<シリアの子どもたち>戦火のイドリブ 孤児を支え続ける園長(写真11枚・地図)
◆内戦10年が生んだ戦災孤児
10年にわたるシリア内戦は、子どもたちにも、たくさんの悲しみをもたらした。北西部イドリブ市内にある孤児保護施設「家族の家」には、戦争で家族を亡くした子どもたち14人が暮らす。私は地元シリア人記者の協力のもと、ネット回線を通じて施設を取材した。(取材・構成:玉本英子/アジアプレス、協力:ムハンマド・アル・アスマール)
【関連記事】反体制派拠点のイドリブ 自国民に爆弾落とす政府 殺戮続く(最新写真6枚)
小学5年生の女児ザハラさん(11)は、アサド政権の戦闘機の爆撃で父親を失った。「お父さんの身体は飛び散ってバラバラになった。いまでも飛行機の音が聞こえると、体が震え、物陰に隠れて神様に祈る」。親戚の家を転々とした後、ザハラさんは母と妹とともに「家族の家」に身を寄せることになった。
ハスナ・ダハヌン園長(48)は、国内外の民間人からの支援を受けながら、職員たちと施設を運営する。アレッポの自宅が壊滅し、避難したイドリブで戦争孤児の増加を知った。寄付を集めて住宅地の一軒家を改修し、2年前に「家族の家」を設立した。「どの子も心に深い傷を抱え、親がいないため愛情に飢えている」と話す。こうした施設はイドリブだけでも10カ所以上ある。
◆戦死した外国人戦闘員の子ども
ここには外国人戦闘員だった親を亡くした子どももいる。灰青色の瞳が愛らしい男児、ビラールくん(5)。父親の出身国は分からない。義勇兵として戦死すると、シリア人の母親は息子を置いてトルコに渡り、別の男性と再婚。祖母のもとに残されたビラールくんは、この施設に連れてこられた。
イドリブ一帯では、チュニジアやエジプトなど各国からシリア入りしたイスラム武装勢力の戦闘員がいまも活動する。地元シリアの女性が、外国人戦闘員の妻になるよう強いられる例もある。女性側の親族は過激な思考の外国人との結婚に反対しても、武装組織の圧力を断れず、また生活苦から結婚を選択することもあるという。
「家族の家」は当初、子どもだけの施設だったが、身寄りをなくし、経済的に困窮した女性が増加したため、母子ともに受け入れるようになった。イドリブとその周辺地域では夫を失い、生活が立ち行かなくなった女性は4万6000人を超える(地元団体SRC調べ)。
◆「教育は人の心を形づくる」との思いで
戦闘と空爆の恐怖、逮捕や身代金目当ての誘拐、さまよう避難民、電気と食糧の寸断、そして国民どうしの殺し合い……。それがシリア内戦の10年だった。誰もが他人のことなど考える余裕すらなくなる戦火の現実。打ち捨てられるように行き場を失った幼い孤児たちに助けの手を差し伸べ、懸命に支えてきたダハヌン園長のような人たちが何人もいたことに、私は胸を打たれた。
【関連記事】シリア内戦10年(「友達や隣人を奪い、心を引き裂いた」(写真9枚・地図)
【関連記事】シリア、イドリブの高校生「楽しいはずの高校生活 ずっと戦争でくやしい」(写真10枚)
どんな世にも心ある教育者たちがいたことが、どれほどの救いとなったことだろう。園長は「教育は人の心を形づくる」との思いから、孤児たちを小学校にきちんと通わせ、戦乱で受けられなかった科目にも追いつけるようにしている。戦闘の影響や避難先を転々としたために学校に行けず、学年遅れになった子も少なくない。内戦は子どもたちにも深刻な影響を与えた。
「家族の家」の小学4年生アヤットさん(11)は、空爆で父親を亡くし、この施設に母とやってきた。「シリアの子どもはずっと戦争しか知らない。何にも脅(おび)えずに暮らしたい。私が願うのはそれだけ」。アヤットさんはそう言った。
【関連記事】米軍の砲撃で足切断の少女「家族が殺されたのは『しかたない』の?」(写真12枚)
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年4月27日付記事に加筆したものです)