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この2年間のアメリカの力の衰えは半端ではない

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(749)

卯月某日

 岸田総理の最側近である木原誠二自民党幹事長代理が25日、猪口邦子元少子化担当大臣の政経セミナーで講演し、「自民党は厳しい状況に置かれており政権交代が起きてもおかしくない」と危機感を表明した。メディアはその部分をニュースにしたが、フーテンが注目したのはその後のくだりである。

 「しかしそうはなっても日本の政治は、霞が関がしっかりしてますし、安定をしていると申し上げていいと思いますが、アメリカは結構スイングするところがあります。そういうアメリカを前にした時に、日本が安定を供給するという大きな役割があると思います」と木原氏は言った。

 木原氏は「政権交代が起きてもおかしくない」という前段より、「日本がアメリカに安定を供給する」という後段に力点を置いているように思う。前段のくだりは「だから今は解散などやる時ではない」と「6月解散説」を暗に否定する発言ではないか。

 今年中に政権交代の可能性があるのは日本ではなくアメリカの方で、もしトランプ前大統領が復活すれば、アメリカの政策はスイングして大きく変わる可能性がある。しかし日本はアメリカがどう変わってもそれを安定させる役割があると言いたかったのだと思う。

 従って麻生太郎自民党副総裁がトランプ前大統領に面会したことについて木原氏は「あまり騒ぎ立てる事ではない」と言った。これを聞いてフーテンは、岸田総理のアメリカ議会演説とその直後の麻生氏のトランプ訪問はいずれも木原氏のシナリオではないかと考えた。

 岸田総理のアメリカ議会演説は、事前にエマニュエル駐日米国大使と木原氏の間で構想が練られ、それをアメリカ民主党のスピーチライターに依頼して書かせたと言われている。

 だから民主・共和両党が対立していたウクライナ問題で、岸田総理はウクライナ支援に協力する姿勢を強調し、民主党議員は拍手喝さいしたが、共和党議員をしらけさせた。

 その直後に麻生副総裁が訪米し、トランプ前大統領と日米同盟の結束を確認し合ったのだから、いわば二股外交を堂々と表でやった訳だ。どの国でも外交は二股や三股は当たり前である。言い換えれば二股や三股ができなければ外交とは言えない。

 しかし自前の軍隊を持たずアメリカ軍に防衛を委ねている日本は、アメリカから自立した外交ができない。そのためアメリカには常に従属的で、世界はアメリカ言いなりの外交しかできない国として日本を見ている。

 それがこのところアメリカが日本を頼るようになった。バイデン政権になってからそれが顕著である。考えてみればアメリカはバイデン政権の2年間でみるみる力を衰えさせた。その出発点はウクライナ戦争にある。

 それを説明する前に、オバマ政権の時代から日米関係がどう変遷してきたかを振り返ってみる。オバマ大統領が就任した時の日本の総理は麻生氏だった。しかしすぐに政権交代が起きて日本にも民主党政権が誕生した。

 オバマは当初は日本の政権交代を歓迎し、日本の民主党政権に期待感を表明した。クリントン政権から続いてきた「年次改革要望書」を打ち切り、アメリカが命令して日本に構造改革をやらせる仕組みは終わるかに見えた。

 ところが鳩山由紀夫政権が普天間飛行場の辺野古移設に反対したことからオバマの対日姿勢は一変する。日米安保条約では「全土基地方式」と言って、日本の領土の全てでアメリカの望む場所にアメリカ軍基地を作ることが可能である。日本の総理がアメリカ軍基地を移すことなど想定されていない。

 これで日米関係は一気に冷え込み、次の菅直人政権の時、アメリカは「年次改革要望書」に代わるものとして「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)」への参加を要求してきた。菅総理は「平成の開国」と言ってこれを受け入れた。

 TPPは環太平洋の各国が経済で中国を包囲し、「国家資本主義」を解体させようとする構想だ。菅総理が「平成の開国」と言ったことから分かるように、それは日本にも幕末の黒船来航と同様の変革を迫るものだった。野党自民党は大反対した。

 やがて民主党政権は稚拙な政権運営で失速し、「デフレからの脱却」を掲げた安倍自民党政権が復活すると、安倍政権はそれまでの「TPP反対」をかなぐり捨て、アメリカの要求を受け入れて恭順の意を表明した。

 しかしオバマ政権は安倍総理を危険な国粋主義者と見ていた。13年12月に安倍総理が靖国神社を参拝すると、アメリカ政府は「失望した」という異例の声明を発表する。声明を出させたのはバイデン副大統領と言われたが、これは安倍政権内部にも強い衝撃を与えた。

 14年にアメリカは日本に貸し付けたプルトニウム300キロの返還を要求した。戦後の日本はアメリカに忠実な「反共の防波堤」として、非核保有国の中では例外的に核兵器の材料となるプルトニウムの原発からの再処理が認められていた。

 日本は原子力発電の裏側で、核爆弾5500発を作れるだけのプルトニウムを保有しているとアメリカは見ていた。プルトニウムの返還要求は、安倍政権がアメリカから自立し、核武装への道を歩むなら、日米関係を根底から見直すというアメリカからの警告だった。

 警告の最終段階に位置付けられたのが16年オバマの広島訪問である。平和主義に埋没した日本国民は、オバマの広島訪問を「核廃絶」への第一歩だと感動していたが、オバマの狙いは世界が見守る中で安倍総理に「核廃絶」を誓わせることだったと、アメリカの政治学者ケント・カルダー教授が論文に書いている。

 オバマ政権の最大の懸念は日本がフランスになる事だった。フランスは50年代の第一次インドシナ戦争で軍事力と外交力の貧弱さを痛感し、ド・ゴール政権がアメリカ追随から脱却するため、自力で核武装に成功した。その前提となったのが原発の普及だった。

 オバマは平和のために広島に来たのではない。安倍総理がフランスを真似して原発から作られたプルトニウムを利用し、核武装してアメリカから自立することを恐れて広島に来たのである。

 その間にオバマ政権は安倍政権に憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めさせた。そのため15年には国賓待遇でアメリカに招待し、議会の上下両院合同会議で演説させる機会を与えた。いかにも安倍総理を大事にしているように見せたが、心の中では警戒心を持続させていたのである。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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