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肉食禁忌のエアポケット。信長が解放し、秀吉が封印した、安土桃山肉食史

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト
(提供:アフロ)

 明治の文明開化に伴い、日本人が肉食――とりわけ牛肉に親しむようになって、約150年。その歴史のなかで、すき焼きやしゃぶしゃぶなど独特の肉食文化や、和牛という品種も培われてきました。

 実は日本人の肉食史は世界中でも、もっとも短い部類に属します。7世紀に肉食禁止令が出されてから、明治維新までのおよそ1200年に渡ってほとんどの日本人にとっては肉食は禁忌だとされてきました。

 牛馬は農耕や資材運搬のためにも欠かせない重要な労働力でした。飢饉や籠城時などの非常時には糧食になったという記録もありますが、戦では騎馬となり、農耕における労働力になる牛や馬を食べてしまうということは、生産力としてはマイナスです。日本の肉食禁令は仏教の影響が大きいと言われていますが、兵力や労働力の目減りによる国力の衰退を避けたいという、権力者の思惑もあったことでしょう。

 ともあれ、市井の日本人が堂々と牛肉を口にするようになったのは明治維新に伴う、文明開化以降のことです。もっともいつの時代も禁忌は蜜の味。飽食の現代でさえ、人を惹きつけてやまない肉というごちそうであればなおのこと。実際には「禁じられた1200年」の間も、水面下で肉食は続いてきました。

 肉食禁令の端緒は645年に大化の改新が始まった翌年のこと、「諸国の百姓が農月に酒を飲み肉を食うことを禁ず」と農作業期間の肉食を禁じ、676年には「牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはならぬ」と明確に肉食禁断令を出してから、日本では表向き牛馬を食べることが禁じられてきました。

 ただし例外があります。

 16世紀後半の安土桃山時代、織田信長から豊臣秀吉が権勢を誇った時期に牛肉が京都で人気になったという記述が残されています。

吉利支丹(キリシタン)の日本へいりたりし時は、京衆(きょうしゅ)牛肉をわかとがうしてもてはやせり

出典:松永貞徳『徒然慰草』巻4第119段

 つまり「キリシタンが日本に来たとき、公家衆をはじめとする京都人は牛肉を「わか」と言って珍重した」というのです。

 日本におけるキリスト教の歴史は1549年のフランシスコ・ザビエルの来日に端を発します。「京衆」とは都の人々、特に公家衆のこと。「わか」とはポルトガル語で言う”Vaca”――「牛」を指します。

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編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

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