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平和祈念式典にイスラエル大使不招待 長崎市の判断を支持できる理由--繰り返される“ガザ核攻撃”威嚇

六辻彰二国際政治学者
【資料】長崎の平和祈念式典(2016.8.9)(写真:アフロ)
  • 長崎市はイスラエル大使を平和祈念式典に招待しなかったことを「政治的な理由ではない」と説明した。
  • もっとも、長崎市の公式見解とは別次元で、祈念式典にイスラエル大使を招待しなかったことは妥当といえる。
  • イスラエル政府高官はしばしばガザでの核兵器使用を示唆しており、“核の威嚇”という意味でロシアと大差ないからだ。

 駐日イスラエル大使が8月9日の長崎平和祈念式典に招待されなかったことは支持できる。イスラエル政府要人がしばしば“ガザ核攻撃”を口にしてきたからである。

「政治的な理由ではない」

 長崎市の鈴木史朗市長は8月8日、イスラエル大使を平和祈念式典に招待しなかった判断に「変更はない」と言明した。G7各国(日本政府を除く)やオーストラリアなどが「イスラエル大使が招待されないなら高官の出席を見合わせる」と伝えたことへの応答だった。

 鈴木市長はこの決定を「政治的なものではなく」、「平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したい」と説明した。

 8月6日に広島で行われた祈念式典では、イスラエル大使の招待に反対するデモ隊が会場周辺で抗議活動を行った。

 長崎市の決定に対してイスラエルのジラッド・コヘイン駐日大使は「世界に誤ったメッセージを発する」と批判し、高官の派遣を停止した各国のうちイギリスの駐日大使館は「イスラエルを(やはり招待されなかった)ロシアやベラルーシと同等に扱うのは残念でミスリード」とコメントした。

 鈴木市長の説明は「外交や人権に口を出すものではなく、あくまで式典を平和裡に行うため」というもので、だからこそ日本政府も“市長の判断”として認めざるを得なかったといえる。

 鈴木市長の真意は知らない。しかし、市長の説明とは別次元の理由から、イスラエル大使不招待の決定は支持できる。

 ロシアほど明示的にではないにせよ、イスラエルもまた“核の威嚇”を行ってきたからだ。

“核兵器使用は一つの選択”

 ガザでの戦闘が始まってから約1カ月後の昨年11月5日、イスラエルのアミシャイ・エリヤフ遺産大臣はラジオ番組で「ガザで核兵器を使用することも一つの選択肢」と発言した。

 エリヤフにいわせると、「戦闘と無関係の市民なんてガザにはいない」。

 それはつまり「ガザ住民を全員殺しても差し支えない」という論理になり得る。

 これが各方面から批判を招いたため、ベンジャミン・ネタニヤフ首相は「現実とかけ離れている」と述べ、政府方針ではないと強調した。エリヤフは閣議出席を停止させられ、その後「核兵器は一つの比喩」と釈明した。

 ところが、ほとぼりも冷めた今年1月、エリヤフは「イスラエルはガザに死より苦しいものを与える道を見つけなければならない」と述べた。

 その際、エリヤフは「ハーグの連中だって自分の意見を知っている」とも述べた。

 オランダのハーグには国際司法裁判所(ICJ)があり、南アフリカが昨年末、イスラエルの戦争犯罪を提訴していた。

 この時はさすがに“核兵器使用”を言明しなかったものの、エリヤフは「アメリカが日本にしたように」とも付け加えた。

抑止ではなく威嚇

 こうした発言を中東各国は強く批判した。そのなかにはアメリカと深い関係を維持してきたサウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)も含まれる。

 一方、アメリカをはじめ先進各国の政府は「イスラエル政府の方針ではない」と不問に付している。

 しかし、たとえ公式に示された方針ではないとしても、イスラエル政府高官が“核使用”を何度もアピールすること自体、パレスチナへの威嚇に他ならない

 イスラエルは1970年代末から核兵器の保有が疑われてきた。イスラエル政府は保有しているとも保有していないとも明確にしてこなかったが、イスラエル市民を含めていわば“公然の秘密”だった。

 この曖昧戦略は、「もしかしたら持っているかも」と思わせるだけで、敵対国にイスラエル攻撃を思いとどまらせる抑止効果を発揮してきた。

 ところが、エリヤフの一連の発言はそれを踏み越えたものだ。

 ネタニヤフ首相はこれが政府方針でないと強調しながらも、エリヤフを解任も降格もしてこなかった。これもやはり「もしかしたら撃ち込んでくるかも」という威嚇効果になる。

「早く終わらせるため」

 “ガザ核攻撃”に呼応する意見は、アメリカにもある。

リンゼイ・グラハム上院議員(共和党)は5月、広島と長崎を引き合いに出して、「早く終わらせるために核兵器を使用することは正しい判断だ」と主張した

 そのうえで「もしイスラエルが求めるなら(核兵器を)渡せばいい」とも述べた。

 グラハムの見解はアメリカでよく聞くものだ。

 論旨からズレるのでここでは詳しく述べないが、「原爆投下が戦争を早く終わらせた」という主張への反論としては、以下の2点だけ触れておこう(西島有厚『原爆はなぜ投下されたか』より抜粋)。

・戦時中、原爆投下の中心にいたジェームズ・バーンズ国務長官は1945年6月、科学者との会議で「原爆は日本を打ち破るために必要なのではなく、ヨーロッパでソ連を御しやすくするために投下されるべきだ」と述べ、そのデモンストレーション効果を重視していた。

・日本で最高戦争指導会議がポツダム宣言受諾に大きく傾いたのは1945年8月9日の早朝で、ソ連が日ソ不可侵条約を破って満州に攻め込んだという情報が東京に伝わったことがきっかけだった。それは長崎に原爆が投下される数時間前のことだった。

 話を現代に戻せば、イスラエルの場合、エリヤフ大臣による“核の威嚇”にはこうした正当化のための論理すらない。念のため補足すれば、“ガザにおける殲滅戦”を想起させる発言は、エリヤフ以外のイスラエルの要人からも聞かれる。

 どんな論理であれ、あるいは暗黙のうちであれ、“核の威嚇”を行ってきたとすれば、長崎平和祈念式典の趣旨に照らしてイスラエル大使の出席がそぐわないことは間違いない。

 その意味で、長崎市の判断がどんな基準で行われたかはさておき、イスラエル大使を招待しなかったことは妥当といえるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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