カザフスタン大暴動とは?目的、周辺国への影響…知っておきたい基礎知識5選
ユーラシア大陸の中心部にあるカザフスタンでは、抗議活動が拡大して治安部隊との衝突が激化している。トカエフ大統領は徹底的な鎮圧で臨む方針だが、沈静化のメドは立っていない。カザフスタンで何が起こっているのか。以下では、縁遠く感じられやすいカザフ情勢の基礎知識をまとめてみる。
(1)きっかけは2倍の燃料価格
年明けからカザフスタンでは政府庁舎に暴徒が乱入するなど、抗議活動が激しさを増している。カザフ内務省によると、これまでにすでにデモ参加者に26人、兵士に18人の死者が出ている他、一時は空港も占拠され、インターネットも遮断されるなど、最大都市アルマトイなどで都市機能が寸断されている。
こうした事態を受け、カザフ政府の要請でロシア軍を主体とする近隣諸国の「平和維持部隊」が派遣され、さらにカザフ治安部隊にも警告なしの発砲が認められるなど、本格的な内戦の足音が大きくなっている。
今回の大暴動のきっかけは年明けに政府が発表した、燃料価格の上限撤廃にあった。この決定は、政府の「価格統制をなくして市場経済化を推し進める」方針に沿ったものだった。
しかし、カザフスタンは大資源国で、輸出の約50%を原油・天然ガスが占める。「売るほどある」にもかかわらず、しかも冬の最中に、国内でガソリンなどの燃料価格がほぼ2倍に急騰したことに、カザフ市民の不満が爆発したのだ。
ただし、この国はこれまでの約30年間、独裁的な政府のもとで良くも悪くも政治的、経済的に総じて安定しているとみられてきた。そうであるだけに、今回の大暴動が深刻に受け止められているのだ。
(2)ほとんど専制君主の国
約30年間、表面的には安定を保ってきたカザフスタンで、なぜ突然、大暴動が発生したのか。実は今回の大暴動は「突然」ではなく、これまでにすでに予兆はあった。その大きな背景には、政府の専横に対する不満があった。
そもそも中央アジアの一角を占めるこの国は、冷戦終結直後の1991年にソ連崩壊にともなって独立した国だ。
しかし、冷戦末期に民主化運動が活発化していたリトアニアなどバルト三国と異なり、カザフは何の準備もないままソ連崩壊という未曾有の変化を迎えたため、一応選挙をすることになっても、結局はソ連時代の共産党幹部や軍人といったパワーエリートが権力を握り続ける構図が定着してきた。実際、2021年議会選挙でも与党ヌル・オタン(輝く祖国)が議席の70%以上を確保している。
現在のトカエフ大統領の前任者、ヌルスタン・ナザルバエフ前大統領は独立から2019年までの29年間その座にあった。その間、憲法改正を重ねて大統領の多選を可能にし、あたかも専制君主のように君臨した。
ナザルバエフは2019年に大統領職を退いた(後述)が、その後も与党ヌル・オタンの代表にとどまっている。その長女は上院議長におさまり、次女は国営ファンド頭取などを歴任したカザフ屈指のビリオネアで、三女は隣国キルギス大統領の息子と結婚・離婚した後、カザフ最大のパイプライン企業KazTransOilの頭取夫人になり…と、いまも一家ぐるみで国家を私物化している(もっとも、こうしたことはカザフ周辺の中央アジア一帯で珍しくない)。
一家や取り巻きの資産は海外にもあり、例えばロンドン郊外には5億3000万ポンド(約832億円)以上の不動産を所有しているといわれる。
(3)導火線としての経済停滞
こうしたパワーエリートへの不満はもともとあったが、それでもカザフ経済が上向きの間、表面化することは稀だった。
先述のようにカザフスタンは天然ガスやウランの大輸出国で、小麦など穀物の大生産国でもある。そのため、世界銀行の統計によると、2019年の一人当たりGDPは9,812ドルと中央アジアで最も高い水準にある。この経済的安定は、事実上の一党支配、あるいは大統領制という名の専制君主支配を正当化する土台になってきたのである。
ところが、2008年のリーマンショックや2014年の資源価格急落で頼みの綱の経済に大きくブレーキがかかるにつれ、カザフ政府の神通力は少しずつ衰えてきた。
その端緒は、2011年大統領選挙だった。この選挙で、四期目の大統領選に臨んだナザルバエフは95%以上の得票で圧勝したが、その直後に「選挙の不正」を訴える当時最大規模のデモが発生し、15人以上が警察に銃殺される事態に発展した。
さらに2016年、今度は「土地改革」の一環として170万ヘクタールの国有地売却が発表されたが、これが中国企業に売却されるという噂を呼び、各地で数千人規模の抗議デモに発展した。
カザフスタンではデモが基本的に違法だが、それがしばしば発生するようになったこと自体、かつての強固な支配がこの時期に揺らいでいたことを意味する。選挙でも、与党が圧倒的な多数派であることに変化はないものの、その議席数は徐々に低下するようになった。
アメリカ独立戦争のきっかけが茶税引き上げにあったように、そしてロシア革命のきっかけが第一次世界大戦による国費増大にあったように、古来大きな政治変動の影には必ず経済変動があったが、カザフ大暴動もその例外ではないのである。
(4)「裏切られた期待」と怒り
こうした不満が増幅していたカザフスタンでは2019年、大きな変化が生まれた。ナザルバエフが大統領を辞任したのだ。
そのきっかけは2019年2月、首都アスタナ(現ヌルスタン)で13歳から生後3ヵ月まで5人の姉妹が火事で死亡したことだった。出火当時、両親は夜間シフト勤務で不在だった。
この出来事は「子どもが複数いても、乳児を抱えていても、両親ともに夜間シフトを免れないような労働環境がもたらした悲劇」として、うわべの経済成長の影で広がっていた庶民の困苦を象徴したため、カザフ全土で共感と怒りを呼び、かつてないほどの抗議活動に発展した。
その責任を負う格好でナザルバエフは大統領を辞し、それにともなって上院議長だったトカエフが大統領に就任したのだ。
不人気だった前任者を意識してか、新大統領トカエフは死刑廃止、政党間対話の促進、地方政府首長の選挙制導入などを通じて、民主化に意欲的な「改革派」イメージを打ち出した。その一方で、最低賃金の引き上げ、生活困窮者の債務帳消しなど、市民生活の改善にも着手した。
ただし、そこには限界もあった。ナザルバエフは大統領でなくなったものの、その後も与党ヌル・オタンの代表、安全保障問題で大統領に助言する安全保障理事会の終身議長といった要職を兼務し続けたからだ。つまり、トカエフの「改革」はナザルバエフが認める範囲内のものでしかなかった。
そのため、市民生活は大きく改善せず、コロナ禍がこれに拍車をかけた。ワシントンD.C.に拠点をもつオクサス中央アジア事情研究所の調査によると、2020年にカザフスタンでは前年の約2倍に当たる約500件の抗議活動が発生したが、そのうち185件は生活苦への不満を表明するものだった。2021年には、上半期だけで2020年とほぼ同じ数の抗議デモが発生している。
「改革」を標榜するトカエフ政権への怒りが充満していたなか、今年1月初めの燃料価格引き上げは、最後の一押しになったといえるだろう。
(5)大暴動のドミノ倒しはあるか
こうして広がったカザフスタン大暴動は、周辺国に影響が及ぶことが懸念されている。
暴動の拡大を受けてトカエフは2週間の非常事態を宣言し、デモ隊を「外国から支援されるテロリスト」と断定しているが、この「外国」が何を指しているかは不明だ。
やはり旧ソ連を構成していたウクライナやベラルーシでは近年、独裁的な政府への抗議活動が拡大してきた。このうちウクライナでは2014年、内乱の激化がロシアの軍事介入を招き、それが「第二次世界大戦後のヨーロッパ最大の危機」とも呼ばれるクリミア危機をもたらしただけでなく、昨年末からロシアと欧米の軍事的緊張も再び高まっている。
これに鑑みれば、「欧米が民主化を画策してカザフに干渉している」と言いたいのかもしれないが、その一方ではイスラーム過激派を念頭に置いた発言とも受け止められる。
人口の60%以上を占めるカザフ人の多くはムスリムだが、ソ連の一部だったこともあってこの地のイスラームは世俗化が進んでいる。しかし、それでも2016年6月、シリアから流入したとみられる「イスラーム国(IS)」メンバーが西部アクトベで軍の施設などを攻撃して25人以上の死者を出すなど、過激派の活動も皆無ではない。
また、昨年8月にアフガニスタンの首都カブールをタリバンが制圧したことは、この地域一帯のイスラーム過激派を触発したとみられており、カザフ政府がこれに警戒感を示していたことは確かだ。
トカエフのいう「外国勢力」が何を指すかはともかく、周辺の中央アジア諸国は、権力を独占する長期政権がある点で、多かれ少なかれカザフスタンと同じだ。同様の混乱がドミノ倒しのように広がることへの懸念は、ロシアを「縄張り」の安定化に向かわせる大きな原動力になっているわけだが、この地でロシア軍の活動が活発化すれば、それこそ「イスラーム世界に侵入した」という大義名分を与え、かえってイスラーム過激派をカザフスタンに呼びよせるリスクも大きい。
天然ガスや食糧の輸出を通じて世界とつながるカザフスタンの混乱は、オミクロン株に揺れる世界をさらに揺さぶる大きなリスク要因となり得るのである。