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自民党総裁選挙に完全に埋没する立憲民主党代表選の体たらく何故なのか?

田中良紹ジャーナリスト
(写真:西村尚己/アフロ)

フーテン老人世直し録(767)

葉月某日

 自民党総裁選挙が9月12日告示、27日投開票になると正式決定された。これで7日告示、23日投開票が行われる立憲民主党代表選挙は完全に埋没する。

 当初、自民党総裁選の投開票日は20日になるとみられていた。立憲民主党が23日を投開票日に決めたのはそれを前提にしている。20日に自民党新総裁が誰になるかを見届け、新しい総理に挑戦する野党第一党の代表を決めれば、国民に互角の勝負を予感させることができた。

 しかし9月は例年国連総会の時期で、特に今年は22,23日の両日に国連で「未来サミット」が開かれる。そこに誰が出席するのか。仮に20日に自民党新総裁が決まれば、国会を開いて総理大臣の指名を受けるのは24日以降になる。

 すると「未来サミット」は、次の総理が決まってはいるがまだ就任していない時期だ。それを27日に遅らせれば、総裁選の最中で次の総理が誰になるかが決まっていない。退陣を表明した岸田総理が出席するのは異例ではあるが奇妙ではない。

 岸田総理が訪米し、そこでバイデン米大統領との日米首脳会談がセットされれば、お互い引きずり下ろされ退陣する者同士のお別れ会をやることもできる。従って自民党総裁選の投開票日を20日ではなく27日にするのは至極もっともだ。

 そのあたりを考えていなかった立憲民主党の日程の決め方がフーテンには理解できない。これでは告示日の7日から11日までしか立憲民主党代表選に注目が集まらない。12日に自民党総裁選が始まれば一気に関心はそちらに向く。

 23日に誰が立憲民主党代表になったとしても、自民党総裁選が佳境を迎えていれば、立憲民主党の新代表は埋没し見えなくなる。それを埋没させないためには誰もが予想しない衝撃シナリオを用意するしかないが、日程の決め方からも分かるように立憲民主党には政権を取ろうとする必死さがない。

 なぜ立憲民主党は政権交代に必死にならないか。繰り返し言ってきたことだが、いわゆる「55年体制」の社会党や共産党を野党だと考える国民がまだ多く存在しているためだとフーテンは思う。つまり日本国民は永久に政権交代を狙わない野党を野党だと思わされてきた習慣から抜け出ていないのだ。

 社会党と共産党が目標としたのは政権交代より憲法改正阻止である。そのため政権交代に必要な過半数の議席ではなく、国会で憲法改正の発議をさせない3分の1の議席獲得が目標だった。

 社会党は過半数を超える候補者を選挙に擁立せず、候補者全員が当選しても政権交代は起きない。一方の共産党は組織維持のため全選挙区に候補者を立てるが、それは社会党候補者から票を奪うためで政権交代のためではない。そのことに国民は気付かずに社会党や共産党を野党だと思い込んだ。

 さらに国民が気付いていないのは、憲法9条を国民に浸透させたのは吉田茂の流れをくむ自民党主流派の「軽武装・経済重視路線」ということだ。吉田茂の狙いは9条を経済復興の道具にすることだった。

 冷戦が始まるとアメリカは日本に再軍備を要求する。吉田は9条を盾にこれを拒み、朝鮮戦争に出兵せず、代わりに米軍のために軍需産業を復活して武器弾薬を製造し、日本を工業国にすると同時に戦争特需でアメリカから巨額の資金を獲得した。

 竹下登がフーテンに教えてくれたことだが、そこで日本は「狡猾な外交術」を考え出した。つまり9条擁護の運動を社会党と共産党にやらせ、アメリカが自民党政権に軍事要求を強めれば、政権交代が起きてソ連に近い政権が日本に誕生するとアメリカに思わせ、アメリカをけん制したのだという。

 社会党と共産党が政権を取ればソ連に接近しただろう。しかし永久に政権を取らない仕組みがあるので、現実には起こりえない。つまり日本はアメリカを騙して軍事要求を強めさせないようにし、日本の経済力強化に集中したのである。こうしてベトナム戦争でも戦争特需の恩恵を受けた日本は世界が驚く高度経済成長を成し遂げた。

 政権交代を狙わない反面、社会党と共産党は国会では自民党政権を悪の権化であるかのように攻撃した。その野党に国民は拍手喝采する。野党が攻撃しても権力を奪わないことを知っている自民党は我慢して反撃しない。そして弱い者が強い者を攻撃できる状態を見せることで、日本は民主主義国家であると国民に思わせた。これが与党にとっても野党にとっても利益になる方法だった。

 さらに自民党は権力の集中によって独裁にならないよう、党内に派閥を作り、それぞれの派閥が総理候補を担いで政策の切磋琢磨を行い、2年ごとに総理を交代させる仕組みも作った。自民党に派閥ができたのは政権交代を狙う野党が存在しなかったからだ。こうして38年間も日本には自民党長期単独政権が続いた。

 それが続かなくなったのは国際情勢の変化である。80年代から経済力でアメリカを追い越す勢いの日本経済は、ソ連以上にアメリカの脅威となった。日米経済戦争が始まると、アメリカは日本の政治経済体制を分析し、日本がアメリカとは異質の国であることを認識した。

 政治を見れば、民主主義の基本である政権交代がない。しかし独裁でもない。派閥政治という理解不能な仕組みがある。経済では銀行のメインバンク制によってあらゆる企業が銀行とつながり、銀行は大蔵省の天下り先となって、政府の方針が企業と業界団体にいきわたる。まるで統制経済だ。アメリカはこれらを一つずつ解体する作業に取り掛かった。

 1991年にソ連が崩壊、アメリカが世界唯一の超大国になった。竹下登がフーテンに教えてくれた「狡猾な外交術」は時代遅れになる。アメリカをけん制する目的の社会党や共産党の役割はなくなり、それ以上に憲法9条の意味が逆転した。

 憲法9条2項には「戦力不保持」と「交戦権の否定」が盛り込まれている。これは日本を占領したGHQのマッカーサーが草案に入れたもので、真意は日本には自衛の戦争も認めないとするものだ。つまりアメリカが永遠に日本を隷属させるのが9条2項の目的である。

 しかし国際法は戦争を違法とするが、他国から侵略を受けた場合、個別的自衛権と集団的自衛権の両方を認めている。日本は自衛のための実力組織として自衛隊を創設したが、それは自衛権を根拠に9条2項を改正するのではなく、自衛隊を「戦力ではない」と解釈することで合憲とした解釈改憲だった。

 日本を防衛するのは日米安保によってあくまでも米軍の力を借りなければならない。防衛をアメリカに依存する限り、軍事だけでなく経済の分野でもアメリカの要求を拒否することは難しい。かつて日本が経済に力を集中するため利用した9条が、冷戦が終わると逆にアメリカによって日本経済を解体するために使われる道具になった。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:9月29日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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