3連続奪三振の圧巻デビュー!富山の日渡柊太(岐阜商―中部大)、あいみょんに刺激を受けて再び夢を追う
■激アツの三者連続三振
圧巻の3連続奪三振だった。
日本海リーグの開幕戦(4月29日)で用意された“初舞台”は2点リードの七回、無死満塁の場面だった。先発・瀧川優祐投手のあとを継いだ日渡柊太(ひわたし しゅうた)投手の表情からは、ピンチの気負いはまったく窺えない。
最初の相手は石川ミリオンスターズの超長距離砲、ベテランの宮澤和希選手だ。カットボールから入って見逃しストライク、ストレートを2球続けてカウント1―2と追い込むと、仕上げはカットで空振り三振に仕留めた。
続く大谷和輝選手にはカット、ストレートの2球で追い込んで、147キロで見逃し三振。倉知由幸選手もカット2球で追い込み、最後はサインに首を振ると高めのストレートを振らせて、三者連続三振を完成させた。
3つ目の三振を奪った瞬間、投げた勢いでくるりと一回転し、軽く右拳を握って小さく吠えた。ラストボールはこの日の最速149キロだった。
わずか10球の“奪三振ショー”に、スタンドは一気に魅了された。新生リーグに期待の新星が現れた。
■自称カットボール
三振は常に狙っているという。「前に飛ばされるのが、なんか悔しい。飛ばされたら負けだな、くらいに思っている」と不敵な笑みを浮かべる。
強気だ。臆せずインサイドにズバズバ投げ込めるから、コースを幅広く使える。変化球でストライクがとれ、なによりゾーンで勝負できる球威とキレがある。
持ち球は自己最速153キロのストレートにカットボール、スライダー、チェンジアップ。この日投げた変化球はカットのみで、スライダーとチェンジアップを使うことはなかった。スライダーに見えるが、本人的にはカットボールだという。
いきなり無死満塁での登板となったが、「ブルペンで作ってたんで見てなくて。状況は聞いてたけど、マウンドに行って『満塁だなぁ』みたいな感じだった」と、飄々としているところも頼もしい。ただ、先発の勝ちを消さないようにと、それだけは考えていた。
「石川の選手と対戦するのも初めてだったので、どれくらい通用するか」と、持ち味であるストレートを試したいという気持ちが強かった。集中していたからか、スタンドのどよめきも耳に入らず、ひたすらキャッチャーだけを見て投げた。
■けがの功名
申し分ないデビューを飾った日渡投手は岐阜県出身の22歳。岐阜商業高校から中部大学に進み、この春、富山GRNサンダーバーズに入団した。
小学生のときはショート、中学生になってセカンドを守り、高校に入るとピッチャーを希望したが、やはり最初は二遊間で、たまに兼任でピッチャーをする程度だった。ようやくピッチャー専任になったのは高校2年の秋からだが、しっかりとエースの座に就いた。
挫折を味わったのは大学2年のときだ。痛みで肩が上がらなくなり、検査をしたところ、大きなガングリオンができて神経を圧迫していることがわかった。
実は高校生のころからかすかに痛みはあったが、当時は関節唇を損傷しているのではないかと言われていた。しかし高校3年で引退して投げずにいる間に痛みは治まっていたので、そのまま大学に入ってまた投げることができた。
ところが大学1年のシーズンが終わったころに急に痛みがぶり返し、検査をするとガングリオンが発見されたのだ。
大学2年の5月に手術をした。「それと、肩のクリーニング手術もしました。ピッチャーだったら誰でも“ボサボサ”になってるらしくて、そこもきれいにしてもらいました」。“ボサボサ”の内容を訊いたが、本人にも詳しくはわからないようだ。
術後1年間はリハビリに費やした。そして復帰できたのが大学3年の5月。しかし“けがの功名”で68キロだった体重が10キロ増え、球速も一気にアップした。リハビリトレーニングをしっかりやった証しだ。
フォームも変え、新しいスタイルを身につけた。
■あいみょんが教えてくれた
新しいスタイルで手応えをつかんだかと思われたが、大学4年春のリーグ戦後、監督から「プロは厳しいだろう」と言われ、社会人もしくは独立リーグに進むことを勧められた。プロ入りの目標を掲げて大学に入学した。大学からプロが無理ならば、もう硬式野球は辞めて地元企業の軟式野球チームに入ろうと決めた。「もったいないよ」という声もあったが、この時点では気持ちは萎えていた。
その後の7月だ。友人に誘われ、愛知のガイシホールで行われたあいみょんのライブに行った。もともと好きでよく聴いていたが、生歌を聴くと心にずしりと響くものがあった。
「めちゃくちゃ感動して、夢を追いかけてかなえている人って、めっちゃカッコいいなと思った」。
歌手になるという夢を実現したあいみょんに、自らを重ね合わせた。そして、心の奥底に眠る思いに問いかけた。
「本当にいいのか。プロ野球選手になりたいんじゃないのか」と―。
自分の気持ちを確認した日渡投手は、野球部の監督に思いの丈を打ち明けた。監督には「お前はどうしたいんだ?硬式を辞めて軟式に行くって言ったかと思えば、また急にプロを目指してやるって。お前は自分がないのか」と厳しく叱責された。監督の言うことはもっともだと、自分でもわかっている。
それでも大学に入る前に決めた「4年間やりきってプロ志望届を出す」という目標はやり遂げたかった。「最後までやりきりたいです!」と伝え、最終的にはその気持ちを理解してもらった。
■夢をもつことの素晴らしさを伝える
ドラフト指名に向けてアピールしようと、意気揚々と秋のリーグ戦に向かった。しかし、ここでまた試練が訪れる。最後の練習試合で右の内転筋を痛めてしまったのだ。その影響もあってリーグ戦では満足な投球ができず、思うような結果は残せなかった。
NPB球団からの調査書も届くはずもなく、ドラフト当日は「かかる可能性はないから」と家にいたが、やはり名前が呼ばれることはなかった。
「このままでは終われない」―。
夢を追い、かなえることを誓った日渡投手の目は、すでに次のステップに向いていた。もう迷わない。いくつかの誘いがあった中、独立リーグ(日本海リーグ)の富山からNPBを目指そうと決意した。
そして、いよいよ第一歩を踏み出した。三者連続三振という日渡投手の熱球もあり、チームも開幕戦に勝利した。
ヒーローインタビューに呼ばれた日渡投手は初めてファンの前で肉声を発したが、やや天然なところも披露してしまった。しかしそのギャップもまた魅力のひとつで、早くもファンの心をつかんだようだ。
夢を追い、かなえることのたいせつさを思い出させてくれたあいみょん。今度は自分の番だ。NPBに入って自身の投げる姿で多くの人に伝えるのだ、夢をもつことの素晴らしさを。
*次回は日渡柊太投手のフォームのことなど、お伝えする。⇒(「俺もプロになる」と誓ったあの日の決意を実現する)
(写真提供:富山GRNサンダーバーズ)
【日渡柊太(ひわたし しゅうた)】
2000年10月16日/岐阜県
175cm・72kg/右・右
市立岐阜商業高校―中部大学
最速153キロ