阪神タイガース前OB会長・川藤幸三さんの“虎愛”を受け継ぎ、原口文仁選手の16年目が始まる
阪神の原口文仁選手(32)が先月28日、地元である埼玉県寄居町で恒例の『原口文仁後援会主催・ふれあい野球教室』を開催しました。2016年12月に寄居町商工会議所主催で楽天の銀次選手を中心に行われ、翌2017年から後援会主催となって7回目(2021年は休止)です。
寄居町運動公園に寄居町、深谷市、熊谷市から計7チーム(野球5、ソフトボール2)の小学生およそ100人が集結。ことしも、原口選手が中学時代に所属していた深谷彩北リトルシニアの先輩である社会人・SUBARUの日置翔兼選手が助っ人、後輩である中学生現役選手たちがお手伝いに来てくれました。
朝7時まではまだ氷点下で、防寒対策万全で出向いたのですが、開会式の9時過ぎには日差しもたっぷり。野球教室のキャッチボールが始まる頃には、厚いコートと使い捨てカイロを取り除きたくなるほど。青空が広がり、風もほとんどなく最高のお天気でした。そういえば、この野球教室で雨に見舞われたことはないような気がします。原口選手が晴れ男なんですかね。
ふれあい野球教室
野球教室のスケジュールはキャッチボールのあと守備練習でノックを受け、ティーバッティング。ここは原口選手と日置選手が、グラウンドに広がったチームごとの選手を見て回ります。
続いて内野のポジションについた日置選手がノックを受け、一塁の原口選手に送球するなどの模範演技。また『原口選手に挑戦』のコーナーでは、1チーム1人ずつのピッチャーが打者・原口選手と対戦するというもの。背の高い子や球の速い子もいて、小学生とは思えませんね。
締めは原口選手のフリーバッティングです。これは硬球を使い、ピッチャーは例年と同じく深谷彩北リトルシニアの後輩・市川弘晃さん。参加している子どもたちは全員、原口選手の後ろ(背中側ではなくバックネット側)に置いたネット越しにかぶりつきです。
2スイング目でレフトへ1本放り込みますが、それ以降なかなか柵を越えなくて、原口選手は「あーダメだ!」「悔しいー!」などと叫びながら打ち続け、2本目が出たところで両手を高く挙げるポーズ。終了となりました。
続くジャンケン大会は、原口選手と対戦して勝った人にサインボールをプレゼントします。まず後援会会員の皆さんと、それから子どもたちとのジャンケン。勝って原口選手からボールを受け取った子の嬉しそうな笑顔が最高です。今回は閉会式終了後に原口選手と日置選手を中心に、後援会と各チームごとの写真撮影があって解散。
毎年のことですけど、関係者やお手伝いくださった方々、参加チームの皆さんのおかげで、とてもスムーズに進行し、ことしもタイムスケジュールより早く終わっています。皆様、ありがとうございました!
「残留ありがとう!」の声
では、原口選手のコメントをご紹介しましょう。聞いたのが昨年末なので、本人の話している「」部分の表現は、2023年→去年、2024年→ことし、2025年→来年のまま書かせていただいています。ご了承ください。
2016年も含めると8回目で、後援会主催では7回目となった地元での野球教室。原口選手は「最初にやっていた子たちが、もう高校卒業?そう考えたらすごいですよねえ」と感慨深げでした。
「やっぱり続けることに意味があると思うし、少しでも地域の野球人口(増加)に貢献できていると思うと、嬉しい気持ちです。周りの後援会役員の方だったり、ボランティアの方のおかげで続けられているので、本当にありがたいと思ってやっています」
原口選手は昨年11月12日に国内フリーエージェント(FA)の権利を行使することを表明し、1か月後の12月12日に阪神残留を発表しました。この野球教室は予定通り開催すると決まっていたものの、主催である『原口文仁後援会』の役員の方々は1ヶ月間、大変だったようです。
後援会の田中静雄会長は、開会式の挨拶で「残留決定後にもう大慌てだった!」と思わず本音を漏らされました。また別の方も「虎でなくライオンのユニホームで来たらどうしようかと思った」と。うまいことおっしゃいますね。まあ埼玉県なのでライオンは歓迎されたかもしれませんけど。
何はともあれ、無事に(?)阪神残留という結論を携えて帰省したわけですが、地元の皆さんの反応はどうだったのでしょう。「“残留ありがとう”って言葉もかけてもらいますし、周りの人がそうやって喜んでくれるんだったら、もう本当にありがたい話だと思いますね」
残留を決めてから約2週間、今の心境は?「決まったからにはやるしかないと思っています。仕事場がどこであれ結果を残さないと。監督も変わって、ベテランだからとか若手とか関係なく、試合に出るためにはアピールしていかないといけないし、そのためにいい準備をしてキャンプを迎えられるようにしたいです」
藤川球児監督が送った「(残留を)決めてくれたからには、激しい競争に臨んでほしい」というメッセージには「若い選手も出てきて、これから出てくる選手もいますけど、今までやってきたものをしっかり継続して自分もレベルアップして、さらに活躍できるようにという思いでオフを過ごしているので。また楽しみだなと思います」とコメントしました。
柵越え2本を披露
FA宣言後は例年のように甲子園で練習できなかったとか。いつもと違っている部分はありますか?「意外と思ったほど変わらなくて、本当に。甲子園へ行かなかっただけで、外で普通にトレーニングをしたりグラウンドを借りて練習も例年と変わりなくできていますよ」
「オフが始まってすぐから動き始めたので、そこまで多く休んでいないし。あんまり変わらないな。FAのことがあったぐらいで、そこまで大きく変わらなかったんですよね。なので、ほんと普通に練習できていますって感じですかね。何も支障なかったです。はい」
この時期、特にテーマを持って取り組んでいることは?「特にはないです。体をしっかり動かしてトレーニングして、上積みができるようにという感じでやっているんで。ここをどうとかは、特にないですね」
体を鍛えるのが主目的?「そっちもメインですし、打つ方もです。シーズンが終わって、秋季キャンプが始まってからも普通に練習をしていたんで。何を落としたとかはなく、走って打ってトレーニングしてという流れでやっていました。打ち込みの方も、強度とかレベルは一回も落としてないんでね」
この日、野球教室の最後に行った恒例のフリーバッティングでは、打ち始めて2本目が柵を越えたように見えたんですけど、あれは?「入っていますよ!入っています。木が邪魔したんですよ」。なるほど。そしてラストにもう1本出て終了。
「あれ、打つの大変なんですから!(後援会の人たちは)簡単に打てると、5分ぐらいで終わるみたいに思っているけど(笑)」。ネットを挟んで野球教室参加の子どもたちがズラリ!かぶりつきの状態で食い入るように見ていました。あの距離であの視線、多少はプレッシャーに?「まあ、でもいい経験だし。子どもたちにはね」
V逃で得たものもあるはず
残念ながら連覇はなりませんでしたが、振り返ってどうですか?「ほんのちょっとの差ですよね。優勝できる、できないっていうのは。優勝できていろいろ経験したことがあったし、去年はあと一歩ってとこで負けて経験したことも、やっぱり選手の糧になっていると思うんで」
「まあいい経験ができた2年間。それを来年、チームがちょっとよくない時とかに、みんなで思い出して盛り返していけば、また優勝できるチャンスがあると思う。それはすごく楽しみですね」
私が2024年の戦いを振り返って印象に残っているのは9月14日、チームがサヨナラ勝ちした広島戦(甲子園)です。0対3の7回、押し出し四球や相手エラーで1点差とし、なおも1死満塁で代打・原口選手が左前に同点タイムリー!そこから9回のサヨナラ劇へとつながりました。
この試合が、というよりは“そこまでの時間”を思ってのことでしょうか。8月25日の広島戦(マツダ)で8回に代打出場してから20日ぶり、14試合ぶりの打席でした。その間も、決して腐ることなく「出た時はバチッとやったります!」と繰り返していたのを覚えています。
そこが原口選手の、原口選手たる所以ですね。「また出番がなかった」とか「長らく打席に立っていないなあ」とか、ちょっと後ろ向きな思考は誰でもあるでしょう。でも原口選手はそう考えた直後に前を向いて…いや、もしかすると考えたように見えるだけで、常に前しか見ていないのかもしれません。
だから、その瞬間に力を出し切る準備を怠らないし、積み重ねてきたことに自信を持っていけるのだと、改めて感じました。
そうそう、記念撮影時に「バモス」って掛け声が。久しぶりにきいたような気がします。「あはは!まだ寄居では名残りがあるんですよ(笑)」。いやいや、名残りって。甲子園でもみんな普通に言っていますし。そういえば1年前の野球教室は「バモス」が飛び交っていましたね。
自分の発したフレーズがみんなの合言葉になる、記憶に残るのは嬉しい?「うん、それはまあ嬉しいことですね。優勝した時にそうなったっていうのはすごく嬉しいし」。2025年も何か言いましょうか?「いや、それは出てこないです」。今のところは、ですね。
神様NGなら、ジョーカーはいかが?
再び、野球教室でのコメントに戻ります。
代打に甘んじるつもりはなく、あくまでもレギュラーを目指した上で昨シーズンのように代打の切り札的なポジションならば…という話になりますが、やるからには代打の記録などを全部塗り替えるくらい、と1年前に言っていましたね?
「そういう立場で出るとしたらモチベーションとして持っておきたいとは思っていますね。そこを目指しているってわけじゃなくて、その起用方法になったら1本でも多く打てばチームのプラスになるんで」
「もう出たとこで、やるべきことをするだけ。その一点集中なのでアピールはもちろんしないと。監督が代わったタイミングで出られる、出られないっていうのは最初の印象にもかかってくるから。ファーストベースマンのファーストインプレッション!頑張ります」
監督も、2月1日にはある程度仕上げてきてくれという話をされていました。「それはもう全選手に通達があったので、もちろん仕上げていくつもりです。最新の注意を払いながら、まず大怪我しないようにしっかり戦える体を作っていきたいなと思っています」
ここで原口選手から1つ提案がありました。「なるべくだったら、もう、あの“代打の神様”ってのを使わないでいただきたいですけど。何ならもう最後の最後の福の神で。“残り物には福がある打線”の最後の切り札にしてください。最後のとっておきの代打ぐらいにしといてください」
残り物と少し自嘲めいた表現をしましたが、そういう存在はチームにとって大切で相手チームにも脅威なので、と記者陣が言っても「いやいや~最後まで残っているってだけなんで。神様はもうやめてください」と固辞する原口選手です。
でも、最後に残っているからこそ切り札なんですよね。だったらジョーカーはどうですか?“虎のジョーカー・原口”とか。これは私が勝手に思いついただけで本人にも伝えていませんので、軽く聞き流してください。
男気と虎愛を受け継いで
ところで、阪神で代打といえば“春団治”・川藤幸三さんの名前が浮かびます。原口選手にもよく話をしてくださるとか。川藤さんの存在は大きいですか?「OB会長?もう元会長になるのかな。はい、いつも選手のことを見てくれていますし、すごくしゃべりやすい方です」
なお阪神のOB会長は掛布雅之さんが務めることになりましたが、原口選手は川藤さんのことを今も“会長”と呼んでいるので、そのまま書かせていただきます。原口選手にとって川藤さんはどんな方ですか?
「聞いたら何でも答えてくれるし、本当に選手に近いOBだと思います。タイガースだけじゃなくて他球団の選手もすごく親しくしゃべっているところを見るので、それはやっぱり会長の人柄かなと。僕は会長としゃべる時、いつもふざけていますけど(笑)」
そんな川藤さんの代打起用回数が通算352で、原口選手は今季終了時点で340と、そこはまもなく追いつきますね。代打での通算打率(阪神の生え抜き選手)は川藤さんが.2673で1位、2位の原口選手は.2667と肉薄して今季を終えています。
川藤さんは代打での通算ホームランが11本あり、それについて「通算数は知らなかったけど、1シーズンで4本か5本ぐらい代打ホームランがあるんですよね?すごいなと思います。会長すごいなあ」と原口選手。
残留を決めてから川藤さんに電話をした際は「おお、そうか。頑張れ!」と言われたそうです。また「会長にはタイガースの歴史をちゃんと聞きましたよ、一から」という話をしてくれました。どんなことを聞いたんですか?
「まず、なんで“春団治”なのかっていう話も。それと、その当時の阪神はあんまり強くなかったので(お客さんが)みんな7回くらいから帰っちゃう。でも、そんな時に会長が(代打で)出てきて帰らせない。それもチームに貢献じゃないですか。何なら営業に貢献じゃないですか。ね?」
「人を惹きつける魅力のある方だと思います。それでね。会長が現役を辞めるとなった時にファンの方が募金を集めてでも年俸を出そうとしたって。それぐらいファンに愛された人を、やっぱり選手としては目指したい。そうなれるように選手として努力していきたいと思いますね」
『男・川藤・春団治』
これについては、少し補足しておきましょう。川藤さん自身が対談やインタビュー等で話されていたのを、かいつまんでご紹介します。
1983年のオフ、球団から引退を勧められた川藤さんは「嫌です。引退しません」と拒否。「わしは阪神のユニホームを着て野球をやれたらそれでええ。(契約書の金額欄には)好きな数字を書いてくれ。0円でも構わん」と言ったそうです。結果、双方合意ということで推定1000万円から400万円弱まで下がりました。
いろいろ経費などを引いて「月給にしたら3万円くらいしかない時もあった」といいます。それでも後輩を連れて出かければ、いつも通りすべて自身が支払うわけで「店に『出世払いにしてくれへんか』と頼んだこともあるな」と豪快に笑う川藤さん。お金がなくても男気は捨てない、これこそ初代・桂春団治?
なお年俸ゼロでも続けたいと直訴した、川藤さんの心意気に応えようと、虎党の上岡龍太郎さんや中村鋭一さん、二代目・桂春蝶さんらが、自分たちで川藤選手の年俸を出すため募金をしてくれたのは有名な話ですね。
実際に上岡さん方は次のオフ、集まった募金を持っていったのですが川藤選手は固辞。でも出したものを引っ込めるわけにはいかないという上岡さんらの気持ちを受け取り、その募金で甲子園球場に体の不自由な子どもたちを招待する、年間指定席(川藤ボックス)を購入しました。
募金に協力してくださったファンの方々も、それを自分が使うわけにいかないと辞退しつつ誰かのために役立てた川藤さんも、本当に懐が大きくて優しい人たちですよね。思っても行動に移すのは大変なこと。根本に流れる“タイガース愛”を感じます。
引退勧告から3年後の1986年にユニホームを脱いだ川藤さんですが、前年に21年ぶりのリーグ優勝と初めての日本一を経験し、またラストイヤーは監督推薦でオールスターゲームにも出場。左中間へ見事なヒットを放ったものの、激走(?)空しく二塁タッチアウトとなった、これも忘れられないシーンでした。
豪放磊落で歯に衣着せぬ物言いをしながらも、周囲に繊細な気配りができる川藤さんだからこそチームやファンの皆さんに愛されたのだと思います。もちろん代打の川藤コールに応えて、ゆっくりと打席に向かう姿もすごく頼もしくてワクワクしたんですよね。
たとえスタメンでなくとも試合のどこかで出てくるから、そこできっと打ってくれるから、最後まで席を立たない。帰りたくない—。川藤さんがファンの心を熱くしたように原口選手も、そんな期待を込めて観てもらえる選手になっていくでしょう。
優勝してハワイに行きたい!
同学年で同期入団だった秋山拓巳投手が引退して、在籍年数がチーム最長になった原口選手。締めくくりとして、16年目のシーズンに向けての意気込みをお願いします。
「ここからはもう一日一日。代打であろうとスタメンだろうと結果がものを言うと思います。そこをなんとか自分でも意識して、いい成績を積み重ねていけるように。まあ言葉で表すのは簡単なんですけど、代打1打席は本当に難しいので。より集中していきたいと思います」
ちなみに“来年の漢字”は、野球教室が始まる時点で早々に「今回から漢字はなしで」と牽制されてしまったのですが、では熟語でも…と食い下がってみたところ「健康。来年も健康で」と返ってきました。
「ことしも1軍で1年間完走できましたし、まずはそこにいて。まあ1軍にいても2軍でも体が元気で野球できるってことが一番なので、そこを目指して。数字はあとからついてくる。そういう気持ちで、まず健康第一」
その、あとからついてくる数字に関して何かこだわる部分があるかと問われた原口選手は「ハワイに行きたいって、それだけです。みんなで優勝してね。僕の願いはそうです。その目標を叶えるために頑張りますよ」と答えました。
もちろん、また優勝して家族をハワイへ連れて行きたいという願いは本当でしょう。そのために何をすべきか、自身の心には浮かんでいるはず。あえて「ハワイ、それだけ」と言った原口選手ですが、チームみんなの目標も、ファンの皆さんの願いもそこだと思いますよ。
原口文仁選手は、愛娘が望んだタテジマのユニホームを着て、今季も阪神甲子園球場の打席に立ちます。出番が試合終盤であっても、たとえベンチのまま試合が終わったとしても、その姿を求めて球場へ来てくれる人がいる限り—。
<掲載写真は筆者撮影>