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日本が降伏することを知りながら二度も原爆投下した犯罪国家アメリカ

田中良紹ジャーナリスト
(写真:アフロ)

フーテン老人世直し録(765)

葉月某日

 第二次大戦で日本に降伏の意思があることを知りながら、広島と長崎に原爆を投下したアメリカは、世界にただ一つの核使用国である。戦後、核保有国の数は増えたが、どの国も威嚇のために保有しているだけで、実際に核を使用した国はない。

 その世界唯一の核使用国であるアメリカの駐日大使が、長崎の平和祈念式典を欠席した。理由は式典にイスラエルが招待されていないからで、「パレスチナが招待されている一方、イスラエルが招待されていないことは、式典が政治化された」と批判した。

 同じく日本を除くG7とEUの駐日大使や代表は、先月19日に連名で「イスラエルを招待しないことはロシアやベラルーシと同列に置くことになる」という書簡を長崎市に送っていたことが明らかになった。ウクライナ侵攻を理由にロシアとベラルーシが招待されていないことから、イスラエルが招待されていないことを問題視したのである。

 これに対し長崎市の鈴木史朗市長は、「抗議活動など不測の事態が起こる恐れがある」として政治的判断ではないと回答し、林官房長官は「式典に誰を招待するかは主催者が判断することだ」と述べて政府としてのコメントを避けた。

 フーテンは日本の原爆被害を世界に記憶してもらい、二度と原爆被害を出さないように祈る式典には、できる限り多くの国に参加してもらいたいと考えている。その意味ではウクライナ侵攻を理由にロシアやベラルーシを招待しないことも、イスラエルを招待しないことも反対である。

 冷戦の終りからアメリカ政治を見続けてきたフーテンは、ロシアのウクライナ侵攻についてアメリカの軍事専門家でシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授と同じ意見で、「アメリカがウクライナを利用して仕掛けたプーチン潰しの戦争」と見ている。それをアメリカは「独裁者プーチンの侵略戦争」と宣伝して世界の目をごまかした。

 アメリカは世界最大の軍需産業国家である。世界最先端の武器を作り、それを自分でも使うが、世界各国に売りつけることで経済が成り立つ。ウクライナ戦争でアメリカはウクライナにアメリカ製兵器を提供するだけでなく、同盟国の軍事予算を増大させ、兵器生産をフル稼働して巨額の利益を吸い上げている。

 それを「民主主義対専制主義」の戦いと世界のメディアに報道させ、啓蒙主義的な言説で世界を洗脳した。その結果、ミアシャイマー教授やフーテンの意見は聞く耳を持ってもらえず無視される。アメリカは天才的に嘘のうまい国家である。

 最先端の兵器を作り最強の軍事力を持つ能力を「ハード・パワー」、メディア操作やエンターテインメントで人を洗脳する能力を「ソフト・パワー」と言い、その両輪を駆使してアメリカは第二次大戦後の世界に君臨し続けてきた。

 しかしウクライナ戦争はアメリカの思い通りにならず、むしろ世界は「欧米対非欧米」に二極化する結果になった。そして欧州には「極右」勢力が、アメリカにはトランプ支持勢力が生まれ、いずれもアンチ啓蒙主義の立場である。欧米の啓蒙主義は揺らぎ始め、欧州には啓蒙主義との決別を宣言する学者も現れた。

 啓蒙主義とは理性を重視し、人道主義や民主主義を人類の理想とし、その段階に至っていない社会を理想のレベルに引き上げることを使命と考える。しかし理想の裏側には必ず現実の打算があり、理想を美辞麗句で装っても現実とバランスしなくなっているのが現在だ。

 そうした時に日本に原爆を投下したアメリカの駐日大使が、日本の原爆被害の祈念式典を批判して欠席した。アメリカの駐日大使もG7の駐日大使も、もし日本がロシアとベラルーシを式典に招待すれば、それにも反対して欠席するだろう。とにかく自分たちだけが正義で、逆らう者は悪だと断定するのが啓蒙主義者たちなのだ。

 日本には明治以来「欧米に追い付き追い越せ」の教育があり、大多数の日本人は欧米の人道主義や民主主義の仮面の裏に差別や奴隷が存在していることを見抜けず、啓蒙思想をありがたく押しいただいてきた。そのためアメリカの原爆投下にも自分たちに非があるかのように思う傾向がある。

 8年前にオバマ大統領が広島を訪問した時、その目的が核廃絶ではなく、日本の安倍政権の核武装をけん制する目的だとアメリカの政治学者が公表しているのに、被爆者団体幹部がオバマの胸にすがって泣き、それをメディアが感動的に報道するのを見て、フーテンは言いようのない哀しさを覚えた。

 なぜアメリカは日本に二度も原爆を投下したのか、なぜ日本は速やかにポツダム宣言を受諾して原爆投下を防ぐことができなかったのか、フーテンが知り得る範囲のことを書いて読者の参考にしてもらいたいと思う。

 日米戦争が始まる8か月前の41年4月、日本はソ連と中立条約を結んだ。アメリカとの対立が不可避と見て、対ソ防衛から南方資源を確保する南進政策に転換するためである。するとアメリカのルーズベルト大統領は駐米ソ連大使にソ連の対日参戦を促し、日本への石油輸出を全面禁止した。

 41年12月の真珠湾攻撃から半年後の42年6月、ミッドウエー海戦で日本海軍は大敗、戦争の主導権は完全にアメリカに握られた。同じころアメリカは原爆開発のマンハッタン計画を開始する。43年11月スターリンは「ドイツが降伏すれば対日参戦する」とルーズベルトとチャーチルに伝達した。

 44年9月ルーズベルトとチャーチルは「原爆が完成すれば、ドイツではなく日本に使う」ことを約束する。なぜなら太平洋戦争は人種差別の戦争だったと英国人歴史家クリストファー・ソーンが『太平洋戦争とは何だったのか』(草思社)に書いている。

 45年2月ヤルタ会談で米英ソ首脳は「ドイツ降伏の3か月後にソ連は対日参戦する」との秘密協定を結んだ。直後の4月にルーズベルトが死去。5月9日にドイツが無条件降伏し、ソ連は8月9日までに対日参戦することになった。

 ドイツ降伏直後に日本では梅津参謀総長がソ連による講和仲介を主張する。6月23日に沖縄戦が敗北すると昭和天皇は鈴木貫太郎首相にソ連仲介を依頼した。7月13日佐藤駐ソ大使が特使派遣の希望をソ連側に伝え、ソ連はそれをアメリカに通報する。そして7月16日ついにアメリカが原爆実験に成功した。

 翌17日から8月2日までドイツのポツダムでトルーマン、チャーチル、スターリンが会談する。24日にトルーマンはスターリンに原爆実験成功を知らせ、26日に日本に無条件降伏を要求するポツダム宣言を発した。ところがなぜか出席していない蒋介石を入れた米英中3首脳の名前でポツダム宣言は出された。スターリンの名前がない。これは最大の謎である。

 この時点でアメリカは日本が戦争終結の仲介をソ連に依頼したことを知っている。そしてアメリカには①ソ連に対日参戦させる。②日本に原爆を投下する。③日本の本土を攻撃するの選択肢があった。そのうえでスターリンの署名がないポツダム宣言を日本に突きつけたのだ。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:9月29日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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