学の女子硬式野球部は年々増えているが、卒業後にも続けるとなると困難だ。かつてあった女子プロ野球は休止し、現在はクラブチームしかない。阪神タイガースWomenの所属選手もみな仕事をしながら野球に打ち込んでおり、野球で食べていけないのが現状だ。
女子野球選手の進む道として、このような形で野球に携わっている角さんのケースはレアだ。角さん自身がジュニアでの実習で一生懸命に取り組んだことで道が開けたことはもちろんだが、なによりも野球振興に力を入れているタイガースだからこそでもである。
「来年からタイガースには野球振興室が新たにできますが、そういう球団に入れた自分はすごく恵まれているなって思います。これから野球人口を増やして、女の子も小学校から野球ができるような環境作りも自分たちがしていかないとなというのはあります」。
意識を高く持てるのも、幼いころの経験が思い出されるからだ。男子の中に女子1人で入れず野球ができなかった、そんなかつての自分のような子をなくし、男女ともに楽しく野球ができる環境に―。
体は小さくとも、角菜帆さんの中には大きな夢がぎっしり詰まっている。
【角菜帆(かく なほ)*プロフィール】
生年月日 :2004年3月15日(20歳)
身長 :149.8cm
投打 :右投右打
ポジション:投手、内野手
経歴 :岐阜第一高校―大阪リゾート&スポーツ専門学校
出身 :岐阜県
資格 :公認野球指導者資格(U-12、U-15)
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(表記のない写真の撮影はすべて筆者)