湯浅京己(阪神タイガース)は2020年、“青いクマ作戦”で最高の目標をクリアする!
■青いクマ作戦
グラブの内側から覗く青いクマ。阪神タイガース・湯浅京己投手のグラブだ。
ネイビーの本体に水色バージョンと赤バージョンの2種類のステッチと紐。どちらにも中に「雲外蒼天」の4文字が刺繍され、青いクマが顔を覗かせている。
「雲外蒼天」は高校時代からの座右の銘で、ずっとグラブに刻んできたが、今年から加わったこの青いクマには意味があるのだ。(「雲外蒼天」については⇒鉄の意志を持つ“富山の末っ子”・湯浅京己―後編)
焦るな
怒るな
威張るな
腐るな
負けるな
青いクマ作戦
この言葉は一昨年所属していた富山GRNサンダーバーズ(BCリーグ)の監督だった伊藤智仁氏(現東北楽天ゴールデンイーグルス・投手コーチ)から送られてきたものだ。
昨季、もっとも苦しんでいるとき、LINEに届いた。これとともに「リハビリは強くなって戻ってきて成功。頑張れ!」とのメッセージもあった。
これらの言葉に励まされた。そこで常に目に入るよう、ザナックス社に頼んで刺繍してもらったのだ。
■初登板で初セーブ、初先発で初勝利(ウエスタン・リーグ)
「悔しいシーズンだった…」。
ルーキーイヤーの昨季を振り返り、そうぽつりとつぶやいた。
聖光学院高校から富山を経て、2018年のドラフト6位でタイガースに入団した。春季キャンプから順調にメニューを消化し、キャンプ中の練習試合で実戦初登板を果たした。
ファーム首脳陣からも大きな期待が懸けられ、じっくりと育成する方針のもと、慎重に登板計画が立てられた。
ウエスタン・リーグ公式戦では初登板(3月27日、対オリックス・バファローズ)で3回投げて初セーブがつき、プロ初めての打席にも立った。
そして初先発(4月23日、対福岡ソフトバンクホークス)で初勝利を挙げた。
「それ以外、なんもないですもん…」。
そうなのだ。彼には大きな試練が待ち受けていた。その後、公式戦で3試合に登板したあと、6月4日の社会人との練習試合を最後にマウンドから姿を消した。
■戦線離脱
腰椎分離症―。6月7日にそう診断を受けた。腰椎の疲労骨折である。
かつて高校時代に成長痛で離脱したことがあったが、今回も成長する過程で起こったものだ。痛みと向き合いながら、ひたすらリハビリの日々を送った。ウェイトもランニングもできない。
「最初は歩くこともできなかったんで、動きたいな、野球したいなという気持ちが強かった」と沈痛な面持ちで振り返るが、当時はそんなそぶりも見せず、誰に対してもいつもニコニコと接していた。
「高校のときの経験がデカかったのかも。高校のときはいつ治るかわからなかったけど、今回は何ヶ月と言われていたので、あのときより気持ちは楽だった」。
高校時代の実質2年半しかない中での離脱は、相当なつらさだった。それに比べれば、故障の内容も見通しも状況も違う。(高校時代の離脱経験⇒鉄の意思を持つ“富山の末っ子”・湯浅京己―前編)
「だから、そこまで落ち込まなかったし、今は野球の神様が『無理するときじゃないよ。体を休めて』と言ってるんだと思って」。
高校時代の監督がミーティングで話していた「神様は自分が乗り越えられる試練しか与えない」という言葉をお守りにし、「今できることをやって、復帰したときにそれ以上いけるよう、休んでる時間を無駄にしないようにしよう」と誓った。
動けないときは指やリストを鍛えるなど、できることをやった。地道にコツコツとやり続け、徐々にできることは増えていった。
暑い夏を乗り越え、鳴尾浜球場に赤トンボが飛びはじめるころ、ブルペンで立ち投げまで回復し、いつも以上の笑顔を弾けさせた。
「このままいったら、フェニックス・リーグの最終クールにいけるかも!」
10月に宮崎で開催される若手選手の教育リーグである。あと1ヶ月ほどでゲーム復帰の可能性がでてきたことに、若虎は胸を高鳴らせていた。
■再発時、伊藤氏からのLINE
そんな矢先だ。ブルペンで20球投げ、21球目。「わぁっ!」、急に激痛に襲われた。
診察を受けると再発だった。そこまで順調に回復していただけに、「ショックでかなり落ち込んだ。ため息しかでなかった」と、このときばかりは笑顔にはなれなかった。
病院から寮に戻り、失意のどん底で伊藤氏に報告した。すると返ってきたのが冒頭の言葉だ。伊藤氏の言葉の効力は絶大だった。
「さすがにその日の夜は落ち込んだけど、翌日には切り替えられた」。
伊藤氏自身がケガで苦しむプロ野球人生を送ったことを知っているだけに、その言葉には重みがあり、ズシリと響いた。一昨年、つきっきりで指導してくれた“富山の父”のような人であるから、なおさらだ。
「LINEを見て、僕、変わった。すげぇな、この人って思って。で、強くなって復帰したらいいんや、できることをやろうってスイッチが入った」。
ただ、最初は「青いクマ」の意味がわからなく、あとから「語呂合わせか」と気づいた。「焦るな 怒るな 威張るな 腐るな 負けるな」のそれぞれの頭の文字をとると「青いクマ」となるのだ。
意味がわかると、「すげぇ!ほんとに何でも知ってるんだな。自分もこういう人になりたい」と、あらためて感じ入ったという。
■イメージを高める
転んでもタダでは起きない。高校時代もマネージャーをしながら、さまざまなことを観察し、聞き耳を立てた。体が動かせない分、五感と脳をフル稼働させていた。昨年もそうだった。
「自分で考える時間も多くなったし、本もいろいろ読んだ」。
たとえば、イメージ力を高めることに努めた。頭の中の“阪神タイガース・湯浅京己投手”は試合で投げている。
「もちろん1軍で投げているところをイメージして、バッターも立たせている。やるなら一流選手、有名選手で」。
その一流選手をどうやって抑えるのか、微に入り細を穿ってイメージする。具体的にイメージすることはとても重要だ。
故障前、実際に1軍選手と対戦できたことは大きな収穫だった。5月16日のホークス戦、中村晃選手との対戦だ。結果は四球と二ゴロだった。
「2打席だったけど、すごく楽しかった。雰囲気というかオーラが違った。テレビであんま野球を見てなかった自分でも活躍を知っている有名選手。厳しいところはカットしてボール球は見送る。どんな球でも対応してくる感じだった」。
数少ない実戦登板の中で、もっともすごいと思ったと同時に「こういう選手と対戦したい」と、しっかり目標を定めた。
■読書にも没頭
読んだ本で感銘を受けたのは塩沼亮潤氏の著書だ。千日回峰行の話である。
「ケガしても病院にも行けない、途中で止めることもできない、そんな命懸けの修行。自分たちはなに不自由なく、ケガしたら治療が受けられる。でもそれが当たり前じゃないんだなと思った。覚悟をもって野球に取り組みたい。仕事なので、もっと責任感をもって練習にも試合にも臨みたいと思った」。
本のタイトルにもある「毎日が小さな修行」「人生生涯小僧の心」などの言葉が響いた。
「どんなに偉い人になっても修行してきた気持ちは忘れちゃいけない。僕はまだまだだけど、一流になれても初心は忘れずに、ずっともってやりたいって思う」。
じっくりと読み込み、自身の肥やしにした。
■酸素カプセル、ピラティス、初動負荷
体に関しても自分で研究し、いいと思われるものは取り入れるようにしてきた。
疲労骨折の回復のためには血行をよくすることがたいせつで、血中酸素濃度を高める目的で酸素カプセルに入ることがいいと知った。
自らネットで酸素カプセルを保有する施設を探し出し、現在も通っている。
また、調べていく中で腰にいいとしてピラティスが浮上した。「もともとドイツの軍人さんのリハビリで開発されたって聞いて興味がわいた。なんでも、やらないとわからないから」と、これも外部施設に行って取り組んでいる。
富山に所属しているときも初動負荷に興味をもち、当時の先輩である乾真大投手(北海道日本ハムファイターズ―読売ジャイアンツ―神奈川フューチャードリームス)に尋ねた。すると乾投手が通っているとわかって一緒に受けさせてもらい、現在も関西で続けている。
今よりよくなるために―。
いつも自ら開拓するのだ。誰かに頼るより、常に自分で調べ、自分で動く。初めてのところに飛び込むことにも抵抗がない。ひとりっ子だが独立心が強く、非常にたくましい。
高校は当たり前のように県外に出るものだと言い聞かされて育ち、自分で聖光学院を選択した。卒業時も大学進学の勧めを振りきって、自ら独立リーグに進んだ。
そこには常に「意志」が存在している。
■“お兄ちゃん”の存在
またリハビリ中、励みになった先輩がいた。島田海吏選手だ。
投手と野手は練習で絡むことが少ないため、それまではそんなに会話をすることもなかったが、ずっと一緒にリハビリメニューに取り組んだことで急速に仲が深まった。
練習後、島田選手の部屋に先に帰って待つこともしょっちゅうで、兄のように慕っている。
その島田選手は一足早くDL(故障者リスト)から抜け出し、昨年末の台湾でのウィンターリーグに行って大活躍した。
「今まで体重がなかなか増えなかったのに、今増やさないとってリハビリ中に増やして、台湾でホームラン3本打ってホームラン王。そういう(ホームランを打つ)タイプじゃないけど、リハビリの間に強くなって戻った。活躍を見て自分も嬉しかったし、刺激を受けた」。
できれば一緒に行って自分も投げたかったが、追いつけはしなかった。しかし、頑張っていれば報われることを証明してくれた。さらに頑張る力を、“お兄ちゃん”が与えてくれたのだ。
■故郷・三重での野球教室に2年連続で参加
ルーキーイヤーが終わり、年末年始には地元に帰省した。新年早々3日には、三重県出身のプロ野球選手による野球教室に参加した。
湯浅投手が担当するのは、津田学園高校からバファローズにドラフト3位入団した前佑囲斗投手とともに、小学校高学年の投手たちだ。
一人ずつのピッチングをじっくり真剣に見て、前投手とも話し合いながら、今できるアドバイスをした。
「こうだろうなと確認しながら言っているので、自分のためにもなる。自分で見て考えて教えて、自分もその場で試すんで、自分にとっても自然といい方向に向くと思う」。
何もわからない状態だった昨年の参加時と違い、プロの世界で一年経験したことも大きかったという。また、昨年は一人で教えたが、前投手と二人というのもやりやすかったようだ。
ただ、子どもひとりひとりの成長の度合いが違うので、無責任に教えることの怖さも感じている。
「声変わりしてデカい子にはある程度言えるけど、成長期に入ってないように見える子には、本当に初歩的なことしか言えない」。
かつて小学生時代の自身も、成長速度を知ってくれている父の言うことしか聞かなかったと述懐する。
「でも、教えるのはおもしろい。人によって見るところも違うんだと思った」。
前投手とも違う視点があったことが、収穫にもなった。
そしてこうも感じた。
「やっぱり地元に貢献したい。野球の競技人口が減ってきているし、増やす活動はしていきたい。まずは自分が活躍することで盛り上がると思う。1軍で活躍しないと始まらない」。
あらためて故郷の野球活性化への思いを噛み締め、今季の活躍を誓うのだった。
■最高の“京己スマイル”を見せる
現在、平地でのピッチングができるまでに回復した。鳴尾浜はまだ寒いので無理はせず、春季キャンプに入ってからキャッチャーを座らせる予定だ。
体の状態と相談しながらになるが、4月には公式戦で投げられるようにと青写真を描く。
「今、いい感覚。キャッチボールしてても前までと違う。前までは力を抜こうとしても入っていた。まだ傾斜で投げてないのでわからないけど、腰も痛くないし順調です」。
投げられることが、本当に嬉しそうだ。やはり湯浅投手にはピカピカの笑顔が似合う。
今季の目標を聞いた。
「最低の目標は1軍登板。最高のは…黙っときます(笑)」。
心の中にはドデカイ目標を秘めているが、公にはしないという。まずは一つずつステップを昇り、いずれ…と表情を引き締める。
段階を踏み、掲げる目標すべてをクリアしたとき、最高に輝く笑顔を見せてくれるのだろう。
(撮影はすべて筆者)
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