次の目標は“選手に寄り添える裏方” 現役を終えた阪神・小豆畑眞也捕手
阪神タイガースは11月30日、緒方凌介選手(28)が12月1日付で球団職員(配属は広報部)になることを発表しました。これからは「緒方広報」と呼ばれるわけですね。フェニックス・リーグ中の10月15日に右ひざを負傷して帰っていた緒方選手は、フェニックス終了翌日の10月30日に、来季は契約しない旨を告げられています。
同じ日に戦力外の通告を受けた小豆畑眞也選手(30)も、球団に残りました。11月の秋季練習中に鳴尾浜で姿をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。仕事はファームの用具担当、ブルペン捕手も兼任だそうです。本格的な仕事は年明けからになると思われますが、体力も必要な業務なので、しっかり自主トレしないといけませんね。
きょうはそんな小豆畑選手の話をご紹介します。小豆畑さんというのはまだ慣れないので、“選手”と書かせていただきます。ご了承ください。
驚きはしなかった戦力外通告
10月6日の『ファーム日本選手権』(宮崎)で巨人を破り、ファーム日本一となった阪神タイガース。その試合後に矢野監督から「一生懸命盛り上げてくれたMVP」として名前を挙げられたのは、小豆畑選手と西田直斗選手でした。西田選手は翌日に戦力外通告を受け、小豆畑選手はそのまま10月29日まで宮崎に残ってフェニックス・リーグを完走したのですが…
「フェニックスの最終戦が終わって帰る時に言われました。あした球団事務所へ行くように、と」
その時の心境を尋ねたら「そういう(第2次戦力外通告)期間が始まったのも知っていたし、ドラフトでキャッチャーを指名したこともわかっていたし。だから可能性としてはあるなと、ずっと思っていました。社会人を経て入って6年目で全然活躍していなかったら当然、整理対象になると自分でもわかっていたので。だから言われた時は驚きもしなかったです」と小豆畑選手は答えました。
でもフェニックス・リーグが全部終わってのタイミングで「え、今?」という思いもあったのではないでしょうか。最終クールではマスクをかぶってヒットも打ちましたからねえ。
「まあフェニックスでも、例えば(宿舎に)帰ってからウエートしたりとか、試合の中でキャッチャーやったりファーストやったり、外野も守って。来年に向けて“こうしよう”みたいなのをやっていた矢先だったのは確かです。でも、まだ戦力外があるかもしれないとは思っていた。そういう人たちを見てきましたし。驚きはありません」
とはいっても、実際に通告を受けるまでは先のことを考えるわけにいかなかったはず。「この先のことが何もない最悪の事態を想定して、準備しようと(通告の席に)臨みました。だってクビになってからでないと言えないじゃないですか。たとえば知り合いの会社の人に『クビになったらお願いします』とか。だから何も動いていなかった。ただ自分の中で、こういうことしようかな、してみたいなとは考えていましたけど」
球団からの打診を受けて
その後、ファームの用具担当とブルペン捕手にという打診があったことは「メチャクチャ大きく思えました。野球に、しかもこれまでとほとんど同じような感じで携われるわけですから」と言います。いったん持ち帰って家族と相談してみると伝えたものの、断る理由は見つからなかったと小豆畑選手。
ご両親は何と?「どちらかというと僕が決めたことに関しては何も言わないんですけど、まあ現役は続けてほしかったんだろうなという感じでした。野球をやっているところをまだ見たいってのがあったのかもしれないなと。ただ親としては今回の僕の選択を止められなかったんでしょう。子どもがいますし家族もある。これからの人生は長いですからね」
奥さんは?「プロ野球選手って1年ごとの契約じゃないですか。だから嫁さんはもともと1年、1年という不安はあったそうです。僕がやると言ったら、頑張って!という感じでした。生活に関しても今までとあまり変わらないし。まあ大丈夫です。僕より力があるので(笑)」
「ここまで来られて、もう十分です」
ところで、戦力外の通達に驚きはなかったと繰り返す小豆畑選手ですが、現役への未練もなかったのでしょうか。
「実は、戦力外と言われた時に自分が最初にどう思うかを大事にしたいって、嫁さんと話をしていたんです。その瞬間に僕が、まだ野球をやりたいと思うのかとどうかと。そこで、あした球団事務所へ行ってくれと言われた、イコール戦力外でしょう?その時に『あ、よくやったな。ここまで』と思っちゃったんですよ」
「僕が通っていた高校は普通の進学校だったので、練習が1日1時間半とかでした。そんな日本一、練習をしない高校時代を過ごした野球選手なんです。ほんと普通の部活。夕方4時に始まって5時半終了の。夏も勝ったことないし、校歌を歌ったこともないし。大学は中退して、社会人に入らせてもらってという人生を歩んできて。よくやったな…と思ってしまったんですよね。何が何でも現役にこだわろう、という気持ちが出てこなかった時点で、これはダメだなあと」
トライアウト受験は考えなかった?「ボロボロになってもやることを美学だとは思うんですけど、スパッと終わるのもそうかなと。逆に、ここまで6年やらせてもらって1軍にすら呼んでもらえないってことはある意味、あきらめる材料にはなると思いました。ちょっと活躍した時期があったとすれば、まだ頑張れるかなと考えたりするかもしれないですけど。ただ僕に力がなかったと諦めるには、いい材料かなって」
「だから僕の中では、ものすごくスッキリして引退を決められましたね。家族にとっても、野球を離れる決断ができるには十分だったと思います。ここまで来られて、ここでダメなら、もう十分です」
プロの6年間で悟ったこと
阪神での思い出を聞いても、やはり「吉田ブルペンコーチに始まって山田コーチ、藤井コーチと、いろんなことを教わりました。ただ阪神の6年間を振り返って一番印象に残ったのは、個人的なことですけど“ああ、ここまでか~”みたいなものが自分でわかったというか。自分の野球がここまでで、ここから上は未知の世界やな、もう僕が入れ込めないところやなっていうのは…わかりました。だから僕は多分、ドラフトで入れるけど1軍で活躍するレベルまではいけない選手だったんです」という自己分析になりました。
とても冷静ですね。「だから不思議と後悔は全然なくて。活躍したかった思いはもちろんあります。申し訳ないという思いも。支配下選手で獲ってもらって6年も面倒見てもらって、全然役に立ってないので。活躍したかった気持ちはありますけど、それが後悔につながるかどうかは別問題なのかなと」
「11月10日から仕事をさせてもらっているんですけど、まったくなかったんですよ、後悔が。選手を見ても、球を受けているピッチャーが甲子園で活躍してくれたらなあ~って思えるので。頑張ってほしいな、何かできることあるかなって考えますけど、自分がどうこうというイメージはまったく湧かないですね」
人にはわからない苦しさも
そういう人の方が少ないかも、と言ったら「やっぱり…苦しかったのかもしれないですね」と返す小豆畑選手。
「プロ野球選手って言うのも恥ずかしかったし。僕が歩んできた道でプロ野球選手が少なかったというのもあるんですけど、地元に帰ったら紹介されるじゃないですか。“阪神タイガースの”って。それでみんながネットで調べると。僕が全然活躍していないのもわかるわけで…。プロ野球選手と言われるのが恥ずかしかった。何とかそれを覆そうと思って、いろんなことやって、いろんな練習をして、でもダメだったので、それまでだったんだなと」
我々に推し量れない苦しさもあったわけですね。「それは僕にしかわからないことだと思います。だから今、まったく後悔はありません。逆に、未練タラタラで選手の練習を手伝ったら申し訳ないでしょ?」。そして、こう続けました。「もう30なんでね。それに、あの高校の部活からここまで来られた。野球で生きていくなんて覚悟を決めていなかったくらいで」
同期入団・藤浪投手との初バッテリー
それから、ふと「印象に残っているというか僕がよかったなと思うのは去年、掛布さんの最後の試合で晋太郎と組んだこと。晋太郎と試合で組むのは、あれが初めてだったんですよ。これから日本を背負っていくピッチャーでしょ?背負っていくし、背負っていかなくちゃいけない。僕はそう思っています」と2017年9月28日のウエスタン・広島戦のことを振り返りました。
これがシーズン最後の公式戦で、掛布監督の退団も決まったことにより多数の来場者が予想されたため、この前日と併せて2試合が鳴尾浜から甲子園へ変更となりました。先発の藤浪投手は5回を投げ4安打1失点(自責0)。小豆畑選手はフル出場した試合です。詳しくはこちらからどうぞ。→<甲子園で締めくくった掛布阪神・その2 チーム8年ぶりの大量得点で有終>
ドラフト1位の藤浪晋太郎投手とは同期入団だった小豆畑選手は1年目、1軍の宜野座キャンプに揃って参加しました。毎年恒例の『新人選手の初休日』イベントで、2人仲よくお風呂に入っている姿がスポーツ各紙の1面を飾ったのを覚えています。
「あの時、晋太郎の背中を流したのも思い出ですねえ。それで去年、初めて試合で受けて、これが締めくくりでいいなと思ったんです。もう1年チャンスをもらえたけど、こんなんだったので仕方ないです」
裏方としての挑戦権をもらった
「矢野監督から“諦めない”とか“ファンのために”と言われた今季、それと同時に僕が思ったのは、人はそれぞれ生きる道があるということです。ホームランを打つ人もいればバントする人もいて。僕は選手で生きる道はなかったけど、今度は裏方としての挑戦権をもらいました。選手は終わったけど、どうすれば選手に寄り添える、いい裏方になれるかをこれから試されるんだと思っています。気を抜く暇もないです!」
11月10日から再びユニホーム姿で秋季練習に参加し、用具担当のノウハウを教えてもらった小豆畑選手。もちろんブルペンでピッチャーの球を受けたり、ノックの際にボールを渡すことやティー打撃でトスを上げるのも仕事です。打撃投手もしていましたね。これまでやってこられた藤本修二さんを見ていたら、とにかく幅広くサポートする大事な役割だと思います。気配り、目配りが必要ですね。
最後に小豆畑選手は「スポットライトを浴びて稼いでいる人が自分を語るだけじゃなく、僕みたいな敗れていった人こそが“すごいところだった”って話すことも大事かなと思うんですよ。子どもたちに“プロ野球はすごいところだよ。だから頑張れよ”って伝えてあげたい」と、真剣な表情を見せます。
応援してくださったファンの皆さんへは「6年間、鳴尾浜にしかいなかったけど、こんな僕でも覚えてくれた人がいると思うので、ありがとうございました。これからは選手の活躍ぶりを甲子園で見てあげてください」というメッセージ。もう気持ちは“支える人”ですね。そして「選手のメンタルケアもしないと。悩み相談、受け付けます!」と張り切っていました。
自分を知りすぎたゆえに苦しい6年間だったのかもしれない―
小豆畑選手の話を聞いて、そんなふうに感じました。笑顔の裏で不安と闘いながら、口では後ろ向きなことを言っても、本当は誰より前を向いてきたのだと思います。年が明けて新人合同自主トレが始まると、朝早くから夕方まで動き回る彼を鳴尾浜で目撃されることでしょう。これまでと変わらず、いえ、これまで以上に“小豆畑さん”を応援してください!
※小豆畑選手の過去の記事はこちらからご覧いただけます。
【2014年】
【2015年】
<安芸キャンプの推しメン・小豆畑捕手「目指すは第二の小田幸平」>
<“北陸シリーズ” 2戦連続完封勝ち。福井では小豆畑が決めた!>
【2018年】
<アマ交流試合で馬場が初先発。横山、小豆畑、西田も実戦復帰>
<掲載写真は筆者撮影>