<シリア>忘れられた戦争の犠牲者、残されたIS孤児たち(写真12枚)
◆両親失った外国人ISの子
シリア中部アイン・イサの郊外に広がる避難民キャンプ。戦火から逃れたり、空爆で家を失った人びと、約2万人が身を寄せる。その一角に24人の子供たちだけのテントがある。すべて外国人の孤児で、国籍は7か国に及ぶ。インドネシア、ロシア、イギリスなどからシリア入りして過激派組織「イスラム国」(IS)に加わった両親は、戦闘や爆撃で死んだ。(玉本英子/アジアプレス)
2019年3月、ISが南東の最終拠点バグーズを失った際、子供たちはシリア・クルド勢力の部隊に保護され、このキャンプに送られてきた。
アダムくん(9歳)はロシアの出身。戦闘員だった父は戦死。バグーズで母と弟と一緒にいたところに爆撃があり、アダムくんは2人の弟とともに爆弾片で負傷した。いまも頭部に傷跡が残る。
「空から爆弾が落ちて、吹き飛ばされた。気がついたらお母さんは血だらけで、頭の半分がなくなっていた」。そう言って、うるんだ涙を拭った。
子供たちの世話をしている女性、スアド・ムハンマドさん(20歳)はデリゾールからの避難民だ。どの子も最初は話すらしなかったが、少しずつ心を開いてくれるようになったという。
「戦争孤児と“ISの子供“という2つの悲しみを背負っているこの子たちに誰かが寄り添わなければ、心が壊れたままになってしまう」。
子供たちが親に連れられシリアに来たのは、ISが台頭して外国人を大量に呼び寄せていた4~5年前。幼い頃に来たため、母国語ができない子もいる。IS孤児をどう扱うか、キャンプ当局の方針が決まらず、学校には通っていなかった。
エジプト人のアブドラくん(13歳)は、空爆で負傷し、右手には大きな傷跡が残っていた。銃の種類や装甲車の名前をたくさん言えるよ、と自慢げに話す。軍事訓練を受けたが、実戦に参加する前にISが崩壊した。「戦闘で死ねば殉教者となり、天国に行ける」と教え込まれた。父は目の前で撃たれて死んだという。
「たくさんの血と死体を見た。最初は怖かったけど、だんだん何とも思わないようになった」。ISの過激教育は幼い心をゆがませた。
ロンドンから来たと話すアミラ・ハフサさん(10歳)はイギリス英語を話した。5人きょうだいで、弟2人は爆撃で死んだ。両親はおそらくバングラデシュ系移民と思われるが、パスポートがなく、何もわからない。「ロンドンで、家族でスーパーに買い物に出かけたのが一番楽しかった思い出。あの日に戻りたい」と、小さな声で話した。
◆身元不明で出身国引き取らず
ISには世界各地からのべ数万もの外国人が加わった。だがシリアで拘束されたIS戦闘員を引き取ろうとする出身国はほとんどない。一部の国は、妻子のみに限って帰還手続きを始めた。一方、孤児は身元の証明ができず、出身国から見捨てられた存在となっていた。のちに子供たちはラッカに送られ、ようやくNGO団体が支援することが決まった。
ISの子として育てられ、米軍の空爆で親を失い、行き場をなくした孤児たち。かれらも戦争の犠牲者だ。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2019年12月10日付記事に加筆したものです)