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トランプが死ななくて本当に良かった。トランプの強運にアメリカと日本の行く末を考える。

田中良紹ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

フーテン老人世直し録(762)

文月某日

 共和党のトランプ前大統領が選挙演説中に銃撃された。それを14日朝(日本時間)のニュースで知った時、「やはり」と思うと同時に、弾丸が耳をかすっただけだったことに安堵した。

 弾丸が数センチずれていればトランプは即死だったと思う。そうなればアメリカ国内は殺気立ち、民兵組織が左右に分かれて立ち上がり、内戦が起きたかもしれない。それに触発された銃撃戦が世界に飛び火し、戦乱が地球を覆う可能性もあった。

 近代民主主義の基礎となるアメリカ独立宣言は人民の革命権を認めている。人民を抑圧する政府に対し人民には暴力で政府を打倒する権利がある。そのためかアメリカでは大統領や大統領候補者が何人も暗殺されてきた。フーテンが初めてアメリカを取材した81年3月、ワシントンに到着した翌々日にレーガン大統領暗殺未遂事件が起きた。

 胸を撃たれたレーガンは病院に搬送され緊急手術で生命を取り留めたが、犯人は私と同じホテルに宿泊していた。ロビーか廊下ですれ違っていたかもしれない。暗殺が遠い世界の出来事ではないことをこの時フーテンは実感した。だから今年の大統領選挙でも「トランプ暗殺はありうる」と主宰する塾で話したばかりだった。

 トランプが死ななかったことは本当に良かった。フーテンはかねてからこの大統領選挙を「戦争の大統領と平和の大統領の戦い」と予想していた。1期目の時に朝鮮戦争を終わらせようとするトランプに、冷戦後のアメリカで初めて戦争をやらない大統領の姿を見たからだ。

 冷戦が終わる直前からフーテンはワシントンに事務所を構え、米国議会情報を日本に紹介する仕事をしてきた。ソ連が崩壊してアメリカが唯一の超大国になった時、フーテンは世界が平和になると幻想を抱き、基本的人権を掲げるアメリカ民主主義の理想が実現されることを期待した。

 しかしアメリカの中には民主主義の勝利を永続させようとする動きと共に、世界をアメリカの価値観で統一しなければならないという使命感が生まれた。そこからネオコンと呼ばれる思想集団に光が当たる。彼らの主張は民主主義のためなら軍事力の行使も厭わないというもので、それが民主・共和両党に影響力を持った。

 戦後生まれの最初の大統領であるクリントンは、アメリカを「世界の警察官」と位置づけ、世界各地の紛争に米軍を介入させて世界を民主化する作業に取り掛かった。同時に冷戦時代にタブーとされた「NATOの東方拡大」にかじを切る。かつての共産主義大国ロシアを徹底的に追い詰めて民主主義による世界統一を追求しようとした。

 一方、冷戦時代にアメリカ経済に肉薄した日本経済を打ち負かすため、クリントンは製造業に見切りをつけ、ITで情報革命を起こし、それから生まれるグローバリズムでアメリカ民主主義を世界に広めようとする。アメリカは韓国、台湾にIT技術を提供し、中国を世界の工場にすることで日本経済を抑え込み、「年次改革要望書」を日本に突きつけて日本経済の解体を図った。

 冷戦時代に日本経済が高度成長した秘密は憲法9条にある。国民にそれを理想と信じ込ませ、軍事をアメリカに委ねて持てる力を経済に集中し、朝鮮戦争とベトナム戦争の戦争特需にありついて輸出大国となり、アメリカの製造業を駆逐していった。

 日本政府の知恵は、野党に護憲運動をやらせ、アメリカが過度な軍事要求をすれば政権交代が起きて親ソ政権が誕生すると思わせたことである。この策略に冷戦時代のアメリカは乗せられた。しかしソ連が崩壊すると、一転して憲法9条はアメリカが日本を奴隷化する道具となる。

 軍事を握られた日本はアメリカの言いなりになるしかなく、低金利を押し付けられてバブル経済に導かれ、日本経済の中枢を担った銀行がバブル崩壊とともに軒並み惨憺たる状況に陥る。さらに新自由主義経済を強制された日本は格差の拡大と長いデフレの時代を迎えることになった。

 クリントンは自らのレガシー(遺産)として、残された唯一の冷戦体制である朝鮮半島の統一を図ろうとした。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者エズラ・ボーゲル教授に東西ドイツ統一を下敷きに計画案を作成させた。しかしクリントンはそれをやめて「オスロ合意」を実現する。イスラエルとパレスティナの2国家共存構想がクリントンのレガシーとなった。

 それが30年後の現在、2国家共存を拒否するハマスとイスラエルがガザで悲惨な戦争を繰り広げているのである。クリントンはなぜ朝鮮半島統一に乗り出さなかったか。ソ連が崩壊すれば日米安保条約は破棄するのが筋だ。しかしアメリカはアジアに10万の米軍を配備するため朝鮮戦争を終わらせたくなかった。緊張の種を残して日米安保を継続した。

 次のブッシュ(子)政権はネオコンに取り囲まれた政権だった。9・11同時多発テロが起こるとブッシュは「リメンバー・パール・ハーバー」を叫び、「アメリカが空から攻撃を受けたのは歴史上2回だけだ」と言った。そして「戦争で日本に勝利し日本を民主化したように、中東を民主化する」と言って「テロとの戦い」を宣言した。

 これがアメリカの誤算となる。テロは収まるどころか世界中に拡散し、アメリカはベトナム戦争を超える長い戦争に消耗した。次のオバマ大統領は中東からの米軍撤退を公約に掲げ、「世界の警察官をやめる」と言ったが、同時多発テロの首謀者と言われるウサマ・ビン・ラディンを特殊部隊が殺害しただけに終わった。

 そこに登場したのがトランプだ。彼は共和党の主流ではない。何を考え、何をやるのか誰にも分らない。フーテンも分からなかった。しかし目を凝らしていると、モンロー大統領とニクソン大統領、そして戦前に存在した反戦団体「アメリカ第一委員会」の影響が見えた。

 モンローは欧州の戦争にアメリカは介入しない「モンロー主義」を宣言し、ニクソンはベトナム戦争を終わらせるため共産中国と手を組んだ。そして戦前の「アメリカ第一委員会」は、日本軍が真珠湾を攻撃するまで、国民から支持されアメリカの参戦を許さなかった。

 トランプの言う「アメリカ・ファースト」には「アメリカの利益が最優先」と、「戦争に反対」の2つの意味があるとフーテンは考えた。そして北朝鮮の金正恩との会談を見て、トランプは朝鮮半島統一を成し遂げ、この地域から米軍を撤退させる意思が本当にあると感じた。

 トランプは15日から始まった共和党全国大会に予定通り出席し、初日にオハイオ州選出のバンス上院議員を副大統領候補に指名した。この人事がトランプの頭の中をさらにはっきりフーテンに教えてくれた。バンスは80年代に日本企業が集中豪雨的輸出で、アメリカの製造業を駆逐した結果、悲惨な生活に転落した貧困白人層の出身である。

 バンス氏が書いてベストセラーになった『ヒルビリー・エレジー』(光文社)はフーテンも読んだが、これが出版された頃には最下層労働者を描いた映画の秀作も2本見て、フーテンは胸を打たれた。だからトランプが登場した時、メディアはほとんど拒否反応だったが、フーテンはトランプが最下層を取り込もうとしていると感じていた。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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