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大人の日帰りウォーキング 孫の自由研究に勧めたい!370年前に造られた人工の水路と歴史を楽しむ歩く旅

わか子ライター
多摩川上水緑地日光橋公園(東京都福生市)

お腹空いた。近くにコンビニあるかな。
歩きはじめに多摩川の河川敷で休憩し、持参した大き目サイズのおにぎり2個を食べたけれど、そろそろエネルギーが底をついてきた。
食べ物や飲み物は多めに持参しておく方が良いのは頭では解っている。しかし、同じような事を繰り返してしまうおばさんである私は、学習能力が低い。歩く旅では自分が思う以上にお腹が空くのである。

子育てを卒業する頃より歩く旅を始めて楽しんでいる。街道歩きや街歩き、山に行って登山やハイキングも楽しいけれど、今日歩いているのは東京都の郊外であり、玉川上水の史跡がある水喰土公園のベンチで休憩をしていた。

東京都には西から東へと流れている人工の水路がある。
人工の水路の名前は玉川上水。約370年前の江戸時代に造られた人工の水路で、江戸(現在の東京)の飲料水供給のために建設され、現在でも水が流れ続けている。

徳川家康が関ケ原の戦いに勝利し、江戸に幕府を開いたのが1603年。3代将軍家光により参勤交代の制度が確立されると、大名やその家族、家臣が江戸に住むようになり、政治経済の中心地として江戸の町は急激に人口が増える。
江戸時代中期には人口が100万人を超えたとあり、当時の江戸の町は世界最大級の都市になっていたと言われている。
人口が急増する江戸の町には、安定して上水(飲むことが出来る水)を供給するとこが急務となるが、当時の江戸の町には小さな河川や井戸しかなかった。そこで、安定した上水を供給するために、幕府の命(指示)により造られたのが「玉川上水」。
江戸時代初期、3代将軍家光より4代将軍家綱に変わったころの1653年4月に工事を始め、わずか8か月後に完成している玉川上水は、取水堰がある東京都羽村市より、新宿区にある四谷大木戸までの約43kmもの距離を流れている。

玉川上水(東京都羽村市川崎)
玉川上水(東京都羽村市川崎)

関東平野を流れる大きな川の1つである多摩川。その多摩川より水を取水して流しているのが玉川上水であり、その取水場所は東京都羽村市にある羽村取水堰である。
玉川上水の始まりは壮大なスケールの土木工事が行われている。多摩川の流れる形を利用して、流れる水を全て取り込むその様子には、言葉に表せない程の迫力を感じる。
そして、その土木工事は、玉川上水を作られた370年前の工法(投渡堰)が今でも使われているという。凄いとしかしか言いようがない。長く使い続けられるのは、自然と共存が出来る仕組みなのだろう。

羽村取水堰で多量の水を取り込んでいる(東京都羽村市)
羽村取水堰で多量の水を取り込んでいる(東京都羽村市)

対岸にある羽村市郷土博物館を見学した後、玉川上水にそって歩きはじめる。すると、玉川上水を流れる水があまりにも多いと感じる。
玉川上水を流れる多量の水は、浄水場を経て東京都の水道水として各家庭に送られ続けている。約370年も前に造られた玉川上水は今でも現役で使われていた。
時代は移り変わり、水は流れる場所は変わっても、人々はこの水によって生活出来ているのか。たかが水、されど水。水の大切さを改めて感じた。

今日はJR羽村駅を出発して約10kmを歩いてきた。お腹が空いているけれど、先に進まないと仕方がない。休憩していた水喰土(みずくらいど)公園を出発し、玉川上水に沿って公園内を歩き進む。木が生い茂る木陰の遊歩道を、水の流れに沿って歩くと気持ちが良い。
国道16号の高架下を通りると、370年の歴史がある史跡と近代建築物の立体交差の風景も見応えがある。

国道16号の高架下を流れる玉川上水
国道16号の高架下を流れる玉川上水

JR拝島駅のすぐ脇を流れる玉川上水。明治24年(1891年)に付け替えられたレンガ造りの日光橋は、アーチ型で美しいと思っていると、駅近くの場所にコンビニを発見した。
お腹が空いている私の目には、天からの贈り物の様に光り輝いて見えるコンビニに向かい、吸い込まれるように店内へと入り買い物をした。
これで空腹は何とかなった。とりあえずホッとした。
玉川上水はJR拝島駅付近で流れる方向を東に変えている。ここまでは多摩川の河岸段丘の高い場所を流れてきているが、この先は武蔵野台地を流れて新宿に流れていく。水路では鯉が泳ぎ、カモが羽を休めている自然豊かな景色を楽しみながら歩道を歩き進む。

あれ、玉川上水が沈んだ。
西から東に流れる玉川上水に交差するように、北から南へと流れている川があり、その川を橋で渡る。
なんだ、この場所は…。
北から南へと流れている川の名前は「残堀川」。この場所で玉川上水が立体交差しているという。
川って、立体交差するものなのか…。
説明版を読んでみると、玉川上水と唯一交差している川が残堀川であり、元々は玉川上水に合流していたが、明治になり川が汚れてきたので玉川上水と分けられたとある。
現在では、ふせこしと呼ばれるサイホン工法で、残堀川の下を玉川上水が潜るように流れているとある。

地上を流れている残堀川。玉川上水は地下を交差するように流れている。
地上を流れている残堀川。玉川上水は地下を交差するように流れている。

へー、ほうー、何度も独り言を言いながら感心する。
サイフォンの原理で川が立体交差できるのか。しかも、逆サイフォンだし、こんな大規模なサイフォンを見たことはない。なるほど、だけれど、何だかすごい。

武蔵野台地の尾根筋を巧みに流されている玉川上水は、新宿区の四谷大木戸までの約43kmもの距離を流れているが、水が自然に流れ続ける高低差は約92mしかない。100mを進むごとに21cm下がる計算になり、21cmは500mlのペットボトルの高さ程なので、かなり緩やかな傾斜になる。
羽村市郷土博物館には当時の測量の詳しい記録は残っていないとあるが、夜に提灯や線香を持った人が工事予定地に並び、その明かりの列を見て高さや方向を測ったと伝えられていると展示があった。
高低差があれば、水が自然の力だけで流れ続けるのは当たり前だけれど、その当たり前を人間の力で造り上げたのは本当にすごい。

木が生い茂る自然豊かな玉川上水緑道を淡々と歩き進み、玉川上水駅を越えた先で玉川上水の流れは無くなっていた。東京都水道局小平監視所であり、玉川上水を流れてきた水はここで全て取り込まれ、東村山浄水場に送られて水道水に利用されているとあった。

多摩川の水の終点(東京都水道局小平監視所)
多摩川の水の終点(東京都水道局小平監視所)

江戸時代に造られた玉川上水。明治時代に入り、時代に合わせて近代上水道の整備が必要になると、玉川上水は浄水場へ水を流す導水路として活用され、流れてきた水は、すべてが水道水に使われていたのだった。

玉川上水は身近に感じる人工の水路であり、川沿いは木が生い茂る自然豊かな場所でもある。水路に沿って歩いてみたいと思っていたけれど、実際に歩いてみると想像以上だった。自然の水の流れに合わせて共存できるように、人間の知恵と技術が詰め込まれていた。
多摩川より水を取り込み、取り込んだ水を流し続ける技術、そして時代の変化に合わせて活用し続けられる価値ある財産。歴史に刻まれるべき史跡であり、国の史跡として指定されている。

子どもの頃に玉川上水を知っていたら、夏休みの自由研究に良かったのに。
今更そんなことを思っても、何十年前の話なのか…。そしておばさんの私には自由研究をする宿題を出されることは無い。まだ、私には孫はいないけれど、孫が出来たら勧めようか。玉川上水。

清流の復活(東京都小平市中島町)
清流の復活(東京都小平市中島町)

あれ、この先も流れていたよね、玉川上水。
小平監視所から先の玉川上水は、その下流にあった浄水場に水を送っていたが、1965年(昭和40年)に浄水場の廃止と共に流れが途絶えたとある。
その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水が利用される清流復活事業により、1986年(昭和61年)から再び玉川上水に水が流れ、約18km下流にある杉並区高井戸公園近くの浅間橋まで流れている。

この辺りも玉川上水に沿って木が生い茂る自然豊かな場所であり、遊歩道や緑道が整備されている。是非、歩く旅にお勧めしたい場所でもある。

今回の歩いたコース 約15km

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取材協力:羽村市郷土資料館(羽村市公式ホームページ
〒205-0012 東京都羽村市羽741
開館時間:9:00から17:00(屋外展示は9:00から16:00)
入館料:無料
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
参考:玉川上水の歴史(東京都水道局ホームページ

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く楽しさをお伝えしたいと思っています。

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