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孤独な人を増やす中国共産党の統治――多発する無差別殺傷の背景を探る(1)

六辻彰二国際政治学者
学生による無差別殺傷事件が発生した専門学校(2024.11.17)(写真:ロイター/アフロ)
  • 中国で無差別殺傷が多発する背景には、貧困や格差に加えて、社会的な孤立・孤独があげられる。
  • 寂しさを感じる人が増えることは、テロや過激主義の蔓延を促すものとして各国で警戒されている。
  • ただし中国の場合、共産党体制そのものが個人の孤独を促してきた一因でもある。

 多発する無差別殺傷を中国当局は「個別の事案」「どこの国でもある」と強調するが、むしろ共産党体制そのものにも大きな背景があるとみられる。

孤独な人の増加がもたらすリスク

 中国で多発する無差別殺傷事件の原因として指摘されるのが“三低三少”だ。つまり

三低

・所得

・社会的地位

・社会的人望

三少

・人との付き合い

・社会と触れ合う機会

・不満を口にできる機会

 このうち“三低”は、いわば貧困、格差などで、これまでも中国に関する調査や報道でしばしば取り上げられてきた。

 これに対して“三少”はあえてまとめれば孤立、あるいは寂しいという感情である孤独だ。

 孤立が自発的なものならライフスタイルの一つだが、それが非自発的で、孤独を感じる人が増えれば政治や治安のリスクになりかねないとして世界各国で関心を高めている。

 フィンランドの名門ヘルシンキ大学は8月、国際シンポジウム「政治化する寂しさ」を開催し、この場では孤独な個人がSNSなどを通じて過激主義やヘイトに惹きつけられやすいことに議論が集中した。

 各国で進む研究によると、寂しさはこのほかアルコールや薬物への依存、鬱などメンタル面の不調陰謀論テロへの傾倒、さらに自殺願望などをもたらしやすいと報告されている。

 筆者自身が以前、欧米やイスラーム圏のテロリストや大量殺人犯を対象に行った調査でも、家族、職場、地域社会などでの疎外感や居心地の悪さは、多くの事件の背景に確認された。

 この観点からいうと、無差別殺傷が多発する中国は寂しい社会なのだろうか?

孤独を感じさせる風土

 孤立・孤独の観点から中国を他の国と比較できるデータは数少ないが、調査会社Ipsosのものが参考になる。

 それによると、2021年に28カ国で行った意識調査で、「どのくらいの頻度で寂しさを感じるか」という問いに「いつも/時々」という回答は中国では26%にとどまり、下から6番目だった(28カ国平均は33%、日本は16%)。

 ところが、同じ調査で「全く/ほとんど感じない」という回答は中国で27%にとどまった。これは下から2番目の低さだった(28カ国平均は37%、日本は48%)。

 つまり、一方では「寂しさを感じる人が少ない」のに、他方では「寂しさを感じない人も少ない」。言い換えると、他の多くの国と同じく中国ではほどほどの対人関係の人が多いのであって、とりわけ孤独が目立つわけではない。

 ただし、寂しさの感覚は国によって違うとみた方がいいだろう。

 というのは、人脈が重視される中国の場合、“ほどほどの対人関係”というのが、他の国の基準でいえば頻度や密度の高いものになりやすいからだ。

 実際、Ipsosの調査では「周囲の人が頼りになる」という回答は中国で55%にのぼり、調査対象中1位だった(インドと同率首位)。

 要するに、中国ではもともと対人関係が濃いわけだが、だからこそセーフティーネットとさえいえる人脈を築き損ない、周囲との関係が薄くなれぼ、他の国より寂しさを感じやすいともいえる。

個人を分断する共産党支配

 いうまでもなく、中国に限らずほとんどの国で、孤立・孤独には都市化、核家族化、非正規雇用など対人関係が固定的でない就労形態など、社会や経済の複合的な背景がある。

 また、SNSで知り合いを増やしても、それで寂しさが紛れる人と、むしろ寂しさを増す人があることを指摘する心理学者もいる。

 ただし、中国における孤立・孤独には、こうした各国共通の変化だけでなく、中国固有の政治的背景もある。それは強い国家権力のもとで、個人がバラバラにされてきたことだ。

 社会学などでは、国家と個人の間に位置する集団(例えば家族、企業、職業団体、学校、宗教団体、NGO、町内会から趣味のサークルに至るまで)は中間集団(中間団体)と呼ばれる。

 中間集団は個人にとっていわば“居場所”であり、メンバーの一員としての結びつきと安心感を得られる場であるが、他方でそれ自体が個人を押さえ込む場合もある。

 ともかく中間集団は、都市化や個人化によって日本を含む多くの国で求心力を低下させている。

 これに対して中国の場合、そもそも共産党体制のもとで、ほとんどの中間集団が国家の監督下に置かれてきた。

 例えばキリスト教会は欧米では行き場を失った個人のよりどころとして存在感を回復しているが、中国では聖職者の説法さえ共産党の監視から自由ではない。

 共産主義国家では中間集団が「反体制派の巣窟になりかねない」と規制されやすい。冷戦時代、“労働者の国”だったはずのソ連で労働組合が規制されたことはその象徴だ。

 その場合、個人は常にお互いを監視しあっているのに近く、中間集団は個人にとって安心な居場所ではない

 相互監視は文化大革命の時代にピークに達したが、現代でも同じような状況はみてとれる。例えば、iPhoneを使用していて会社の同僚に「愛国的でない」と罵倒されるといった事例が目立つのは、中国で個人の間に国家が介在しやすいことを示す。

 清朝末期の辛亥革命(1911-1912年)を率いた孫文はバラバラになりやすい(だからこそ逆に人脈が重視されるのだろう)中国人を“散砂”と表現したが、それは共産党体制のもとで強化されたといえる。

さまようフルタイム・チルドレン

 共産党体制そのものが孤独を後押ししてきたとすると、中国でほぼ唯一、例外的に機能してきた中間集団と呼べるのは、家族あるいは血族だろう。

 血縁関係が重視される中国では父系親族(いわゆる宗族)のもと、大家族同居が基本だった。濃い家族関係は孤立・孤独を和らげるものだったとみてよい。

 ところが現代では家族にもかつての力はない。

 中国でも核家族化が進み、さらに最近では一世代世帯(単身、夫婦のみ)が全世帯の約半数を占めるに至っている。

 中国人民大学の調査チームは、中高年に孤立・孤独が目立つと指摘する。現代の中高年が家族に囲まれていたかつての中高年と自分を比べ、孤独感を深めても不思議ではない。

 一方、若者の間にも孤立・孤独リスクは広がっている。

 景気後退と若年失業率の上昇にともない、就職を諦めて家にずっといる若者が増えている。そのなかには親から“家事手当”を受け取る者も少なくなく、こうした若者は “フルタイム・チルドレン”とも呼ばれる。

 中国では35歳を超えると就職が極端に難しくなるといわれる。フルタイム・チルドレンのまま将来親がいなくなれば、孤独をさらに感じやすくなることは想像に難くない。

 とすると、孤立・孤独や中間集団の衰微はグローバルな現象だとしても、中国ではこれがより鮮明になりやすい。

 それが無差別殺傷の多発に及ぼす影響についてはより詳細な検証が必要だろう。しかし、国家権力と血族によって成り立ってきた中国が大きな転機を迎えていることは、およそ間違いないといえるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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