中国でアフリカの貧困国より不満がたまりやすい理由――多発する無差別殺傷の背景を探る(2)
- パフォーマンスの悪化した政府に対する反応には、大きく分けて合法・非合法の政治活動による抗議と、国外脱出を含む退出がある。
- 中国の場合、合法・非合法を問わず政治活動は規制が厳しく、その一方で合法的な国外移住も制約が多いだけでなく、難民にすらなりにくい。
- ガスぬきの安全弁が機能せず、社会に不満だけがたまりやすいという意味で、中国は多くの貧困国より深刻な状況にあるといえる。
中国で多発する無差別殺傷の背景には「三低三少」と総称される貧困、格差、孤立・孤独などがあると指摘される。こうした社会不満は多かれ少なかれどの国でもあるが、中国ではガス抜きの安全弁がほとんどない。
抗議も退出も許さない国
経済学者アルバート・ハーシュマンは商品のパフォーマンスが悪くなった時の消費者の反応を発言(voice)と離脱(exit)に分類した。このうち“発言”は改善要求、あるいは抗議であり、”離脱”は購入中止、あるいは退出を指す。
この分類はシンプルだが、それだけに政治学を含むさまざまな分野に応用されてきた。
この観点からいうと、現在の中国では“発言”も“離脱”も難しい状況にある。
中国政府はこれまで経済成長や生活改善のパフォーマンスで国民の満足感をひき出し、統治の正当性を強調してきた。ところが、不動産バブル崩壊などの影響でパフォーマンスはこれまでになく低下している。
2023年に破産した中国企業は7,800社で、これは10年前の2013年(2,555社)と比べて3倍以上にのぼった。
それにもかかわらず、あるいはそうだからこそ、中国政府は「大きな問題はない」という態度に終始し、抵抗や脱出の動きが広がらないように目を光らせている。
それはガスぬきの安全弁が機能せず、社会に不満だけがたまりやすいことを意味する。
この点で中国は、あえていえばアフリカの貧困国より深刻といえる。これをまず“発言”からみていこう。
安全弁のない圧力鍋のフタ
今さらいうまでもないが、中国では選挙はおろかデモさえ容易ではない。習近平体制のもとでは特に厳しく、2014年以来、反スパイ法、国家安全法、反テロリズム法、愛国教育法などが相次いで施行され、SNSのコメントさえ取り締まり対象になっている。
それは共産党支配の強固さを示すが、経済パフォーマンスが悪化するなかでは圧力鍋のフタに安全弁がないようなものでもある。
これに対して先進国ではパフォーマンスの悪い政府に対する合法的な”発言”が選挙、デモ、情報発信といった形で認められている。
今年のアメリカ、イギリス、フランスでの国政選挙では、どこでも現職・与党系が苦戦したが、それは経済停滞と生活苦に対する異議申し立ての結果だったといえる。
程度の差はあれ、合法的な政治活動は多くの途上国でも認められている。たとえばアフリカでも今年いくつかの国で政権交代が発生したほか、デモが拡大した国も目立つ。
もちろん民主主義は万能ではなく、政権交代で国全体がハッピーになるとは限らない。
しかし、少なくとも一時的なガスぬき効果はある。アフリカのいくつかの国(すべてではないが)にもあるこの最低限の安全弁が中国にはない。
非合法活動すら難しい
これは非合法の政治活動でもほぼ同じだ。
テロやクーデタは称賛されるべきでないが、これらが現状に対する異議申し立てであることも確かだ。
近年、欧米各国で白人極右が台頭し、アフリカでイスラーム過激派が活動を活発化させていることは、生活や将来への不満を大きな背景にしている点でほぼ共通する。
また、とりわけ西アフリカで目立つクーデタも、パフォーマンスの悪い政府の拒絶という意味では同じだ。
しかし、中国では幸か不幸かテロやクーデタも難しい。中国政府が強調する「治安のよさ」は結果的に、広範な不満が行き場をなくしやすいことも意味する。
そのなかで追い詰められた個人の不満は、スローガンもイデオロギーもなく、組織的でも計画的でもない突発的な無差別殺傷に向かいやすくなるとみられる。
逃げ出すのも難しい
改善を求める“発言”に対して、パフォーマンスの悪い政府から遠ざかろうとする”離脱”の典型は、移民・難民といった国外脱出だ。
たとえばアフリカの貧困国の場合、移住先が受け入れてくれるかどうかはともかく、少なくとも国を出ること自体はポピュラーだし、政府に止められることもあまりない。
一部の先進国でもこの傾向は強くなっていて、Gallupによると、国外移住を望む割合はアメリカとカナダの平均で18%(2023年)と、10年間でほぼ倍増した(世界平均は16%、アフリカ平均は37%)。
中国でも都市の若者を中心に国外移住を目指す機運は高まっているが、合法的な移民でさえ制約が大きくなっている。
中国はもともと多くの移民を送り出してきたが、OECD(経済開発協力機構)によると、2022年に中国を出国した労働者は25万9000人で、その規模はコロナ前の約半数にまで減少した。
そのうえ中国移民は二極分解している。富裕層や高度技術者など条件のいい一部の国外移住が増加傾向にあるのに対して、未熟練労働者にとっては門戸が狭まっているのだ。
その根本的な理由は、不法就労などを恐れる受入国で、就職先や受け入れ責任者などに関する事前届出義務が強化されたことにある。
しかしそれにともない、ほぼ無制限に労働者を斡旋していた中国の非合法ブローカーが、必要書類を用意できる合法事業者の援助を受けて“ビジネス”をするようになった。
その手数料が上乗せされる結果、中・低所得層にとって移住のコストは上がっている。
世界恐慌(1929年)後、多くのヨーロッパ人が仕事を求めてアメリカ大陸に渡ったように、あるいは大戦前の時期に日本の農村から多くの人が南米、ハワイ、満州などに移り住んだように、生活苦や将来不安に見舞われた人々が国外脱出を目指すことは歴史的に珍しくないが、現在の中国では条件の悪い人ほど移民も難しいといえる。
国外も安住の地とは限らない
さらに、国外に逃れても安心とは限らない。中国政府が「問題あり」と判定する国外移住者に帰国を促しているからだ。
移住先でのSNS投稿でさえ、中国の法律に照らして呼び戻す理由づけになり得る。
スペインの人権団体の報告によると、多くの場合、中国当局はターゲットの近親者や取引先を通じてアプローチし、断れば大変なことになるという暗黙の圧力をくわえながら“説得”しているという。
こうして半ば強制的に呼び戻された帰国者は23万人以上にのぼる。
そのため、逆に2度と戻らない覚悟を固め、家族総出で“難民”として先進国を目指す中国人も増えている。
中国からの難民は習近平体制が発足した2010年代半ばに急増したが、この数年とりわけ目立つのはメキシコ国境から陸路でアメリカを目指す人々だ。
その数は2023年だけで3万7000人にものぼった。
ただし、そのうち難民認定を受けられたのは55%で、しかも多くはウイグル族や回族など中国のイスラーム系少数民族だった。宗教的弾圧が考慮されたものとみられる。
とすると、大多数の中国人(漢族)にとってはこのルートもハードルが高い。
抵抗できず、逃げ出すこともできない。しかし、満足感は薄く、将来の見通しも暗い。それが暴発を促しても不思議ではない。
もちろん無差別殺傷の責任は犯人自身が負うべきだ。しかし、そこに社会や政治の背景も見落とすことはできない。秩序を重視してきた中国政府は結果的に、自ら不安定の種を蒔いてきたともいえるのである。