阪神タイガースで活躍する“富山の末っ子”・湯浅京己へ―富山GRNサンダーバーズからのメッセージ
■湯浅京己と富山GRNサンダーバーズの縁
人生にはタイミングや縁、巡り合わせというものがある。
阪神タイガースで今、ブルペンを支える大きな働きをしている湯浅京己投手の場合、富山GRNサンダーバーズ(BCリーグ)に入っていなければ、どうなっていただろうか。その類稀なるポテンシャルから、どこかのタイミングでNPBには入ってはいただろう。だが、はたして高卒1年目に達成できたか。そして、どの球団だったか。それは誰にもわからない。
少なくとも富山に入団したことで伊藤智仁監督(現東京ヤクルトスワローズ投手コーチ)に出会うことができ、それが湯浅投手にとっての大きなエポックメイキングになったことは間違いない。
古巣・富山球団は今年から日本海オセアンリーグに所属し、4月10日にボールパーク高岡で開幕戦を開催した。湯浅投手にとっても思い出深いこの球場に、在籍していた2018年当時の懐かしいメンバーが顔を揃えた。それぞれに「湯浅京己」について語ってもらった。
■海老原一佳さん(元北海道日本ハムファイターズ)「記録を残してほしい」
まず、チームメイトだった海老原一佳さんだ。湯浅投手とは同期入団だが、海老原さんは大学卒なので4つ年上である。同じ年のドラフトで北海道日本ハムファイターズに入団した。昨年退団し、現在は高岡向陵高校野球部のコーチを務めている。
【海老原一佳さん 談】
京己は伊藤(智仁監督)さんに育てられたって感じで、ほんとに一生懸命にやってましたね。
一番若かったんで、道具を運んだりとか準備とか率先してやっていたんですけど、そういうのがあったからこそ成長できたのかなと思います。もちろん野球の技術はすごかったんですけど。
あいつ、タイガースに入ってからケガしましたよね。そこから今のところまでなれるの、すごいですよね。ほんと努力家なんで。あと、意識がすごく高いんです。サンダーバーズ時代からそうでした。
たとえばランニングするにしても、ほかのヤツが抜いてるところを抜かずに走ったりとか、トレーニングの意識も高いですね。「プロに行きたい」っていうのが表れていました。
あと、やっぱり伊藤さんの存在ですよね。師匠というか…師弟関係って大事だと思います。自分を正してくれる、そういう感じですよね。伊藤さんという師匠が常に自分を正してくれてたんじゃないですかね。ほんとにいい師匠をもっている。
伊藤さんが監督をされたのはその1年だけで、あとは野手出身の監督さんばかり。タイミングいいですよね。だから運もありますね、ほんとに京己は。
京己の試合はもう、ちゃんとチェックしてますよ。でもタイガースが今、ずっと連敗して全然勝てないのがねぇ…。そういえば最近の試合で切り抜けたじゃないですか(4月6日 横浜DeNAベイスターズ戦)。ノーアウト三塁でしたっけ。ああいうの見てます、しっかりと(笑)。
パワーピッチャーじゃないですか、京己って。あれを貫いてほしいですね。変な小細工を使うようなピッチャーじゃなくて、あのまま若さを出したストレートで押して、あとはフォークとか。そういう力で押すようなピッチャーになってほしいですね。もうなってるんですけど、貫いてほしいです。
それと、記録を残してほしいなぁ。最優秀防御率とか、クローザーならセーブ王とか。うん、記録は絶対に残してほしいです。
ほんと努力家なんでね。あとは努力しすぎてケガだけはしないように。ケアとかしっかりして、無理はしないでほしいですね。
■古村徹さん(横浜DeNAベイスターズ)「球団を背負うくらいの先発投手になって」
現在、横浜DeNAベイスターズ野球振興部ベースボールスクールアカデミーのコーチである古村徹さんも、富山での1年間、一緒に戦った先輩だ。古村さんは一度、ベイスターズを退団し、愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグplus)を経て富山に入団した同期でもある。
【古村徹さん 談】
1年間、一緒に過ごしましたね。彼の性格だと思うんですけど、臆することないじゃないですか。野球でもそうですけど、コミュニケーションも。なんていうんだろ、あのやんちゃな感じ(笑)。かわいいやんちゃな感じ(笑)。ほんとああいうスタイルが、プレーでもいいほうに転がっていたので。
だからもう“弟感”ですよね、誰からもかわいがられていましたね。僕と阿部(力也)ってヤツと、あっちゃんとはよく一緒にメシ行ったりとかしてました。あと乾(真大、現神奈川フューチャードリームス投手兼任コーチ)さんとも…。それと当時はトレーニングが終わったあと、ひたすらサッカーゲームのウイイレ(ウイニングイレブン)をやり込んでましたね(笑)。
ほんとに選手としての能力もすごいんですけど、かわいいんですよね。野球界って上下関係のある世界だけど、聖光学院も学校自体がガチガチじゃなかったらしいし、そういうのがいい方向に転がってたのかな。
やっぱ萎縮しちゃうとプレーに影響しちゃうじゃないですか。ほんとにのびのびやっていたのが、いいふうに野球にも繋がってたっていう印象ですね。
今は敵チームですけど、旧友ですし、活躍している姿を見られることが僕たちは嬉しい。こういう世界は1年契約。去年の時点で3年目で、いつ終わってもおかしくない中で4年目の契約をしてくれたということは、この活躍の未来がたぶん、阪神さんに見えていたということだと思うんで、そこを寛大に待ってくれた阪神さんには感謝するべきだし、きっとあっちゃんもそれは感じていると思う。
これからもっとプレーで返していってほしいですね。
もはやあの年齢でクローザーに指名されるとか、ほんとにすごいんですけど、やっぱ富山でも先発としてのすごみがあったので、そういう姿は見たいですね。
もちろん今は、チームとして必要とされている位置で投げるのがベストだし、しかもそれにちゃんと応えられるだけの身体能力があるので、まずはそこで積み重ねて、そのあとぜひ先発してほしいなぁ。
もっといえば、球団を背負うくらいの先発投手になってくれたら嬉しいと思うんで、ぜひそれを叶えてほしいです。
■永森大士さん(球団代表 兼 編成部長)「NPBに行けるのはこの子しかいないと思った」
湯浅投手の在籍時、野手コーチだった永森大士さんは現在、球団代表 兼 編成部長だ。実は湯浅投手の運命の鍵を握っていたのが、大士さんなのだ。
【永森大士さん 談】
試合、ずっと見てますよ~。活躍はすごく嬉しいですし、腰のケガもあって時間はかかりましたけど、ほんとによくあそこまでいってくれたなという思いは強いですね。
京己はね、(富山に)来たときからすごくプロ意識が高い、プロに行きたいっていう思いがすごく強い子でしたね。ケガもあってほとんど高校野球ができてなかったので、それこそ野球に飢えてるっていうか…。甲子園でもベンチに入れずで、すごく悔しい思いをしたと思うんですね。
だから、毎日そういう気持ちが伝わってくるくらい、真面目で一生懸命でしたね。
最初は智さん(伊藤智仁監督)も慎重だったんですよ。高卒ですし、ましてやケガのこともあったんで。いきなり春先からすぐ投げさせるんじゃなく、ちゃんと体を作ってから投げさせようとね。でも本人は投げたくて投げたくて…(笑)。
最初に試合で投げさせたとき、たしか全然ダメで。でも、そこから落ちていくタイプじゃないんです。「何が足りないのか」「何をしなきゃいけないのか」を智さんに教わりながら、練習の取り組み方やトレーニングを吸収していった感じですかね。
京己がBCリーグのトライアウトを受けたとき、見にいってたのは僕だったんです。ちょうど監督が吉岡(雄二)さんから智さんに代わるタイミングだったので不在で…。ブルペンで見たとき、プロに行きたいんだなと感じさせるような子で、粗削りだけど力のある球を投げていました。そのときに『この子でいこう!』と決めましたね。
ドラフト当日に来てくださった吉岡監督に「いくんだったら、この湯浅です」と強く推して、「1位はこの子しかいないです。絶対に他球団も指名してきます。必ず抽選になるんで、獲れるかわかんないですけど、いくならこの子です!」って指名したんですけど、蓋を開けてみたら一本釣りでした(笑)。
大卒の子2人が目立ってて、みんなそっちにいったんですね。でも僕はそっちに興味なくて、京己しか見てませんでした。
ウチの場合、チームの戦力になるとかじゃなくて、「NPBに行けるかどうか」で見てるんで、「NPBを目指すんだったらこの子しかいない」って湯浅の名前を書いて、くじ引きにいく用意をしてたんですよ。「何球団くるかなぁ」と思ったら、まさかの…(笑)。
正直、トライアウトのブルペンはあんまりよく見えなかったと思うんですよ。立ち投げはよかったけど、キャッチャーを座らせるとイマイチで、シートバッティングに入るとそんなよくなかった。
僕が見抜いた?それはどうか…まぁ、たまたまですけど(笑)。でもほんと、「この子だ」と感じましたね。これも縁だと思います。
僕、京己に2回怒ったことがあるんです。最初はベンチの掃除をしてなかったときです。若い子らには「球場に着いたらベンチの椅子をちゃんときれいに拭くように」って言ってあったんですけど、一度やってなかったことがあったんです。そういうところからしっかりやれと叱りました。
あとは試合が崩れて交代したときに、京己がロッカールームに行っちゃったんですね、ほかのピッチャーが代わって出ていってるのに。それでロッカーに行って「出てこい」と。「おまえのケツ拭き、誰がやってるんだ?おまえのあとに投げてるピッチャー、ちゃんと見とけ!」って怒りました。その2回ですね。
でも京己は同じミスはしないんです。叱られたときに「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ」って思う子もいますけど、京己はちゃんと受け入れて、次からはちゃんとやりましたね。
僕は野球のことはほとんど言わない。上(NPB)にいきたいんだったら、ここにいる段階からそういったことをちゃんとできるようにしとかないと。そのための独立リーグだと思うんです。
ドラフトで阪神さんに指名されたときは、ほんとに嬉しかったなぁ。富山から支配下指名は初めてだったんですよ。最初が野原祐也(阪神タイガース)で、その後、加藤貴大(東北楽天ゴールデンイーグルス)、中村恵吾(福岡ソフトバンクホークス)、和田康士朗(千葉ロッテマリーンズ)…みんな育成指名でした。
京己は支配下の力はあると思ってました。順位は6位でしたけど、反骨心がある子なんで、支配下の一番下だったっていうので、また頑張ってくれるかなと思っていました。
ほんとよく頑張ってると思います。これからも活躍を楽しみにしています。
■永森茂さん(球団社長)「どこでも(試合が)見られるようにDAZNを契約しました(笑)」
湯浅投手の話になると、まるで我が子のことのように目尻を下げるのが球団社長の永森茂さんだ。「こんなやり取りをしてるんですよ」とLINEまで見せてくださる。そこにはあふれんばかりの愛情が詰まっていた。(文末に画像あり)
【永森茂さん 談】
いつも気になって気になって、試合を見る度にやり取りしてて(笑)。記事を見つけたら送ったりね。
打たれたとき(3月29日 広島東洋カープ戦)は「悔しかったと思うけど」と励まして、上杉謙信の言葉を送ったこともありました。意味も添えてね。そしたら「素晴らしい言葉をありがとうございます。とても共感できます」って返ってきて…。
そのあと、矢野(燿大)監督が「抑えでいく」って言ってね。すごいことだなと思いましたよ。
こんなふうに活躍するというのは、可能性はあると思ってたんですよ。聖光学院で実績残せなくて、腰痛、成長痛とかでね。3年の春にたしか一回投げられたんですけど、夏は甲子園はスタンドで応援ってことだったんで、それでBCのトライアウトを受けにきたときにウチの息子の大士が「腕の振りがいい」って言って。
智さんが監督になってすぐ「これはいけるんじゃないか」ということで、ほんとマンツーマンでやってくれました。ジャイアンツ3軍戦のときかな、7点8点取られたときもずっと投げさせたり、夏場にミニキャンプ張ったりとかしてね。
勝ち星はそんなになかったんですけど(15試合3勝7敗)、プレーオフの最終戦でMAX151キロ出したんですよ。で、7球団くらい見にきてくれてて、「ひょっとしたら支配下で指名されるんじゃないか」って言ってたら支配下の6位指名だったんです。
嬉しかったですよね。本人も真面目な子なんで、「とにかく頑張れよ」と。そしたらまたケガじゃないですか。ほんと心配したんですけど、去年、(1軍に)上げてもらってね。あまり成績はよくなかったですけど、担当の筒井(和也)スカウトからは「矢野監督の評価高いですよ」って聞いてたんで、いずれチャンスあるなと思ってましたけどね。
去年嬉しかったのはオリンピック期間中にエキシビションマッチってあったでしょ。そこでロッテとやったときに和田康士朗と対戦したんですよね。感激でした。それで、どこでも見られるようにDAZNを契約しました(笑)。だからほんと嬉しいですよ、二人が頑張ってくれると。
この前の送りバントの処理(4月8日 広島東洋カープ戦)なんかも、すごく難しかったでしょ。絶賛してる人も多いし、成長してるなと思いますね。智さんの前でも投げてますからね(3月26日 東京ヤクルトスワローズ戦)。ネット上だと「智さんの秘蔵っ子」って言ってる人もいるじゃないですか(笑)。
智さんはよくあれだけ、じっくりと育ててくれましたよね。慌てなかったですもん。高卒1年目だったから、まだ体もできてないし、腰痛持ちでしたしね。だからじっくりと育ててってことで、本人の意識もだいぶ変わったと思いますけど、いい指導者に巡り会えたんじゃないですかね。
だいたい上に行く子ってブレないですよ。身体能力だけある子はいるんですけど、上に行く子は強い気持ちがないとダメだなっていうのは思いますね。そういう気持ちがある子は取り組む姿勢もいいんですよ。
湯浅はトレーニングにも貪欲ですし、球団で「遺伝子分析をやるか」と訊いたら「やりたい」と言ったのはやはり湯浅でした。その分析結果も自分のトレーニングに役立てていたと思います。
今はせっかく掴んだチャンスなので、一つ一つ積み重ねてほしいですね。そりゃ結果が悪いときもあるかもしれませんけど、そこでめげない子だと思います。
しっかり自分の目標を決めて、それを達成できるように頑張ってほしいですね。
■富山に恩返し
さらにスタンドの富山ファンも、「おらが町から誕生したヒーロー」のNPBでの活躍に沸いていた。
「富山でもいい球投げてましたよ、150キロ台の。タイガースさんに指名していただいたときは、『おぉ~っと喜びました。僕、ジャイアンツファンなんですけどね(笑)。でもタイガースの試合も観て応援してます。球質もよくなったんじゃないですか」。
そのあとも立て板に水のごとく、湯浅投手への賛辞が続いた。
縁あって、出身地の三重、高校時代を過ごした福島に続く第3の“故郷”となった富山。その富山から、今も多くの人が心から応援してくれている。その思いに応えるべく、湯浅投手は今日も最高のパフォーマンスを届ける。
(撮影はすべて筆者)