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田中角栄は金脈を追及されて総理を辞めた訳ではないという真実

田中良紹ジャーナリスト
(写真:Fujifotos/アフロ)

フーテン老人世直し録(777)

神無月某日

 今から50年前、月刊「文芸春秋」11月号が2本の記事で現職総理の「金と女」を暴いた。2本の記事とは立花隆氏の「田中角栄研究 その金脈と人脈」、そして児玉隆也氏の「淋しき越山界の女王」である。

 雑誌が発売された2か月後に田中角栄総理は退陣を表明、田中氏には「金権政治家」のレッテルが貼られた。それから1年2か月後、米国議会は軍需産業のロッキード社が西側世界の反共主義者を秘密代理人にし、各国の政治家に賄賂をばらまいていた事実を暴露した。  

 日本の秘密代理人は右翼の児玉誉士夫である。しかし東京地検特捜部は児玉とは関係の薄い田中氏を受託収賄容疑で逮捕した。1年半前まで総理だった政治家の逮捕に国民は衝撃を受け、日本中に金権政治に対する怒りが渦巻き、以来、日本政治には「政治とカネ」がつきまとうようになった。

 政治資金規正法違反事件は後を絶たず、何十年かに一度は政界全体を揺るがす大事件が勃発する。ロッキード事件の後、36年前にはリクルート事件が、そして今度は自民党パーティ資金裏金事件が起きて、そのたびに国民は怒り政治改革が叫ばれるが、それが功を奏することはない。

 50年後の今年の月刊「文芸春秋」11月号は、『特集「角栄研究」50年目の重大証言』と題して2本の記事を掲載した。一つはロッキード事件を担当した検事堀田力氏の証言で、もう一つは故児玉隆也氏の長男で父親と同じ職業に就いた児玉也一氏の証言である。

 堀田氏はロッキード事件の捜査に当たり、ロッキード社が売り込みを図った民間航空機トライスターと対潜哨戒機P3Cのうち、「P3Cは何も聴くな」と上層部から命令されていたことを明かし、児玉氏は当時の月刊「文芸春秋」の編集長が亡くなるまで父親の直筆の原稿を自宅に保存していたことを明らかにした。

 フーテンはTBSの記者としてロッキード事件発覚と同時に取材に関わり、右翼の児玉誉士夫がロッキード社の秘密代理人になった背景と児玉と政界との関係を取材して歩いた。またアメリカ側資料が東京地検特捜部に到着すると、特捜部の捜査を担当することになり田中逮捕の現場を目撃した人間である。

 さらに田中被告の一審判決が近づくと志願して政治部記者となり、一審有罪判決後に一切の政治活動を自粛して私邸に籠っていた田中氏の「話の聞き役」になった。田中氏は胸の底にある憤懣をぶつけるように「話の聞き役」のフーテンに語り続けた。田中氏から聞いた政治の真相は、メディアが伝える政治とは異なり、フーテンの見方を根底から覆すものだった。

 それまでフーテンは田中内閣を打倒したのは立花隆氏の「金脈追及」だと思っていた。不正な金を作ったことを立花氏に暴かれ、その責任を取って総理を辞めたとばかり思っていた。しかしそれはただの思い込みで、田中氏は全く悪びれていなかった。

 「俺は自前でカネを作った」と田中氏は言った。「ほかの政治家は役人からカネをもらうか、財界からカネを受け取るかして、役人と財界のひも付きだ。だから役人と財界の言いなりになる。しかし俺は誰のひも付きでもない」とむしろ胸を張った。

 そして日本の政治は官僚が政治を支配しているところに問題があると言った。官僚の数を減らさないと無駄な出費が多くなり、国民負担が大きくなる。それを是正するため幹事長時代に「総定員法」という法律を作り、その法律は成立したが、佐藤栄作総理によってことごとく骨抜きにされた。

 「佐藤さんはやはり官僚出身だ。その時に俺は総理にならなければ自分の思う政治はできないと痛感した。幹事長として俺は一流だと自分でも思う。しかし幹事長ではだめだ。佐藤さんは自分の後の総理を福田にやらせようとしたが、俺はそれに挑戦した」。

 フーテンは田中氏が13歳年上の福田赳夫氏を差し置いて54歳で総理になったことが「角福戦争」を生み、それが田中政権を短命にした原因ではないかと思っていたが、田中氏の考えはそんなことではなかった。田中氏は官僚政治の打破に政治生命をかけていた。

 フーテンは田中氏が総理を辞めた理由は「金脈追及」でないことを知った。では田中氏はなぜ総理を辞めたのか。フーテンは児玉隆也氏の「淋しき越山界の女王」が田中氏を追い詰め、総理退陣に踏み切らせたと考えるようになった。

 当時の野党は月刊「文芸春秋」11月号を材料に政権攻撃の準備に入ったが、金脈については既に知られた話が多く、それより田中派の金庫番として派閥の政治家に絶大な力を持つ佐藤昭という女性の存在が興味を集めていた。

 雑誌発売後の11月15日、野党は佐藤昭を国会に参考人として招致することを決めた。しかし4日後に招致は撤回され、その20日後に田中内閣は総辞職した。参考人招致を決めてから撤回されるまでの4日間に田中氏は退陣を決意したことになる。退陣と引き換えに国会喚問をやめさせたのである。

 佐藤昭氏はただの金庫番ではない。田中氏の愛人であり、認知はしなかったが2人の間には娘が一人いた。そうした事実が表に出ることを田中氏は恐れた。しかも退陣したとしてもまだ56歳の若さである。捲土重来を期す気があった。

 ところが後継総理が椎名裁定で政敵の三木武夫氏になり、三木氏は田中氏が二度と総理に戻れぬよう、ロッキード事件が発覚すると、それを利用して追い落としを狙う。それに気づいた自民党は椎名氏を筆頭に党を挙げて「三木おろし」を始めたが、検察を指揮する立場の三木政権は自民党を乗り越えて田中逮捕に突き進んだ。

 今月発売の月刊「文芸春秋」11月号は、フーテンの見方を裏付ける記事を掲載した。特に児玉氏の『「越山界の女王」削られた5枚』は興味深かった。当時の編集長である田中健五氏が立花論文よりも児玉氏の記事に神経を使い、何度も書き直しをした形跡があり、しかも直筆原稿を大事に自宅に保存していた。

 田中内閣を打倒したのは「金脈追及」ではなく「越山界の女王」であることを田中健五編集長は知っていたのだ。一方、ロッキード事件を捜査した特捜部にとって田中氏はあくまでも「金権政治」の代表でなければならなかった。

 従ってロッキード事件がなぜ米国議会によって暴露されたかについても日本ではデフォルメが施されている。特捜部が作ったストーリーは、全日空という民間航空会社の機種選定に金権政治家の田中氏が介入し、ロッキード社から賄賂を受け取ったという話になる。

 しかしロッキード事件を暴露した上院多国籍企業小委員会のフランク・チャーチ委員長は、民主党議員でありながら民主党が始めたベトナム戦争に反対した。理由は反共を正義と信じて出征した兵士たちがベトナムで見たのは、ベトナム民衆の米国に対する敵意だった。

 反共より民衆に支持される政治が正義ではないか。チャーチ委員長は米国の軍需産業が反共主義者を使って兵器を売り込むことに疑問を抱き、軍需産業の賄賂工作を暴露したのである。だから反共主義者を排除するのが事件の本質だった。

 それでは各国は秘密代理人を逮捕したか。あるいは秘密代理人からカネを受け取った政治家を逮捕したか。フーテンは寡聞にしてその事実を知らない。逮捕されたのは日本の田中角栄氏ただ一人ではないか。そして田中氏は反共主義者では決してない。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:10月27日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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