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世界が核戦争にもっとも近づいた日

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(748)

卯月某日

 4月13日、イラン国内から331発のドローン、巡航ミサイル、弾道ミサイルがイスラエルに向けて発射された。4月1日にシリアのイラン大使館がイスラエルに空爆され、革命防衛隊の司令官ら4人が殺害されたことへの報復である。

 この攻撃はイランが事前に周辺諸国や米国に連絡していたため、察知していたイスラエルは防空システム「アイアンドーム」でことごとく撃ち落とし、着弾したのは弾道ミサイル7発だけで、被害は軽微なものだった。

 しかしフーテンはイランが国内から直接イスラエルを攻撃したことに衝撃を受けた。かつてイランのアフマディネジャド大統領は「イスラエルは地図から抹消されるべし」と発言したことがある。イラン国内からの核攻撃が現実になれば、面積が大きくないイスラエルは文字通り地図から抹消される。

 イスラエル上空でイランから飛来したドローンやミサイルが撃ち落とされる映像を見ながら、フーテンの脳裏には「世界がもっとも核戦争に近づいた日」という言葉が浮かんだ。

 それは62年前のキューバ危機で使われた言葉だが、米国のケネディ大統領とソ連のフルシチョフ書記長との13日間にわたる交渉は、一歩間違えば人類が滅びる可能性を秘めていた。

 ソ連がキューバにミサイル基地を建設していることを知った米国には「空爆すべし」との意見があり、ケネディは一時それに傾いたが、最後はソ連と交渉する道を選んだ。ソ連崩壊後に機密文書が開示され、もし空爆していれば自動的に核ミサイル数十基が米国に発射されていたことを米国は知った。

 今回のイランによる攻撃は、イスラエルに迎撃の時間的余裕を与え、「アイアンドーム」で対応できる数しか発射しなかったが、それでも7発がイスラエル国内に着弾した。それに核弾頭がついていたらイスラエルという国は地図から消えていたのだ。その可能性をイランはイスラエルに見せつけた。

 これに対抗してイスラエルは19日にイランの核関連施設があるイスファハン州にミサイル攻撃を行った。この攻撃をイスラエルもイランも認めていないが、3機がイランに迎撃されたと西側の報道は伝えている。

 この攻撃にはイスラエルの極右勢力が「弱すぎる」と反対した。しかしネタニアフ首相はそれを押し切って形ばかりの反撃で終わらせた。一方で米国のバイデン政権からネタニアフは「反撃するな」と言われていた。ネタニアフはそれも無視して反撃に踏み切った。

 つまりネタニアフはイスラエル強硬派と米国の両方を無視し、レベルの低い反撃を行った。一方のイランではイスラエルからの攻撃はなかったかのようにテレビが「平穏さ」を強調した。まるでネタニアフとイラン政府は歩調を合わせているかのようにフーテンには見えた。

 考えてみれば4月1日にイスラエルがシリアのイラン大使館を空爆したのは、殺害されたのがヒズボラとの連絡役だったというから、ヒズボラとの戦いを意識した攻撃だったことになる。

 同時にイラン大使館を空爆すれば、イランは領土を攻撃されたのと同じだから100%の確率で報復攻撃をする。イスラエルはヒズボラとの戦いというよりむしろ報復攻撃をさせるために大使館を空爆したのかもしれない。

 なぜならイランの報復攻撃は大規模攻撃のようにみせながら、イスラエルに撃ち落としてもらうための攻撃だった。そしてこの報復攻撃と連携するはずのヒズボラは何の攻撃もしなかった。

 イランの報復攻撃は、イスラエル政府に「99%撃ち落とした」と防空能力を誇示する機会を与えた。しかし問題は撃ち落とせなかった1%である。もしイランが核兵器製造に成功していて、そして事前に知らせず、「アイアンドーム」の能力を超える大量のミサイルを発射すれば、イスラエルは地図から抹消された。それをイスラエル国民に予想させる効果を狙ったのではないか。

 イスラエルがイランの核兵器製造を阻止するための方法は何か。イスラエルがこれまで行ってきたのは、核兵器製造の前に核施設を爆撃することである。イラクが核兵器を製造すると見たイスラエルは、81年6月にイラクの原子炉を米国から提供されたF-16戦闘機で爆撃した。

 アラブ世界の盟主を自認していたサダム・フセイン大統領はそれで核武装をやめた。だからイランの核施設をイスラエルが爆撃する可能性は常に存在する。ただイラクと違って距離が離れているため、これまで爆撃がなかったとフーテンは理解してきた。ところが今回は遠く離れた両国がミサイルを撃ち合ったのだ。

 しかしそれは本格的に相手に打撃を与えるのではなく、お互いが歩調を合わせ、むしろこれ以上直接対決をしないための儀式のようにフーテンには思えた。ネタニアフ政権の目的はイランとの直接対決ではない。何が目的か。

 1993年に米国のクリントン大統領は政権のレガシーとして「オスロ合意」を成立させた。イスラエルとパレスチナ自治政府による「二国家共存」の構想だ。以来、米民主党はそれを推し進めてきたが、ネタニアフはそれに反対し続けてきた。彼の考えはパレスチナ政府との共存ではなくパレスチナ人をイスラエルから追い出すことである。

 フーテンがそう思うきっかけとなったのは、マリン・カツサ著『コールダー・ウォー』(草思社)という本だ。この本はロシアのプーチン大統領がクリミア半島をロシアに併合した直後の2015年に出版された。著者はエネルギー産業に特化した投資ファンドマネージャーで、外交の専門家でも国際政治の専門家でもない。

 石油、天然ガス、ウランなどエネルギー産業の動向を調査している著者は、エネルギー資源の動向から、プーチンが「ペトロダラー体制」に風穴を開け、ドルの基軸通貨体制を崩壊させる戦略を着々実行していると説く。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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