菅首相を生み出した大手メディアには、この失敗の教訓を生かしてほしい
国民に広がる菅首相への幻滅感
日本の最大の不幸は、危機時に教養のない人物がトップになってしまったということです。平時であれば覆い隠されていたトップの資質が、危機時にはあからさまに見えてしまうものです。
オリンピック開催中に新型コロナの感染爆発が起こっていた状況下で、多くの国民は菅首相に対して「なぜ、こんなにも愚かなのか」「なぜ、こんなにも国民感覚とズレているのか」と幻滅していたのではないでしょうか。
政治家の資質は、個々の政策に対する姿勢でわかる
実のところ、菅首相にトップとしての資質が不足していたのは、予めわかっていたことです。私が2019年に当時の菅官房長官に深く関心を持ったきっかけは、彼が最低賃金の大幅な引き上げによって生産性の向上を試みようとしていたからですが、その政治家の資質を分析する時に、個々の政策に対する姿勢やその背景を考察するのは重要です。
2019年6月17日の記事『最低賃金5%引き上げで、懸念される日本の将来』および 同年6月21日の記事 『呆れるしかない最大野党の参院選公約』でも申し上げましたように、最低賃金の引き上げが経済成長率を大きく上回る形で進められれば、かえって低賃金の人々の雇用が大幅に削減されるという事態が想定されます。生産性がわずかに上がったとしても、トータルでは副作用のほうが大きくなってしまうのです。
「最低賃金を大幅に引き上げれば生産性が上がる」という考え方の問題点は、「最低賃金が低いことで経営が成り立っている中小零細企業は淘汰されるべきだ」といった傲慢な主張が根底にあります。
この考え方の最大の間違いは、「原因」と「結果」を取り違えてしまっていることです。「最低賃金が上がる」結果として「生産性が上がる」のではなく、「生産性が上がる」結果として「最低賃金が上がる」というのが、正しい因果関係を示しているからです。
科学の世界では、「原因」と「結果」が逆になるようなことはあえりません。最低賃金の大幅引き上げを唱える識者たちは、科学の世界で「引力が働いているから、りんごが落下する」という現象を、「りんごが落下するから、引力が働いている」と論外なことを言っているのと変わらないのです。
教養がないと「魔法の杖」があると思ってしまう
日本の生産性を引き上げるためには、効果的な政策を地道に10年単位で続ける必要があります。それにもかかわらず、教養のないトップはそういった地道な努力を放棄して、問題を一気に解決できる「魔法の杖」があると思ってしまうようです。心理学でいえば、このように思いがちな人物は、短絡的で気が短い人物に多いようです。
そのうえ、こういったトップは欧米人が唱える理論や権威付けに弱く、自分がその理論を理解できなくても理性を失い信じる傾向が強いので、弱肉強食が信条のグローバリストたちにとっては、近づいて既得権益を得ることが容易な対象になります。「物事を筋道立てて考える力がない」ので、権威を見せつけて「やればできるはずだ」と思い込ませるのが簡単なのです。
振り返ってみれば、安倍前首相もそうでした。「魔法の杖」として日銀による異次元の金融緩和(2013年4月~)に過度に頼ってしまったのです。当時の安倍首相は「ノーベル経済学賞のクルーグマンも言っている」と自信を見せていましたが、クルーグマンは日本の社会・文化・制度をすべて分析したうえで、大規模金融緩和を提言したわけではないのです。
私は当時から、「過剰な金融緩和は株価を押し上げる効果はあるものの、行き過ぎた円安によって国民生活は疲弊し、経済格差はいっそう拡大する」として、デメリットのほうが大きいと主張してきました。実際に、アベノミクス以降に実質賃金は、リーマン・ショック期並みに落ちてしまったので、政府・与党にはその現実を直視してもらいたいところです。(2019年2月1日の記事『アベノミクス以降の実質賃金は、リーマン・ショック期並みに落ちていたという事実』参照)
2016年の時点でクルーグマンは自分の考えが誤りだったことを認め、学者としての矜持を示しましたが、クルーグマンの理論を利用して前首相に近づいたグローバリストや識者たちは、その後、大規模な金融緩和について語ることがなくなりました。彼らは「なぜ失敗したのか」をしっかりと検証し、その結果を政府・与党に説明しなければならないと思っております。
官邸記者クラブは大いに反省するべきだ
6月24日の記事 『非常に危険な賭けに出た菅首相 ~その賭け金は「国民の生命・安全・財産」という真実』では、オリンピックを開催することによって日本でデルタ株が爆発的に広がる余地が大きいと警鐘を鳴らしましたが、いよいよ感染爆発による医療崩壊が現実になってしまいました。本来であれば入院が必要な感染者が自宅療養を強いられ、多くの人々が自宅で亡くなるケースが増えてくるでしょう。
菅首相のこれまでの行動をみていると、説明力、判断力、決断力といった能力が著しく欠如しているばかりか、謙虚さ、責任感、政治家としての志といった性質も持ち合わせていないことが明々白々です。だから、国民のアスリートへの応援と政府への評価は別物だという現実をまったく理解できていないのです。
なぜこのような人物がトップに上り詰めてしまったのでしょうか。それは、大手メディアが誤ったメッセージを発信することで、明らかな才覚不足が与党の政治家だけでなく、国民の目からも隠されてきたからです。菅首相が官房長官時代に危機管理が万全だったという評価は、官邸記者クラブがつくりあげた幻想だったのです。
官邸記者クラブはこれまで菅官房長官(当時)がまともに質問に答えない態度をずっと許してきました。菅官房長官の定例記者会見において、「まったく問題ない」「批判は当たらない」「指摘は当たらない」といった決まり文句は、ニュース番組を見る人であれば一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
これらの言葉だけで済ませるのは、国民に対する説明責任の放棄にほかならず、言い方を換えれば、政治家として説明能力がないということを如実に示しています。その状況を「鉄壁のガースー」などと褒めたたえてきたのですから、官邸記者クラブの罪は非常に大きいといえます。
要するに、大手メディアが権力と癒着した結果として菅首相が誕生し、今では国民の生命・安全・安心が脅かされているというわけです。今回のことを教訓として、大手メディアには二度と同じ過ちを繰り返さないようにお願いしたいと思っています。