<シリア・ラッカ>米軍の砲撃で足切断の少女「家族が殺されたのは『しかたない』の?」(写真12枚)
◆IS掃討戦で米軍・有志連合の砲弾が家に
「食事の準備をするお母さんの手伝いをしていた。家に爆弾が落ちたとき、何が起きたか分からなかった。とても痛かったことしか覚えていない」
ファティマ(当時10歳)は、このとき両足に重傷を負い、右足を切断。一緒にいた母と姉妹3人は亡くなった。(玉本英子・アジアプレス)
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シリア・ラッカは4年近くにわたり過激派組織イスラム国(IS)が支配した。クルド主導のシリア民主軍(SDF)の攻略戦でラッカは陥落し、ISは敗走。それから1年、市内西部のダライヤ地区を取材していた際、出会ったのがファティマだった。
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民主軍はラッカ攻略戦を前に、前線地域の住民をできるだけ一時避難させ、ISの軍事拠点に近づかないよう呼びかけた。だが移動できない人びとが多数残されたまま、戦闘は激しさを増していった。民主軍を支援した米軍主導の有志連合は空爆と砲撃を加えた。ラッカ近郊には米軍が迫り、前線基地から砲弾を撃ち込んでいた。
ファティマの家に砲弾が落ちたのは、2017年6月。父親のフセインさん(46)は憤る。
「ここは住宅地で、近くにIS拠点などなかった。家族を失っても被害調査や補償もない」。
フセインさんはタクシーの運転手をするが、収入はわずかで生活は困窮を極めていた。
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車椅子生活になったファティマは、家の前から外を眺めるだけの日々が続いた。
「買い物に出かける人や路地で遊ぶ子どもたちが、みんな私から遠くの場所にいるような気持ち」。
ずっとうなだれていた彼女の目が忘れられない。学校で勉強することが願いだったが、小学校は家から遠く、車椅子でたどりつくことはできなかった。
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◆今年10月、やっと学校に……
今年に入り、支援団体が通学を手助けしてくれることになったものの、新型コロナ感染防止の影響で、わずか1カ月ほどで休校に。
今年10月中旬、近所に新たな小学校が開校されることになり、彼女も通えるとの知らせを受けた。私はラッカにいるファティマとネット回線を通じて顔を見ながら話をすることができた。13歳になり、スカーフで髪を覆い、少しお姉さんらしくなっていた。
「やっと行ける。うれしくてたまらない」と笑顔いっぱいだった。
開校日、通学に付き添った近所の青年が写真を撮ってくれた。これまで学校へ行っていなかった彼女は、小学3年生のクラスに編入することになった。
地元の取材協力者を通して校長に話を聞くことができた。ナワール・ムハンマド先生(27歳)は話す。
「戦火で家族を失い、心に傷を抱えただけでなく、生活苦から学校をあきらめ、くず拾いの仕事をする子も大勢います」。
ISが去って3年がたつなか、教育を取り戻すのは容易ではない。
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◆「みんなを苦しめたISを倒すために、母・姉妹が殺されたのはしかたないの?」
ファティマの家族のように米軍・有志連合の攻撃で、命を落としたラッカの民間人は1600人以上にのぼる(人権団体アムネスティ調査)。一方で有志連合側は、その死者数の一割ほどしか認めておらず、補償もない。
ISが世界各地で過激な事件を繰り返していた中、米軍の強力な軍事作戦がなければ短期間にシリア、イラクのIS拠点を叩くことができなかったのは事実だ。だが、その掃討作戦の過程で多数の民間人が巻き込まれ、命を落とした現実がある。
ファティマは言う。
「ISは、みんなを苦しめた。だからといって私のお母さんや姉妹が殺されていいのでしょうか。それは『しかたがない』ことなのでしょうか」
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(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2020年11月10日付記事に加筆したものです)