「話し方教室」に1年間通ったマネジャーが見失った大事なこと
「あなたは包丁の実演販売でもしたいのか?」
「アナウンサーを目指すつもり?」
私はそう質問したくなるときがある。
「話す技術を、徹底的に学びたいんです」
と言ってくる人に対してだ。
9割のビジネスパーソンは話す技術を学ばなくてもいい。20年以上、コンサルタントという職業をしてきた私の結論である。
ほとんどの人は気付いているはずだ。話す技術はそう簡単に身につくものではない、と。2日間ぐらいの合宿研修に参加しても、わかった気になるだけだ。得られるのは気分だけであり、周りの人から、
「話す技術が、前とまったく違う!」
「どこで、その技術を覚えたの?」
なんて言われることなどない。コミュニケーションはスポーツだ。ホームランを全然打てなかったバッターが、2日間ぐらいのトレーニングを受けてすぐ打てるようになることはない。もともと上手だった人が、少しうまくなるぐらいの程度だ。
話し方のプロであるアナウンサーやキャスターがどれほど日々訓練しているか。それを知れば、コミュニケーションがスポーツだということは、ご理解いただけるだろう。1年ぐらいは真剣に訓練しなければ、キチンとした技術も体得できないのである。
ただ冒頭に書いたとおり、ただでさえ目の前の仕事が忙しいビジネスパーソンが、そこまでして話す技術を手に入れる必要があるかというと、私はそう思えない。それどころか、逆効果になることも多い。
ある企業に、とてもマジメなマネジャーがいた。仕事に対する堅実な姿勢が経営陣からも部下からも評価され、多くの人から慕われていた方だ。にもかかわらず本人は「話す技術を上げたい」「そうしないと周りと関係を維持できない」と思い込んでいた。昔からコミュニケーション能力が低いことをコンプレックスと感じていたようだ。
自分が思っていることを、もっとスラスラうまく伝えられるようにしたい。そう考えて1年間「話し方教室」に通うことにした。会社側も研修費用を補填して応援した。
しかし残念なことに、話す技術を身につけたせいで、このマネジャーの良さが消えてしまった。経営陣からのウケは悪くなかったが、部下やお客様の心が離れていった。
「なんか、違う」
「昔のほうがよかった」
こう言われるようになった。
なぜか?
■「話す技術」を身につけたせいで失ったこと
話す技術は基本的に、たった一回のコミュニケーションで成果を得ることを目的とする。
アナウンサーやキャスターをはじめ、俳優や芸人を見れば分かるだろう。同じことを何度も言わない。たった1回で、何を言っているのかを視聴者に伝えることが仕事だ。
テレアポをとる営業もそうだ。まだ関係もできていない相手からアポイントをとるためには、1回の電話でアポイントを獲得しなければならない。化粧品や寝具売り場の実演販売でも、基本的に同じ。
1分、2分のトークで、何億ものお金を動かす人もいる。
投資家に対してする起業家の短いプレゼンテーションがまさにそれだ。これを「ピッチ」と呼ぶ。この「ピッチ」を鍛える人も、芸能人と同じぐらい、日頃から鍛錬を続けている。
1回1回が勝負。こういう仕事に就いている人なら、確かに話す技術を磨く必要がある。
しかし、このマネジャーは、どうだろう。そもそも「一撃必殺」的な話し方を身につけても使い道がない。なのに1年かけて見違えるように話す技術を磨いたため、部下やお客様が戸惑うようになった。
部下は、
「言っている意味は分かりやすくなったけど、かえってモチベーションが落ちた」
と愚痴をこぼし、お客様からは、
「以前は感じなかった下心が見えてきた気がする。説得しようとする気持ちが前面に出ているせいか」
と言われ、すこぶる評判が悪い。これまで持っていたマネジャー自身の「味」がなくなってしまったからだ。
不器用で、実直。口下手で、礼儀正しい。その「味」があったから、このマネジャーは周りから慕われていた。そのことを本人は理解できていなかった。昔ながらの居酒屋が、こぎれいなカフェ風にリフォームされたら、常連客の足は遠のくだろう。それと似ている。
■相手を「その気」にさせることに一点集中しよう!
ビジネスコミュニケーションで最も重要なのは、相手を「その気」にさせることだ。
少し古ぼけた、昔ながらの居酒屋に通っていた常連客が、おしゃれに改装したお店を見て「この店に入りたい」という気持ちになるだろうか。
「同じ料理が出ると分かってても、なんか入りづらい」
と受け止めるお客様もいることだろう。
どんな話し方をすれば、人は「その気」になるのか? もちろん相手次第である。多様性の時代なのだから、よけいに「この話し方で絶対にうまくいく」なんてことはなくなった。
理路整然と話せば「その気」になる人もいれば、誰に言われるかによって「その気」になったり、ならなかったりする人もいる。このマネジャーは自分視点で考えていたから、自分のコンプレックス克服に執着してしまったのだ。
もちろん話す技術を鍛えることで、周りの人の意識や行動を変えられることも多い。しかし、
「話し方なんか、どうだっていい。あの人から頼まれたら断れないんだ」
という周りの気持ちを理解すべきだった。案の定、話し方教室に行かなくなり、以前のような話し方に戻したら、元のように慕われるマネジャーになった。お客様との距離も縮まった。
「何を話しているか、あんまり分からないけれど、いつも声をかけてくれるのがいい」
「繰り返し、繰り返し、同じことを話すから情熱を感じるんだよね」
こう言われるようになった。
周りの人の声に耳を傾けよう。そして相手に合わせて話し方を変える「話し方改革」を実践していくのだ。
<参考記事>