「反移民」「反エリート」意識の世界的高まりから見えること
今回の米国大統領選は、米国社会でも、民主主義や多様性などの言葉に象徴される理念や理想以上に、「反移民」「反エリート」の意識が根強いことを印象付けた。この傾向は、米国のみならず、欧州の国々おける右翼政党の急速な台頭などにも共通な面をみることができる。
このような意識は、各国内における経済的格差の急速かつ急激な進展(要は、経済や生活の問題)およびそれに対する不安や反感などが根底にあると考えられる。
では、なぜそのような格差やそれへのネガティブな意識・認識等が世界的に生まれ、高まってきたのだろうか。
それは、約30年前を前後して生まれていた2つの大きな潮流・変化が関係している。
まず一つ目が、国際社会の「グルーバル化」である。その傾向のなかでは、それ以前に比べてはるかに容易に人・モノ・金・情報が国を超え、移動できるようになり、その質と量が加速度的に増大してきた。
その「グローバル化」は、1989年に起きたベルリンの壁の崩壊や1991年のソビエト連邦(ソ連)崩壊による東西冷戦構造の終焉から生まれたものである。
同冷戦構造は、第二次世界大戦後の1947年頃から1991年まで続いた。それは、米国を中心とする西側諸国(資本主義陣営)と、ソ連を中心とする東側諸国(社会主義陣営)との間の対立構造のことである。両陣営は、直接的な武力衝突を避けつつも、軍拡競争や代理戦争、宇宙開発競争等のさまざまな面で覇権を争った。その結果、同構造期には、世界は西側陣営と東側陣営とに二分され、イデオロギーの対立が先鋭化したのである。冷戦の「冷」とは、両陣営が実際には直接戦火を交えることなく、代理戦争などという形で対峙したことを意味している。いずれにしても、このことから、世界の市場は大きく2つに分かれていた。
ところが、その冷戦構造が終焉すると、世界は一つの市場となり、そこに巨大なマーケットや巨大企業等が誕生した。そのことは、国や地域、企業間の大きな格差を生んだ。そうすると、一部の国・地域では生活できないあるいは活かされない人材が生まれると共に、他方で一部の国・地域などでは人材不足が起き、経済的な豊かさを求める「移民」の動きが高まった。そして、そのことが、従来は国家間に存在した経済格差の違い以上に、国家内における大きな経済格差などを生んできたのである。
その国内における格差への不満等は、それがこの問題・課題の本質ではなくとも、目に見えやすくターゲットにしやすい「移民」が仕事を奪ったり、社会制度維持のコストになっているなどという意識や認識を醸成しやすくなる。つまり、グローバル化で恩恵を受けなかった者の批判・非難や不満・反発などの矛先は、「移民」に向かうことになる。政治の側も、その点をアジェンダにして、力を得るという構図が生まれてきたのである。
またこのような「グルーバル化」を推進してきたのは、力のある側であり、巨大なグローバル企業であり、その中心は当然に恵まれた者(別のいい方をすれば「エリート」)であるために、グローバル化の恩恵から外れた者は、その「エリート」への反発や不信を増大させるような構図が生まれてきたのである。
2つ目は、ICT、IoT、SNS、AIなどの「テクノロジーおよびそれを活用した仕組み」の急速な展開である。そのことは、GAFAMなどのIT企業の雄の短期間での巨大企業化に象徴される。
GAFAMとはご存じのように、Google、Amazon、Facebook(現Meta)、Apple、Microsoftの5社の頭文字を取った呼び名のことである。これらの企業は、比較的新しい企業であるが短期間で急成長、世界的な巨大企業化し(図表1参照。図表3とも比較のこと)、世界の企業ランキングで常に上位に位置しており、それぞれの分野での革新と市場シェアを通じて、世界経済に大きな影響を与えている(図表2参照)。
このことからも、ICTなどのテック系の産業や企業が、約この30年ぐらいの間に急速に巨大化し、経済や社会、国際社会に大きな影響力をもってきたことがわかる。またこれらの企業が発展させてきたICT、IoT、SNS、AIなどのテクノロジーの技術等は、単なる技術革新にとどまらず、「情報」や「データ」の価値を大きく変貌させ、それらが人間の行動、経済や社会さらに生活も変えてきている。そしてそのことは、情報の発信・流通などのあり方も変貌させ、もちろんプラスの面もあるのだが、他方で的確に運営できないぐらいの混乱や社会認識の齟齬や格差意識の増長、意識における分裂なども生み、社会での分断などが時として過激に表出するような事態も生まれてきているのである。
さらに、図表2および図表3などを比較するとわかるが、デジタル・テック系の巨大企業は、従来の大企業などと比較しても、その企業規模に比較して雇用規模が各段に少ない。より詳しい検討が必要であろうが、おそらく10分の1程度以下ぐらいの雇用規模なのである。それは、デジタル・テック系の企業は、雇用者には高額の給与を提供できるが、雇用はかなり限定的であり、より具体的には国内に大量の中産階級を生まないことを意味しているのだ。つまり、それらの企業は、一部の恵まれた者(別の表現でいえば「エリート」)とそうでない者という格差を生みやすい構図があるということができる。
インターネットやSNSなどのICT技術は、「貧者の武器」ともいわれるように安価あるいはほぼ無料で誰でも活用でき、様々な情報(とはいえ、ある意味非常に偏ったあるいは自己の嗜好に沿った情報を入手しやすい仕組みになっている)の入手や情報(情報の正誤に関係なく)の発信ができ(これは、裕福でない層・人々も、自身の不満や反発を発し、他者との安易につながり、それらを容易に広がり増幅しやすくするのである)、場合によりその広がりは社会や個人の生活などに大きく影響し、時に歪んだあるいはかつ社会的な問題を惹起することも多いのである。
それらのことが、格差の意識や認識を増長したりして、社会的な分断や不信を助長し、社会不安や政治的混乱・分断などを生んできているのである。その際の矛先は、上記のことからもわかるように、ターゲットにしやすい「エリート」や「移民」に向かうことになるのだ。
以上のことから、この30年における世界における2つの大きな潮流が、今の世界の「反移民」「反エリート」の意識・認識を生み、拡大させてきていることをおわかりいただけたことと思う。
このような状況において、専制的な国家や地域では、ある意味親和性が高いためにテクノロジーやデータ・情報などを利活用し、社会運営に比較的成功しているように見える。他方、民主主義の国・地域では、その2つの潮流を的確にコントルールしながら、有効かつ適切に社会や国の運営に成功できている事例はほとんどないという状況にある。このため、前者の国・地域群が、優位に立っているという状況にある。
日本をはじめとする国や地域は、現在の状況における経験や教訓を踏まえて、今こそSNSおよびAI時代における民主主義における新しい制度や仕組みづくりに、真正面から取り組んでいくべきだろう。その努力や工夫がなされなければ、今後も「反移民」「反エリート」への意識や認識が更に高まり、社会的な分断や混乱は更に深まる危険性があるだろう。
その意味からも、その努力や工夫のプロセスのなかから、「民主主義」の新しい可能性が生まれくることを確信している。