祝・プロ初勝利!鉄の意志と“愛され力”を備えた阪神タイガース・湯浅京己はすべての経験を糧に成長する
■まさかの初被弾
プロ初被弾だった。
7月1日の中日ドラゴンズ戦。同点の八回に登板した湯浅京己投手は、2死二塁からアリエル・マルティネス選手に高めのストレートを左翼スタンドに運ばれた。力負けという結果になったが、球速も146キロで本来の球威はなかった。蓄積疲労は否めない。
マウンドでガックリとしゃがみ込み、その回を投げ終えてベンチに帰ってからも唇を噛んで放心したような顔をしていた。
悔しくて、悔しくて、悔しくて…ただただ悔しい。そして、チームに申し訳ない。負けず嫌いの若きセットアッパーは、溢れ出る感情を隠すことはできなかった。
湯浅投手の初勝利の原稿を出す予定だったのが、その寸前の、まさかの3敗目だった。
しかし、打たれない投手などいない。打たれて悔しがれるのは、ケガなく1軍で投げられているという証左だ。故障していたら、それすら味わえない。
だから、どんなに悔しくても前を向くしかない。いや、湯浅投手はきっとそうする。また新たな気持ちで次戦に向かい、サクサクっと抑えることだろう。
これまでもさまざまなことを乗り越えてきた。そして今後もすべての経験を肥やしに成長して、大きな投手になっていく。
【追記】
この翌日、また八回に出番がきた。先頭で迎えたのはマルティネス選手だった。
昨夜のお返しとばかりにストレートでグイグイ押す。前日にやられた高めのスレートを配するのは、負けず嫌いの証しだ。そして最後は152キロで空振り三振を奪った。
マウンドで吠える姿に、湯浅投手の並々ならぬ思いがこもっているのが見てとれる。
四球は出したものの、続く打者も空振り三振と左飛に仕留め、前日のリベンジを果たした。3連投にはなってしまったが、気持ちはスッキリしただろう。
以下、出す予定だった初勝利の原稿をお届けする。
■初勝利の喜び
「あと1人」から「あと1球」に、スタンドのコールが変わる。実際には声は出せない。心の声だ。
ベンチからグラウンドを見つめるその顔を、テレビ中継のカメラはずっと抜いている。マスクでその大半は隠れてはいるが、近づいてくる“その瞬間”をドキドキして待っているのが窺える。
この日もしっかり仕事をこなした。先発・青柳晃洋投手の後を受け、八回1死二塁で登板すると、ピッチャーゴロを素早くさばいて二走をサードで刺した。一塁寄りの打球だったが、さすがのフィールディングで魅せた。
野手のエラーで一、三塁にピンチは広がったが、島田海吏選手の好守備で3つ目のアウトを取り、白い歯を見せてベンチに帰った。
その裏だ。自身の代打・梅野隆太郎選手の2点タイムリーで勝ち越したときには、ベンチ前に飛び出して両手を高々と掲げてガッツポーズしていた。相当な興奮ぶりだった。
そして、“そのとき”はとうとう訪れた。入団4年目の6月24日。湯浅京己投手はプロ初勝利を挙げたのだ。ホッとしたような照れたような笑顔には、これまで幾多の試練を乗り越えてきた強さが詰まっていた。
ヒーローインタビュー担当の球団広報は奇しくも緒方凌介氏で、テレビ画面にも一瞬、一緒に映る場面があった。湯浅投手の入団時から「65番を輝かせてほしい」と、自身の背番号の後継者に思いを託していたが、それが叶ったこの夜、「65番の共演になった」と喜んだ。
中継ぎだと、勝ち星は運に左右される。今季もここまで何度か「勝利投手になるんじゃないか」という展開があったが、そうはうまくいかなかった。
いつ白星が転がり込んでくるかわからないし、いつそうなってもおかしくはないところまできていたが、やはりいざ現実のものとなると、本当に嬉しいものだ。
プロ入り4年目での初白星。入団以来、故障に見舞われ、やっと1軍で登板できたのが昨年。それも3試合のみだ。実質、今季がルーキーイヤーのようなものだと考えると、決して遅くはない。
これまで苦しんできたことが、報われた夜だった。
■鉄の意志を貫く
「やっちゃいました」「また、やっちゃいました」「また、やっちゃいました」―。
まさか3度も聞かされるとは想像もしなかった。すべて同じ腰椎分離症だ。その度に、湯浅投手がどんな思いでいるか察すると、かける言葉が見つからず、気の利いた慰め方ができなかった。
はかり知れない絶望感を味わっただろう。しかし彼は負けなかった。ひとたび切り替えると、ひたすら前を向き、復帰に向けて力を尽くす。その姿勢からは、とてつもない強さを感じさせてきた。
あの柔らかい笑顔からは想像できないくらい、強靭な精神力を秘めている。自分でこうと決めたら、とことん貫く。
聖光学院高校を選んだのも自分自身だ。入学して間もなく成長痛に苦しんだが、マネージャー職を引き受けながらも、絶対に選手に復活するという気持ちが折れることはなかった。
ほかの選手が指導者から注意を受けているときは聞き耳を立て、選手に戻ったときに同じミスをしないよう頭に叩き込んだ。元々内野手で入学していたが、晴れて選手に復活できたときには投手をやりたいという強い思いを訴え、それが認められた。
卒業後に独立リーグ(BCリーグ・富山GRNサンダーバーズ)に進むことを決めたのもまた、自らの意志だ。大学進学を進める両親や周りの大人を、自分で説得した。
鉄のように強固な意志を貫いたからこそ、ここまでたどり着けたのだ。
子どものころから自立心も旺盛だった。小学生のあるとき、伊勢の名物である赤福氷が食べたくなり、ひとり電車に乗って伊勢まで出かけたこともあった。
タイガースに入団してからも、なんでも自分で調べてひとりで赴く。トレーニングや酸素カプセル、美容院に至るまで、だ。冒険家で研究熱心、そして好奇心旺盛な証しである。
■愛され力
かといって孤高というわけではなく、周りの人からの「愛され力」を持つ。その笑顔、言葉、振る舞いは人々を魅了し、一度話すと相手を好きにさせてしまう力がある。そこに計算はまったくなく、天性の“人たらし”でもある。「人たらし」だなんて表現はよくないかもしれないが、もちろんいい意味である。
かわいらしいエピソードがあった。ドラフト直後、高知県は安芸へ秋季キャンプの見学に行くことになったときのことだ。こんなことを訊いてきた。
「手土産って持っていくものですか?」
は?キャンプの見学に手土産…!?
まさかの質問に、思わずクスリとしてしまった。おそらく高校でのマネージャー経験から、そういう発想が生まれたのだろうが、前代未聞だ。
「手土産を持ってきたっていう選手の話は聞いたことないけど、逆に誰もやってないから持っていくのもいいかもね」と答えると、しっかりと持参し、矢野燿大監督に手渡した。
ただ、受け取った矢野監督がいきなり「お金以外は受け取らんで」というジョークをぶっ込んできたのには、湯浅投手も「初対面でだから、ビックリしました」と“関西人の洗礼”に対しての返し方もわからず、ドギマギしたようだ。
矢野監督もこのとき、「かわいいやっちゃな」と感じたに違いない。
■あっくんは人気者
学生時代も人気者だった。中学3年時の担任だった野中貴央先生は「周りに好かれる柔らかい雰囲気やった。すごく優しい子で、おっとりしていた」と証言する。
「尾鷲中学の文化祭ではクラス合唱のレベルが高くて、けっこう盛り上がるんやけど、その指揮者にみんなから推薦されて、しっかり頑張っていたのを覚えている。モテてたかどうかまではわからんけど(笑)、『あっくん』『あっくん』って、みんなに好かれとったね。女の子らにも」。
野中先生も、中学時代「プロ野球選手になりたい」と言っていた湯浅投手のことは、卒業してもずっと気にかけていた。だからプロ入りが決まったときは本当に嬉しかったという。
明かしてくれたビックリ仰天のエピソードがある。湯浅投手がドラフト指名された年の体育祭で、生徒たちが決めたスローガンが「雲外蒼天」だったという。
これは湯浅投手の座右の銘でもある。ケガで苦しんでいた高校時代に出会い、ずっと大切にしてきた言葉だ。ところが生徒たちはそんなことはまったく知らず、自分たちで探して、決定したのだった。
野中先生も「僕も知らない言葉だったし、湯浅の大切にしている言葉だと後から知った」と、先輩後輩の思いが偶然シンクロしたことに驚くとともに、強烈な縁を感じたという。
「ケガなく1軍で活躍してほしい」という野中先生の願いも、今季ようやく叶った。
■ケガなく
「ケガなく」は、湯浅投手を知る誰もが思うことだ。背番号65の前任者である緒方広報も、自身のケガが多かった野球人生を振り返っては「“ケガ番”やからなぁ」と憂慮していた。だからこそ、湯浅投手にはそれを“ロンダリング”してほしいと願っている。
開幕からここまでセットアッパーとして31試合に登板し、リーグトップの21ホールド(同22ホールドポイント)を挙げている。シーズンを通してこんなにも投げ続けるのはプロ入り初…というより人生初だ。
交流戦終盤に一度、リフレッシュのために抹消されたが、完全に疲労が抜けたわけではないだろう。しっかりとケアをしながら、シーズンを完走してもらいたい。
■先発での登板とバッティングが見たい
プロ野球解説者も含め、世間の論調は「いずれはクローザーに」というのが大半だが、まだ若いし、先発として育てるのもありではないか。本人も先発には並々ならぬ意欲がある。
ルーキーイヤーはファームで先発をしていた。ケガから復帰した昨季も、先発に向けてイニング数を伸ばしているところだったが、矢野監督に見初められて急遽、中継ぎとして初昇格した。
力強いストレートと鋭く落ちるフォーク、そしてその投げっぷりから、今季は開幕から当たり前のようにブルペンメンバーに入り、セットアッパーまで昇りつめた。
しかし、個人的に思うのは「先発としての姿が見たい」ということ。監督の考えやチーム編成によってどうなるか、来季以降のことはわからない。が、先発として息の長い活躍をしてもらいたいと願う。
先発としての資質も十分にあるのだ。中継ぎでは使っていない球種もあるし、ゲームメイクする力もある。それに、実はバッティングがめちゃくちゃいいのだ。
めったにない投手陣の打撃練習のときなど、鋭い打球を飛ばす。ロングティーの飛距離にも驚かされる。湯浅投手自身もバッティングが大好きで、お父さんの栄一さんはかつて「野手でプロにいってほしい」と願っていたくらいだ。
先発でバッティングも披露してもらいたい。
■勝利を「またやっちゃいました」
お茶目で、常に人を気遣う優しさがある。子どもっぽいようで、冷静に物事を見通す聡明さがある。
タイガースにとっても大切な宝だ。大事に大事に使ってほしい。もう二度と「またやっちゃいました」は聞きたくない。
この先、何度でも聞きたいのは「(勝利を)またやっちゃいました」だ。できれば先発で―。
(撮影はすべて筆者)
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