大人の日帰りウォーキング 370年前に造られた人工の川と自然を楽しみながら、歴史と史跡も学ぶ一人旅
気持ちが良い初夏の青空が広がる休日。関東平野を流れる大きな川の1つである多摩川の河川敷で休憩をしていた。
少し早めのお昼ご飯は家から持参した大き目サイズのおにぎりを2個。外で食べるとご飯が美味しいと気が付いてからは、外出時には食べ物を持参し青空ランチをするのが定番になっている。ステンレスボトルに入れて持参している冷たいお茶を飲みながら、日差しが降り注ぐ川面を眺めていた。
吹いてくる穏やかな風は気持ちよく、遠くで鳴いている鳥の鳴き声も心地よい。ここでずっとぼんやりとしていたい気分になるけれど、おばさん1人で川岸に座っていると、別の意味で心配されるのではないかと思い直す。そろそろ出発しようか。
まったりと休憩を楽しんでいるけれど、実はこれから本格的に出発する。出発する前に休憩しているという、なんとも自由であり、無計画でもあるが、それが一人旅の良さでもあり、楽しみでもあると、自分の中だけで思っている。
東京都には西から東へと流れる人工の水路がある。
水路の名前は「玉川上水」
玉川上水は、東京都羽村市にある羽村取水堰で多摩川より取水され、人工の露天掘りである水路を約43km流れて新宿区にある四谷大木戸まで流された。四谷大木戸から先は地面の下に埋め込まれた樋を流し、江戸の町中に造られた枡や井戸に水を送り、人々は枡や井戸から水をくみ上げて、飲み水や生活用水に使っていた上水(飲むことが出来る水)である。
今から約370年前の江戸時代初期に開通し、今でも水が流れている現役の水路でもあり、この水路に沿って歩いてみたいと思っていた。
子育てを卒業する頃より歩く旅を始めて楽しんでいる。
どうして歩く旅を始めたのかと聞かれると、昔は歩いていたのだから今でも歩けるだろうと単純に思ったこともある。しかし、歩く旅の途中て街の歴史や史跡を学んだりするのも楽しいし、青空の下で沢山歩いて運動し、お腹が空いて食べるご飯も美味しい。そして、交通費以外にお金を殆ど使わないので、お財布に優しい趣味でもある。
東京都羽村市にある羽村取水堰近くに整備されている公園には、玉川上水を作った玉川兄弟の像があり、東屋やベンチ、トイレが整備されている。自転車で来られている人が多い様に感じるのは多摩川沿いにサイクリングをしてきたのだろうか。
今日は、突然、朝から思い立って出かけてきた。羽村取水堰で玉川上水の始まりを見て、大量の多摩川の水が玉川上水に流れていく様子には、「凄い」の言葉しか出てこない。江戸時代に造られて、今でも同じ方法で使われ続けている土木建築の凄さにも驚いた。多摩川の対岸にある羽村市郷土博物館も見学させて頂き、川のほとりで休憩をして、これから玉川上水に沿って歩こうか。
玉川上水は全長で43kmもある。1日で歩こうと思えば出来るかもしれないけれど、現実的ではない。じゃ、どこまで歩こうかとなるけれど、おばさんの気軽な一人旅なので、あまり気にしていない。
玉川上水の始まりはとても水量が多く、人工の水路とは思えない程である。江戸時代には江戸の町に住む人々の生活用水として使われていた玉川上水であるが、現在では流れている水をそのまま使うことは無い。これだけの大量の水が必要なのだろうか。
桜並木が続いている遊歩道を歩き進む。玉川上水は江戸幕府により造られて管理されていたが、現在では東京都水道局で管理されている。
何で東京都水道局が管理しているのかと思えば、その答えは公園に建てられていた説明版に書かれていた。
多摩湖と狭山湖か。
多摩湖と聞けば「東村山~、庭先きゃ、多摩湖~♪」と、思わず口ずさんでしまうのは、子どもの頃にみたテレビの影響である。その多摩湖(村山貯水池)は東京都東大和市にあり、志村けんさんの木と銅像がある東村山市のすぐ西側である。庭先と言えるほどの距離でもあるが、それ以上に心の距離が庭先と思えるほどの親しみがあるのが多摩湖なのだろう。
その多摩湖を含めて、東京都と埼玉県の境に大きな人造湖が二つある。二つの人造湖は明治以降に急増する東京市民に水供給を行うために造られた貯水池であり、貯水池に貯められた水は、東村山浄水場他を経由して都内に水道水として給水されている。
しかし、多摩湖(村山貯水池)と狭山湖(山口貯水池)には、流れ込む川が無い。
二つの巨大な貯水池へ流している水は、玉川上水だった。羽村の取水堰から取り込まれた玉川上水を流れる大量の水は上水沿いの桜並木を進んだ先にある羽村導水ポンプ所より多摩湖と狭山湖に送られているとあった。
多摩湖と狭山湖の水は玉川上水から引かれているのは知らなかった。巨大な水がめである多摩湖と狭山湖に水をためる為に大量の水が必要な理由に納得し、370年前に造られた取水堰(しゅすいせき)と玉川上水が今でも使われ続けている事に、上手く自然と共存しているのだろうと感じる。
「やっぱり凄いなぁ」と呟いた。
玉川上水と羽村の取水堰は今でも現役。江戸時代初期の1653年に開通し、約370年もの間、水を流し続けている。ここから取り入れられた水は時代の変化に合わせて流れを変えても、人々はこの水によって生活出来ている。水道の蛇口から出てくる水を、改めて眺めてしまいそうだ。
気持ち良く流れる多摩川上水に沿って歩き進む。川沿いは木々が生い茂る自然豊かな散策路になっているので気持ち良い。木漏れ日がまぶしく感じる季節であるが、日焼けが気になるお年頃のおばさんには木陰を歩けるのも大切である。
福生市に入るころから拝島付近までは玉川上水に沿った散策路は無くなるらしく、玉川上水散策コースとして歩ける道として福生市の説明版が立てられていた。玉川上水にそって歩けないのは残念だけれど、仕方がない。出来るだけ近い道を歩き進もうと、スマフォの地図と説明版を照らし合わせた。
多摩川上水と少し離れる奥多摩街道を歩いていると、西側に並行して流れている多摩川に向かって地形がガクンと低くなっているので、多摩川の河岸段丘であるのが良く分かる。その河岸段丘にそって玉川上水が流れており、地図を見るだけでは解らない玉川上水のカーブは、地形による影響であったのが解った。
JRの路線が集まる拝島駅近くまで来ると、玉川上水にまつわる史跡の1つである「みずくらいど(水喰土)」と呼ばれる公園がある。
「みずくらいど」とは、水が地中に吸い込まれてしまう場所の事であり、ここで工事が失敗し、その遺構が残っている。
JRの線路に挟まれた場所であるが、木が生い茂る自然豊かな公園に整備されており、その中を進んだ先に「みずくらいど」遺構がある。大きく掘られたであろうと思われる窪みが残っていた。
人の手だけで掘り進んだ玉川上水。壮大な労力を尽くして工事をしたのに、水を通して失敗が解ったとなると、何だか切ない
みずくらいど公園には東屋やベンチも整備されており、木陰のベンチに座って休憩し、ステンレスボトルで持参している冷たいお茶を飲んだ。冷たくて美味しい。
街中歩きを楽しんでいても、歩くコース上にコンビニがない事も多く、タイミング良く自販機も無い。だから、歩く旅では飲み物や食べ物は持参しておくのが安心である。
お茶は美味しいけれど、お腹が空いた。歩く旅では想像以上にお腹が空くのである。今日は大きなおにぎり2個を持参してお昼前に食べてはいたけれど、これだけでは足りないよね。頭では解っていても、同じ失敗を繰り返すのはおばさんの特徴でもある。
お腹空いた。コンビニあるかな。
今回歩いているコース 約15km
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江戸時代に造られた史跡は今でも現役 遠出をしないで歴史や自然を学ぶ一人旅
取材協力:羽村市郷土資料館(羽村市公式ホームページ)
〒205-0012 東京都羽村市羽741
開館時間:9:00から17:00(屋外展示は9:00から16:00)
入館料:無料
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始