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首里城復元に使うべき木材はスギだ。琉球の歴史をひもとけば見えてくる木材事情

田中淳夫森林ジャーナリスト
在りし日の首里城。これは5代目に当たる(写真:アフロ)

 10月31日未明に起きた大規模な火災で焼失した首里城(那覇市)は、早期の復元を望む声が湧き上がっている。すでに寄付金集めが全国で行われているという。

 ただ再びの復元には莫大な金が必要なほか、十分な職人や木材や漆など用意できるのか難問続きだ。とくに問題となっているのは、「正殿」に必要な木材だろう。無垢で大径長大木が必要とされるからだ。

 実は、私は前回の復元(1992年)ではタイワンヒノキが使われたという報道を聞き、ちょっと疑った。なぜなら、その頃はすでにタイワンヒノキは伐採禁止であり、日本への輸出はできないはずだったからだ。

 ただ調べてみると、86年には復元計画に先立って木材の調達を始めていた。当時も制限はかかっていたが台湾も特例で認めてくれ、木材業者も協力してくれたという。

 なるほど、完全に伐採禁止になる前から集めていたのか。とはいえ、かなり無理をしたはずだ。台湾側には「これが最後」という声もあったという。おそらく山から伐り出すだけでなく、以前に伐られてストックされていた在庫などもかき集めたのだろう。「正殿」には樹齢300~500年生で直径1メートル級のタイワンヒノキを約100本使ったという。

世界中の大径木が枯渇している

 現在、大径木材は世界的に枯渇している。それなのに日本では寺社や宮殿、城郭とくに天守閣の復元が盛んで、大径木材集めに狂奔している。奈良の平城宮・大極殿(2010年)にはかろうじて国産のヒノキ材を使えたが、薬師寺の伽藍再建(西塔が1981年)にはタイワンヒノキを使った。そして昨年再建された興福寺の中金堂は、カメルーン産のアフリカケヤキ(アパ)を使用した。

 しかし、今回はさすがに難しい。タイワンヒノキも調達できないだろう。国産ヒノキも、そうしたクラスの大径木はほとんど底を付いている。そこで米国のヒノキか国産のスギを使えないかという案が政府内で出ているそうだ。

 ここで情報が錯綜している上に、賛成・反対を含めて意見がかまびすしいので、少し整理しておきたい。

 まずタイワンヒノキは日本のヒノキとは同じ木ではない。正確には台灣扁柏と台湾紅檜である。もちろんアメリカのヒノキも別物だ。現地ではローソンサイプレスなどと呼ぶ。日本でベイヒ(米檜)と名付けたのは木材業者の都合である。

首里城に使われた木材を林政書より推測する

 では、過去の首里城は何の木でつくられていたのか。これが難問だ。

 首里城が最初に作られたのは14世紀末頃と推定されている。ただ史書に記録されているだけでも4度にわたり焼失している。一度目の焼失は、1453年。王の崩御後に発生した王位争いの際による。2度目の焼失は、1660年。失火によるとされ、再建には11年もの歳月を要した。

 3度目の焼失は、1709年に起きた火災が原因。1715年に再建されて、明治維新(琉球王国から沖縄県へ)を経て1925年に特別保護建造物、1929年には国宝に指定されている。しかし1945年の沖縄戦で破壊された。

 この4代目の首里城を復元の原形として建てられたのが、今回消失した首里城だ。つまり5代目となる。しかし正確な姿はわからなかったので、推測と想像で建てられた部分が多い。

 さて、これらの首里城は何の木で建てられたか。

 琉球の林政書の一つ『杣山法式仕次』(1747年成立)によると、首里城の正殿はこれまでカシを用いて普請していた」とある。しかし「腐りやすいので20年あまりで改築することになっている」ため、巨額の国費を費やした。そこで今後は腐りにくい「イヌマキと定める」とあった。そして「イヌマキを第一とし、次にモッコク、イジュシイを用いる」。そのためこれらの木の植林を奨励している。

 ただし、これらの木々も、琉球では枯渇しつつあった。とくに大径木材はほとんどない。そこでさまざまな木を輸入している。樹名にキリやヒノキ、ツガ、クスなどが上げられているが、杉と●(木偏に久しい)の文字も見える。この場合、どちらも読み方はスギだが、杉は広葉杉、中国産のコウヨウザンを指すと思われる。一方で●は日本産のスギだろう。とくに、この日本産のスギは重要な樹木と位置づけ、植林も進めたようだ。林政書『樹木播植方法』(1747年成立)にはスギの挿し木や種子の植樹方法が図入りで示されている。そして御用木とした。

『山奉行所公事帳』(1751年成立)には「スギはイヌマキと並んで首里城の正殿の改築に使う、そうすれば数十百年も保持される」旨、記されている。

 余談ながら、現在の沖縄にほとんどスギは植えられていない。当時はこれほど重要視していたのに、現在の沖縄でスギが求められていないのは不思議である。

薩摩藩が首里城の木材を提供していた

 さて、今後復元しようとする城は、5代目に基づくことになるだろう。それは4代目が原形である。では、この城にはどんな木材が使われただろうか。

 実は、スギの可能性が高いのである。なぜなら1700年代の琉球王国では、全土にはげ山が広がり森林資源が危機的状況だったからだ。しかも財政が逼迫していて自力で木材を調達できず、薩摩藩から2万本近い原木を提供されたと伝えられている。薩摩藩の木となると、やはりスギが多かっただろう。もしかしたら屋久杉も混じっていたかもしれない。

 ちなみに琉球王国では木材は最重要資源だった。なぜなら島国であり、中国などとの交易が要であるだけに船が欠かせず、造船には大径木の木材が大量に必要とされたからだ。船には主にリュウキュウマツとイヌマキが使われたようだ。また森林保護のため繰り舟(丸木舟)の新規製造を禁止した記録もある。

 このような歴史を追うと、首里城の再建にスギを使ってもおかしくないことになる。なんならコウヨウザンも使えるかもしれない。こちらは中国に多く植林されており、大径木もあるだろう。日本でも成長が早いからと新たな造林樹種として有望視しているから取り入れても違和感がない。だから首里城復元に今更タイワンヒノキやベイヒを求めるべきではない。

 幸いスギの大径木は、日本国内の人工林にもそれなりに残されている。調達はなんとかなるかもしれない。

ヒノキの無垢材に固執する必要なし

 ただ、日本人は建築にはヒノキという思い込みが強い。しかも無垢信仰が根強く残る。張り合わせて太くした材を好まないのである。しかし、無垢の大径木を求めることが、世界各地の森林を破壊してきたことを自覚すべきだ。

 たとえば江戸時代に再建された東大寺の大仏殿は、世界最大級の木造建築物であるが、使われているのはヒノキだけでなくスギやマツ、ケヤキなどが混ざっており、とくに太い柱は寄木だ。ケヤキを芯にヒノキの板で包んで鉄環で締めている。当時、大径木が手に入らなかったからだが、決して無垢材にこだわったわけではないのだ。現代なら、いっそのこと林野庁イチオシ建材のCLT(直交集成板)を使ったらどうだろう。いくらでも太くできる。

 ただでさえ世界的に大径木材が枯渇して、それらを調達しようとすれば違法伐採を誘発しかねない。たとえば興福寺で使われたアフリカケヤキは、アフリカの原生林を破壊して伐りだされたものだとして、海外から厳しい目を向けられている。

 また国内でも、名古屋城の天守閣復元のために、各地の鎮守の森が伐られている例がある。

日本林業復活の秘策は、違法木材対策にあり!

違法・グレー木材の締め出しはエンドユーザーから

名古屋城天守閣のため鎮守の森が伐られている

 2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない。「世界遺産だから~」という言い訳も必要ないだろう。

 ちなみに、同じく再建素材の調達が大変とされている漆も、国産を求める意味はない。

国産漆増産は絵空事。江戸時代から日本は漆を輸入していた

 私も数年前に首里城を訪れている。あの荘厳な宮殿を復元・再建すること自体は賛成である。ただ「文化復興のためには森林破壊もやむを得まい」といった暴走はしてほしくない。

※記事で引用した琉球の林政の古文書に関しては『意訳 林政八書』(沖縄国際マングローブ協会・中須賀常雄編)を参考にさせていただきました。 

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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