<イラク>ISに拉致、性奴隷にされたヤズディ教徒女性 悲劇と勇気描くふたつの映画(写真6枚)
ISと戦う女性描く「バハールの涙」
過激派組織「イスラム国」(IS)に関する映画2作品が、今年日本で上映されている。いずれもイラクでのISによるヤズディ教徒の迫害を題材にした「バハールの涙」(エヴァ・ウッソン監督)と「ナディアの誓い」(アレクサンドリア・ボンバッハ監督)だ。
「バハールの涙」は、ISの性奴隷にされた女性が、銃をとってISと戦う物語だ。
ヤズディ教とは孔雀天使を崇める宗教で、イラク国内に60万の信者がいた。これを「悪魔崇拝」とみなしたISは、2014年8月、イラク北西部シンジャルのヤズディの町や村を襲撃した。男性ら1000人以上を殺害、多数の女性や子どもを「戦利品」としてISの支配地域に連行した。
ヤズディ教徒「邪教」とされ虐殺、女性らを拉致「奴隷」に(写真9枚)
映画に登場する女性バハールは、繰り返し凌辱され、命懸けで脱出する。その後、ヤズディの女性戦闘部隊に入り、ISと戦いながら、少年軍事訓練所に入れられた息子を探す。これは実際に存在するクルドのヤズディ部隊がモデルだ。ISは何をしたのか、ヤズディ女性たちに何が起きたのかを、映像はリアルに伝えている。
ノーベル平和賞女性「ナディアの誓い」
もうひとつは、昨年、ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドの活動に密着したドキュメンタリー「ナディアの誓い」だ。
ナディアはシンジャル南西のコジョ村に家族とともに暮らしていた。そこを突然、ISが襲撃する。6人の兄と母を殺され、彼女は当時ISの支配地域だったモスルに移送された。彼女は戦闘員と強制結婚させられる。逃亡を試みるが捕まり、次々にレイプされた。その後、地元住民の手助けで脱出に成功、クルド自治区にたどり着く。映画ではISの非道と、ヤズディへの窮状を世界に伝えるため、彼女が活動する日々を追う。
IS襲撃前、私はシンジャルを取材したことがあった。70年代、フセイン政権下で荒れ地に移住させられたヤズディ教徒たちは、苦しい生活を強いられた。職を求めて男たちの多くは都市部に働きに出た。農村では10代後半で結婚する女性が多く、小学校を出ていない者も珍しくなかった。中学を卒業したナディアは、母語のクルド語だけではなく、アラビア語も、読み書きもできた。人前で自分に起きた耐え難いレイプ被害を話すことは辛いことだ。それでもナディアが強くなれたのは、彼女と同じ経験をしたヤズディ女性たちへの思いがある。
ノーベル平和賞 ヤズディ拉致女性ナディア・ムラドさんの村で (写真13枚)
昨年10月、私は彼女の故郷コジョ村に入った。ISが去り1年以上がたったが誰も帰還していなかった。たくさんの男たちが殺害され、働き手を失った家族は、村での生活をあきらめるしかなかった。ISに協力した近隣の一部のイスラム教徒への不信もある。ナディアの家はISが襲撃した時そのままだった。床には衣服が散乱、家具も奪われていた。
現在、ISは支配地域のほとんどを失ったが、2000人におよぶヤズディ女性や子どもが行方不明のままといわれる。脱出後も、ISの恐怖に怯え、ドイツなどへの難民申請があいついだ。クルド自治区へ避難した人たちの多くは故郷へ戻れず、今もテント生活だ。国際社会の関心が薄れることで、支援も減り、人びとは生活困窮に追い込まれている。
「ナディアがノーベル平和賞を受賞しても、私たちの状況は何も変わっていない」。現地でそういう声を多く聞いた。
思い返してほしい。イラク戦争では米軍による空爆や戦闘の被害が大きく報じられた。日本もこの攻撃を支持した。2011年、米軍がイラクから撤退すると、国際社会はイラクを忘れた。だが現地では混乱が続き、宗派対立に乗じてISが台頭した。ヤズディという小さなコミュニティの人たちが犠牲となった。フセイン政権でクルド系住民として迫害にさらされたヤズディ住民。今度は過激主義の犠牲となった。
ノーベル平和賞の授賞式で、ナディアに笑顔はなかった。IS襲撃がなければ夢だった美容師となり、家族とともに村で暮らしていただろう。イラク戦争後に起きたいくつもの悲劇を思うとき、私たちは無関係といえるだろうか。
シリアとイラク、IS支配の傷痕をたどる――ヤズディ教徒の虐殺と拉致
(※本稿は2019年1月27日付しんぶん赤旗日曜版、映画評記事に加筆修正したものです)
◆ヤズディ教:
イラク・シリアにまたがる地域のクルド系住民に受け継がれてきた少数宗教。報道ではヤジディーとも呼ばれる。ゾロアスター教やキリスト教、イスラム教などの影響を受け、イラク北部には約60万人が暮らしてきた。歴史的に迫害にさらされ、2014年には「悪魔崇拝」と決めつけたISがイラク北西部シンジャル一帯のヤズディ教徒の町や村を襲撃した。