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ウイズコロナ下の深センの今(上)…Ideaportの鈴木陽介氏に聞く。

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
コロナ禍にある深センのDJIショップの様子(写真:ロイター/アフロ)

 筆者は、昨年9月、中国で今最も注目すべき戦略的発展地区・大湾区を訪問し現地調査を行った(注)。その一環として、一昨年に続き、昨年も、驚異的発展を遂げる未来都市ともいうべき深センにも再訪した。

 その際に、深センで成功している日本人の数は少ないが、深センの起業家の1人といわれる「アイデアポート・グループ(Ideaport Gr.)」創業者CEOである鈴木陽介氏にお会いし、その後もSNSなどで連絡を取り合っていた。今回も、鈴木氏と連絡がとれ、深センの状況について教えていただいた。その情報は非常に貴重なものであり、現在コロナ禍で大きな打撃を受けているが、既に中国とのビジネス展開をしていたり、今後その可能性を考えている方、またイノベーションなどの観点から深センに関心ある方々など多くの方々にも大変参考になると思われるので、2回に分けて、鈴木さんへのインタビュー記事という形式でお届けする。

[中国におけるコロナ禍について]

(鈴木崇弘、以下「TS」と称す) 昨年末から中国武漢市に端を発する新型コロナウイルスの感染が急速に拡大し、中国のみならず世界に広まりました。世界では、特に欧米や南米などでは、いまだ感染が収まらず、それどころか拡大してきています。このために、自粛などによって世界経済が大打撃を受けてきています。

 他方、中国は、コロナ禍の影響を早い段階から受けましたが、その対抗策として、政府は厳しい対応をとり、今年の比較的早い時期にロックダウンし、コロナ禍を抑制することにある程度成功し、経済も2月から4月ぐらいはかなり影響は受けましたが、その後急速に回復してきているように見えます。

  

(鈴木陽介、以下「鈴木」) まず「中国武漢市に端を発する」という言葉は慎重にした方がいいと考えています。現時点では最終的にどこが最初か明確になっていません。これはアメリカの謀略だとか、中国の策略だとかそういう話ではなく、仮に中国国内が発端だとしても、最初が武漢だとは限らないからです。

 というのも、1月23日に武漢が閉鎖になりましたが、そこからの動きはあまりにも迅速過ぎます。私は、1月23日当日はたまたま香港に日帰りで行って帰ってきたのですが、夜に羅湖イミグレ(入管)から入って地下鉄に乗ろうとしたら既に地下鉄で検温が開始されていました。後で聞いたところでは数日前に開始されていたとのことでした。

 これはだいぶ後になってから聞いたのですが、深センでも1月上旬の時点で新型コロナが結構広まっていたようですが、当時は何が起きているのかよくわかっていなかったようです。だからこそ、「これは新型コロナウイルスだ。」と判明してからは、深セン市政府も迅速な対応をしたのだと考えています。その頃、深センから戻って来た香港人も何人か感染しているというニュースを耳にしました。つまり、武漢に行っていない人でも感染した方がいたということです。

 これらを考えると、ウイルスが武漢で拡大したのは間違いないと思いますが、発端がどこかはまだわかりませんし、今後も解明されるかどうかわかりません。明確な政治的意図があって書くのなら個人の自由ですが、そうでなければ、コロナに関する表現は慎重にされた方がいいと思います。

 蛇足ですが、今回の新型コロナウイルスのことを、「『新型コロナウイルス』や『COVID-19』なんてオブラートに包むんじゃなくて、ちゃんと『武漢ウイルス』と言うべきだ」という意見を耳にしますが、これはとんでもない話だと思っています。

 たとえば、来年になって、東京で発症起源が不明の新型何とかウイルスが広まって、それを「東京ウイルス」と名付けられたら、東京に住んでいる方や日本人はどのように思うでしょうかね?同じように、たとえば「ニューヨークウイルス」と言われたら、ニューヨークやアメリカの人たちはどう思いますか?正直いって、そう呼ばれる側の立場や意識まで考えて発言しているとは思えないのです。

 相手を攻撃すると、大抵の場合ブーメランとして返ってくるものです。そもそも苦しんでいる人たちに対する思いやりがないと思います。100年前の「スペイン風邪」というネーミングなんて、本当にヒドイ話だと思います。今は当時とは時代状況が大きく違いますし、冷静に考えてみれば、「新型コロナウイルス」や「COVID-19」などの無機質なネーミングでいいと考えています。

(TS) そうなのですね。ご説明ありがとうございます。ところで、鈴木さんは、その時期にも、中国にいらっしゃったんでしょうか。

(鈴木) 1/1に台北、香港経由で深センに戻ってきて以来ずっと中国です。その後、1/9に香港日帰り、1/10~12まで広州・仏山出張、1/23に前述のとおり香港日帰りしてからは、1/24以降はずっと深センです。

 なぜそのことを鮮明に覚えているかというと、2月に深セン在住者全員に対して、スマホアプリで、そのような移動に関する情報を提出するように深セン市政府から求められ、自分で記録を調べ直したからです。でなければ、香港であっても普段はハンコ無しで行き来しているので、数ヶ月もすればいつ行ったかわからなくなっていたはずです。

 話を戻しますが、1/24~現在に至るまでは、深センに近い東莞南部の工場には何度か足を運んでいますが、SIMカードの記録でも深センと表示されるくらい深センに近い場所ですので、そういう意味では、1/24以降深センから一歩も出ていないと言ってもほぼ差し支えないと思います。

[コロナ禍の現状について]

(TS) なるほど、コロナ禍が本格的に始まってから、ずっと中国にいらっしゃったんですね。2、3月ごろからの中国の状況を教えてください。特に鈴木さんのビジネスの本拠地の深センなどの状況はどうでしたか。

(鈴木) 自分が住んでいる深セン北東部の龍崗区やオフィスがある福田区の華強北(深センの秋葉原と呼ばれる地区)くらいしかわかりませんが、武漢閉鎖から2/10の出勤解禁までの半月くらいは、外に出ても人がまばらで、地下鉄もほとんど貸し切りのような状態でした。

 ただ、深センは移民の街であり、春節期間中は多くの人が田舎に帰っていることも影響しているはずなので、これらがすべてコロナの影響だけとも言えませんが、華強北などは、普段なら23時頃でも人がいっぱいいますが、この頃は完全にゴーストタウンと化していました。

 龍崗区などは深センでも郊外なので、大通りでも信号関係なしに道路を渡れるほど車が走っていませんでした。

 蛇足ですが、最近アルバイトとしてたまに来てもらっている女性は武漢出身ですが、彼女は春節(旧歴の元旦で今年は1月25日)休暇で1月中旬に武漢に戻って以来隔離生活を余儀なくされ、4月中旬になってようやく深センに戻ってきました。その間実に約3ヶ月間です。

 弊社の取引先にも湖北省出身がおり、その方は4月上旬になってようやく深センに戻って来ました。彼とは元々ほとんどWeChatでやり取りしていたので業務に影響はありませんでしたが、その間は彼の会社からは深センの最低賃金である2,200元(日本円で約3.5万円)しか払われなかったようです。

 これは深センのような大都会では通常ならとても暮らせないレベルの金額です。ただ、倒産した会社も少なくない中で給料をもらえるのはまだいい方で、たとえ数ヶ月間無給でも、今後の会社との関係を考えて我慢した人も大勢いたようです。

 弊社も特に売り上げという面では大きな影響を受けており、経営も決して楽ではありませんが、人はむしろ少し増やしているくらいですし、給料もちゃんと払っています。ただ、弊社のメンバーは広東省出身者が多いことや元々リモートワークが浸透していることも関係しているかもしれません。

[コロナ禍での不便さなどについて]

(TS) 生活や仕事をしていく上で、具体的に困ったことや不便だったところはありましたか。

(鈴木) そうですね。いくつか不便なことがありました。少し長くなりますが、現状を理解していただくために、少し詳しく説明していきましょう。

 まず移動が不便でした。小区ごとに出入口を完全封鎖していましたので、普段通れる道が通れなくなり、徒歩でも車でも移動に時間がかかるようになったことです。6月、7月になって緩和されたと思ったら、8月になって羅湖区や福田区で感染者が出たという情報があり、その影響かまた厳しくなりました。ただ、厳しくなったと思ったらまたすぐ緩和されたので、緊張感を維持するためにも、今後もしばらくはこういうことが繰り返されていくのではないかと思います。

 2つ目が、公共交通機関が不便になったことです。地下鉄乗車時に各車両に複数設置されているQRコードをスキャンしてどの車両に乗ったかを登録しないといけなくなりました。但し、強制ではなく任意なので、今ではアナウンスはあるもののやっている人はほぼいない状況です。ただ、2月、3月くらいまではみんなマジメにやっていました。

2020年2月11日の人の途絶えた深センの地下鉄の様子(写真:鈴木陽介氏提供)
2020年2月11日の人の途絶えた深センの地下鉄の様子(写真:鈴木陽介氏提供)

 3つ目は、どこでも検温されて不便であることです。マンション、ビル、ショッピングモール、レストラン、スーパー、お役所、どこに行っても未だに毎回検温されます。ただ、小規模のスーパーやレストラン、マンションなどでは、5月くらいからほぼ実施されなくなっています。検温器と記録用紙(名前・電話番号・身分証番号などを記入)は用意してあるので、本来はしないといけないのでしょうが、有名無実化しているようです。

 

 4つ目が、行動履歴の提出をしないといけないというのがストレスだということです。商業ビルやショッピングモール、役所(工商局、税務局など)など、特に不特定多数の人が出入りする場所は、SIMカードから過去の行動の追跡履歴を提示しないと中に入れないようになっています。

 これは、WeChatでピッとやり、スマホを何回かクリックするだけで表示されるので操作自体は簡単ですが、毎回なのは面倒ですし、行動を監視されているようで気分が悪いものです。また下手に遠出(数ヶ月前なら武漢、今なら北京や東北などを訪問したりすること)して履歴が残ると、戻って来てから行動が制限されますので、下手に遠出できない状況にあります。

 そのような理由もあって、私も深センから出ていないというのもあります。また、比較的安全な広東省であっても、省都の広州は、深センと比べると危険です。

2020年2月4日の人のいない深センの街中の様子(写真:鈴木陽介氏提供)
2020年2月4日の人のいない深センの街中の様子(写真:鈴木陽介氏提供)

 なお、弊社は学生のインターン生が非常に多いのですが、今年の前学期は全員リモートで授業を受けていました。7月から新卒でエンジニアとして入った子も、卒業までの最後の半年はリモート授業を余儀なくされていました。9月からようやく通学が開始されるようですが、もっとも弊社の場合は、学生たちは元々リモートワークなので、彼らの仕事には影響がありませんでした。

 余談ですが、本インタビューにあたって今年の大学の卒業式の様子について再度学生スタッフ4、5名に確認したところ、コロナ禍の影響で卒業式に参加できなかった子もいました。そもそも卒業式を開催しなかった大学もあるようですし、開催したところであっても従来のような卒業生が一堂に会する盛大なものではなく、入場は一部にだけ許可して残りはすべてオンラインであるとか、学部や専攻ごとに卒業式を開くなどの制限や工夫があったようです。学部や専攻ごとの開催の場合は、午前一回、午後一回を数日にわたって実施したそうで、教職員の皆さんの負担は相当なものであったと推測されます。

 5つ目は、工場に訪問拒否されることがあることです。4月のことですが、ある工場に行こうとしたら、外国人であることを理由に拒否されました。理由は、武漢がある湖北省出身者と外国人は規定で受け入れできないとのことでした。

 私の場合、2月~4月の間も必要最低限ではありますが、いくつかの工場には訪問できていたのでショックを受けましたが、よく考えてみると、訪問できた工場はコロナ禍が起きる前から知り合いだったか、お客様の方が工場と知り合いだったところでした。他方で、拒否された工場は、新規に訪問しようとしたところだったので仕方ないと思いました。代わりに中国人の同僚に行ってもらいました。

 蛇足ですが、外国人は仕方がないとしても、同じ中国人であっても、湖北省出身というだけで差別されるようなことも起きていたのですが、それは可哀想だと感じました。いろんな人に聞いた話を総合すると、たとえずっと深センに居たとしても、湖北省出身だと言うと白い目で見られていたようです。

 ただ、ある湖北省出身者は、3月、4月当時、湖北省から親や親戚が深センに来て一緒に暮らしていたようなので、このような心配や懸念もまったく的外れでもないとも感じています。中国では家族、親戚の絆がかなり強いので、それを中国人同士は知っているというのも、こういった差別の遠因になっていると思われます。

 最後の不便な点は、イベントの開催に慎重になったことです。個人的には、バドミントン会、語学交流会、県人会などを主催していますが、気軽に開催できなくなりました。開催して集団感染が起きたらシャレにならないからです。それでも、バドミントン会や県人会は5月から何とか再開しましたが、頻度はかなり減らしています。

[コロナ禍でのビジネスや日常の状況などについて]

(TS) 鈴木さんのご説明で、中国、特に深センでも、コロナ禍の影響で、様々な不便や困難が起きてきていることがよくわかりました。他方で、中国は、5、6月ごろから経済活動がかなり再開されてきているわけですが、その時期から現在の中国、特に深センでの状況(特にビジネスや経済の状況)はいかがですか。

(鈴木) まず、海外からは人がまったく来なくなりましたので、弊社の「Ideaport」ブランドで実施している視察関係のお仕事はゼロになり、通訳やプロジェクトマネジメントなど工場関係のお仕事は既存のお客様のリピートに限定されているような状況です。ただ、外国人が中国に来られないこともあり、元々私や弊社のことをご存知のお客様からは、定期的に新しいお引き合いをいただいております。新規のお客様もございますが、知人からの紹介などに限られます。

 次に、弊社の「Ideagear」ブランドで行っているIoTプロトタイピングやハードウェアの受託開発は、コロナの影響で世界的に経済がよくないこともあり、新規のお客様はほぼ難しい状況になっています。ただ、こちらも幸いにも既存のお客様からの既存の案件や新規の案件はいただいています。それらへの対応は、コロナの影響や自社の力不足でかなり遅れていますが、いくつかの案件でようやく開発にも目途が立ち、今年中にはいくつかの製品で量産を開始できる予定です。

 もう一つ、2月の春節明けから急にオンラインミーティングが広まったイメージがあります。弊社は昨年、日本のデザイン事務所3社と組んで、「TERASU」というチーム名で中国の主に電子製品や小家電のメーカーさんに対してデザインコンサルをしていますが、2月以降はオンラインミーティングだけで対応しています。日本ではZoomやマイクロソフトのTeamsなどの利用が多いと感じていますが、こちらでは、Zoomだけでなく、同じような機能がある「Ding Talk」も使います。デザインに関するミーティングだと画面共有しないと話にならないため、ZoomやDing Talkは必須ですが、単なる会話だけなら、中国で一番普及しているWeChatの音声やビデオ通話だけで済ますことがほとんどです。

 なお、先程、私個人で主催しているイベントも5月から再開したと述べましたが、これらも単に集まるのでは芸がないので、新たな試みとして、(対面での)現地集合に、ZoomやWeChatも併用して、オンライン+オフラインのイベントにしています。

(TS) コロナ禍が広がってから現在まで、鈴木さんや鈴木さんの周辺の方々はどんな活動をしていたり、どんな風に考えたりされていたのでしょうか。

(鈴木) 私は、自分がやるべきことに集中するタイプなので、あまり他人や他社さんのことはわからないのですが、日本人だと、日本に行ったきり戻って来られない人、帰任や赴任が延期になった人などが未だに多くいらっしゃいます。

 ちょうど、8月22日から、居留許可証を持っている人は日本の中国領事館等で申請すれば入国ビザを申請できるようになったようですが、便が少ないことや14日間隔離されることに変化はありません。また、中国から日本へ行くだけでも数十万円のチケット代がかかる上、さらに、中国への再入国ビザを申請するにも、日本到着後14日間過ぎないと申請できません。このため、仮に日本で1週間滞在するだけであっても、深センに戻って正常に出勤できるまでにトータルで1ヶ月以上の時間と最低でも100万円くらいの費用がかかることになります。

 広州は日系の自動車メーカーさんが多いので、これら大手の従業員さんであれば、企業として多くの税金を納めているわけですから、今回の新しい規定が始まる前から再入国ビザの申請も通りやすく、また、高額のエアチケットや高級ホテルでの14日間の隔離費用(併せて50万円くらい)などの金銭的な負担にも耐えられるのでしょうが、弊社みたいな小規模企業やフリーでされている方だと、仮に今後も往来の規制緩和が続いても、チケット代の高騰や厳しい隔離政策に変化がなければ、行き来するのはほぼ不可能だと思います。

 以上のことを考えると、私の場合は、よっぽどのことがない限り現時点で日本に帰ることはありません。わずか半年で、中国でも日本でもオンラインミーティングが浸透したのは不幸中の幸いです。

 このような大きな変化の中では、誰であっても否が応でも変わらざるを得ないからだと思いますが、特に最近では、オンライン旅行、オンライン視察、オンラインデートなど、いろんなサイトでオンライン機能が実装され始めました。何でもオンラインでややオンラインが過熱気味といいますか、一種のオンラインブームみたいになっていることには少し懸念がありますが、個人的には選択肢が増えることはいいことだと感じています。

 話を戻しますが、むしろ、先に申し上げたように、海外から中国に入れないことでこれまで以上に頼られている部分もあります。また深センは既に安全と言っていい状況、経済的にもほぼ回復しているといった状況ですので、少なくともコロナ禍が収まって正常に戻るまで(今年いっぱいはほぼ確実で、人によっては来年いっぱいは海外に出られず中国にいないといけないと覚悟しているようですが)、少なくとも今、私としては中国から出るという考えはほとんどありません。

 深センにいる人たちは若い人が多いというのもあると思いますが、日本人、中国人、その他外国人を問わず、仕事もプライベートもほぼコロナ禍については一様に気にした方がいいとは思っているものの、必ずしも何もできないという感じではありません。その証拠に、深センではほとんどの人がオフィスには普通に出勤していますし、イベントも普通に開催もすれば参加もしています。

 次号に続く。

(注)その時の報告およびその後の関連情報は、次の記事を参照のこと。

「『ゼロから作る知識集約都市』10年目の“想定外”中国広州市で開発中「知識城」のユニークな試みとは」JBpress 2020年7月6日

「中国の新戦略『大湾区構想』が受けた『新型コロナ』の衝撃(下)」フォーサイト 2020年5月13日

「中国の新戦略『大湾区構想』が受けた『新型コロナ』の衝撃(中)」フォーサイト 2020年5月13日

「中国の新戦略『大湾区構想』が受けた『新型コロナ』の衝撃(上)」フォーサイト 2020年5月13日

「中国・大湾区におけるコロナ騒動…「これまで」と「これから」(3)」Yahoo!ニュース 2020年5月14日

「中国・大湾区におけるコロナ騒動…「これまで」と「これから」(2)」Yahoo!ニュース 2020年5月11日

「中国・大湾区におけるコロナ騒動…「これまで」と「これから」(1)」Yahoo!ニュース 2020年5月2日

「驚異的発展「中国・大湾区」現地踏査レポート(4・了)」フォーサイト 2020年2月16日

「驚異的発展「中国・大湾区」現地踏査レポート(3)」フォーサイト 2020年2月10日

「驚異的発展「中国・大湾区」現地踏査レポート(2)」フォーサイト 2020年2月8日

「驚異的発展「中国・大湾区」現地踏査レポート(1)」フォーサイト 2020年2月4日

「超急成長都市「深セン」で体験した「中国の現在」と「日本の未来」(下)」フォーサイト2018年10月30日

「超急成長都市「深セン」で体験した「中国の現在」と「日本の未来」(上)」フォーサイト 2018年10月30日

[インタビュー対象者紹介]

鈴木陽介氏 「アイデアポート・グループ(Ideaport Gr.)」の創業者CEO。

メーカーセンターの鈴木陽介氏(写真:本人提供)
メーカーセンターの鈴木陽介氏(写真:本人提供)

 日本で製造業やIT関係の複数の会社で経験を積んだ後、2011年1月に、当時勤めていた会社の中国法人設立にあたって広東省に赴任、そのまま駐在員として中国ビジネスに関わり始める。

 2013年5月に退職と同時に香港に法人を設立して起業。その後、紆余曲折を経ながらも広東省で仕事を続け、2015年から深セン在住。深センに来た後は、2017年3月に深センアイデアポート、2020年5月にアイデアギアを設立し、現在に至る。

 主な事業及びブランドは、ビジネスサポートの「Ideaport」、ハードウェア開発の「Ideagear」、プロダクトデザインコンサルの「TERASU」の3つ。

 最近は動画による社員教育や情報発信にも力を入れ始め、2020年7月からYouTube(日本語)で、9月からはBilibili(中国語)で、また時期は未定だが英語でも発信予定。

[参考]

・鈴木陽介さんの会社の事務所がある「華強北国際創客中心」(Hua Qiang Bei International Maker Center)に関する動画の室外編はこちら、また室内編はこちら

・鈴木さんの会社で発信している深センと華強北電気街の最新情報(「華強北オタク in SZ」)はこちら

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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