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岸田総理の総裁選不出馬にひ弱な政治家の「政権放り投げ」を見た

田中良紹ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

フーテン老人世直し録(766)

葉月某日

 岸田総理が自民党総裁選への不出馬を表明した。その記者会見を見たが、権力者らしからぬひ弱な人間の口惜しさがにじみ出て、フーテンには「政権放り投げ」の会見に見えた。

 岸田総理は①自分はデフレからの脱却など様々な政策課題をやってきた。②しかし国民の信頼がなければ政策を前に進めることはできない。③そのためには自民党が変わらなければならない。④最も分かりやすいのは自分が辞めることだ。そう言ったのである。

 岸田総理がデフレからの脱却に力を入れていることをフーテンは評価してきた。今に続くデフレを深刻化させたのは橋本龍太郎政権である。1997年に中央政府と地方政府の借金を5年間でGDPの3%以内に減らすという財政構造改革法を成立させた。

 当時フーテンはアメリカと日本を往復しながら両国の政治を見ていたが、橋本政権の財政健全化の方針にアメリカの経済学者たちは驚き、バブル崩壊後の日本経済は急速に収縮すると一斉に批判した。すると外国人投資家の日本株売りが始まり、日本の株価が暴落する。

 株を大量に持つ大手銀行は自己資金が減少し、貸出先から資金を回収せざるを得なくなった。いたるところで「貸し渋り・貸し剥がし」が起き、それによって中小企業経営者が自殺に追い込まれ、企業倒産が相次いで日本経済は沈没した。

 橋本総理は総理を辞めた後も「大蔵省に騙された」と言って後悔し、前例のないことだが再び総理になってデフレを解消しようと2001年の自民党総裁選に再出馬した。最大派閥の候補者だから当選間違いなしと思われたが、小泉純一郎候補を田中真紀子氏が応援したことで国民が熱狂し、番狂わせが起きて小泉総理が誕生する。

 小泉総理は政策としてアメリカの新自由主義を導入した。そして「プライマリー・バランスの均衡」を主張するなど典型的なデフレ政策を行った。そのため地方経済は疲弊し、格差拡大が顕著になる。その後を受けた安倍総理は大胆な金融政策でデフレ脱却を目指すが、それは日本を「金利のない異常な世界」に導いた。

 「新しい資本主義」を掲げた岸田総理は、賃上げによってデフレから脱却する政策に切り替え、金利のない異常な世界からようやくまともな世界に戻ろうとした。ただ戻れるかどうかの瀬戸際にいる。その矢先に総裁選不出馬を表明したのである。フーテンの目には無責任な「政権放り投げ」に見えた。

 フーテンにとって分からないのは②の主張だ。国民の信頼がなければ政策を前に進めることができないとは、一見もっともらしいが綺麗ごとである。政治家はよく論語を引用して「信なくんば立たず」、すなわち「国民の信頼が大事だ」と言って国民に迎合するが、フーテンは国民の信頼より政策の方が大事だと考えている。

 論語の話は、弟子が孔子に「兵(軍事)、食(経済)、信(信頼)」の中で政治にとって捨てて良いものは何かを質問する。孔子はまず兵だと言う。軍隊はなくても政治はできるというのだ。次は何かと弟子が聞くと、孔子は食だと言って、民衆の信頼が何よりも大事だと教えた。

 フーテンがそれを綺麗ごとと思うのは、人間が飢えた状態になれば、理性的な判断などできなくなるからだ。仲の良い人間同士でも、あるいは家族の中でも、殺し合いが始まる可能性がある。極限状態の人間はそうなる。

 だから政治の使命はまず飢えさせないことだ。飢えた状態になれば信用も信頼もあったものではない。つまり経済を最優先するのが現実の政治だと思う。そして岸田総理が政策を前に進めることができないほど信用を失っていると考える根拠は内閣支持率である。そうだとすると岸田総理を辞めさせたのは世論調査の支持率ということになる。

 世論調査の支持率で辞めた政治リーダーなどフーテンは見たことがない。しかも低いと言ってもまだ20%台の支持率で、フーテンが知っている竹下総理は支持率が4%台になっても、また予算が年度内に成立しなくとも辞めなかった。それはその時点で国民に理解されなくとも、辞めないでやるべきことをやらなければならない時が政治家にはあるからだ。

 政治リーダーが辞める時は、選挙に敗れて国民の支持を失ったことが立証された時である。これは国民の意思を尊重し納得して辞めなければならない。しかし世論調査に選挙ほどの重みがあるのか。国民は選挙には自分の生活を賭けて真剣に選ぶだろうが、世論調査にそこまでの真剣さはない。周りの雰囲気に同調して回答する方が多い。

 そして岸田政権の内閣支持率が低い理由は、経済や外交という本来の政治の課題に対するものではない。旧統一教会と「政治とカネ」のスキャンダルによるものだ。その旧統一教会も「政治とカネ」のスキャンダルも安倍派の問題である。岸田総理個人や岸田政権が引き起こした問題ではない。

 だからだろう。岸田総理の記者会見を通してフーテンが感じたのは「口惜しさ」だった。それは味方に後ろから鉄砲で撃たれた口惜しさだろう。それが「後継にはどんな人が良いか」と記者から質問され、「出馬しない人間が後のことについて言うべきではないが」と言いながら、「改革を後戻りさせない人」と言い、また「不出馬を発表する前には自分が進めてきた課題を示す政治家としての意地があった」という言葉に表れた。

 「意地」という言葉を言った時、能面のような顔で官僚的に淡々と話すのが常の岸田総理の表情に感情の高ぶりがあった。「本当は経済や外交でやりたいことがあったのに」と思っていることを感じさせた一瞬だった。

 安倍派の政治資金パーティの裏金問題は、岸田総理にとって最大派閥を解体状態に追い込む絶好の機会だった。それをやらなければ「アベノミクス」を消し去り、岸田総理が目指すデフレからの脱却に弾みをつけることはできない。

 自民党に政治刷新本部を作って「政治改革」に着手し、菅義偉、麻生太郎の両総理経験者が最高顧問に名を連ねる。すると菅前総理と小泉進次郎議員が「派閥解消」を主張した。裏金問題と派閥解消とは何の関係もない。ところが岸田総理はそれを渡りに船とばかりに賛成し、自分が所属していた名門派閥「宏池会」を突然解散した。それを誰にも相談せずに決めた。

 その時フーテンは岸田総理が思っていた以上に権力者の顔を持っていることを認識した。岸田総理がそれをやれば批判の矛先が向く安倍派は解散せざるを得ない。最大派閥がなくなれば人事権と解散権は総理の思うままになる。

 支持率の低い総理に選挙が近づけば、自民党内からは「引きずりおろし」が起きる。選挙に勝てない総理を交代させるのは大義名分になるからだ。しかし選挙が遠い先の話なら支持率が低くとも大義名分がないので誰も引きずりおろしはできない。総理が解散の時期を自由に決められ、かつ人事権を自由にできれば鬼に金棒だ。

 それを手にしたのだから岸田総理は攻勢に打って出るとフーテンは思った。ところが派閥解消に麻生副総裁と茂木幹事長が反発し、政治改革に非協力の姿勢を見せ、公然と岸田批判を始めたのである。本来、岸田総理は総理であるから党務より公務に専念するのが常識だ。党務の最高責任者は総裁よりも幹事長、あるいは副総裁ということになる。

 その実質的な責任者がサボタージュを始め、岸田総理が自ら政倫審への出席や、政治資金規正法改正案の協議に関わることになった。その結果、党と岸田総理の間に溝ができていく。そして本来は総理の仕事でないことまで総理がやり、自民党が政治改革に不熱心なのも岸田総理のせいだと言われるようになった。

 岸田総理が「派閥解消」を決断して実行したのは何のためだったのか。その目的がさっぱりわからなくなった。それが総裁選への不出馬の背景にあるのだとしたら、岸田総理の言う自民党のトップとして責任を取り、けじめをつけるというのは余りにも綺麗ごとすぎる。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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