コロナ後の世界がどうなるかを反人種差別運動から読み解く
フーテン老人世直し録(519)
水無月某日
新型コロナウイルスの蔓延で、欧米では都市封鎖が相次ぎ、街から人の姿が消えたと思っていたら、今度は黒人男性が白人警察官に殺された米国の事件によって、人種差別に対する怒りのデモが世界中に広がった。
世界の街頭には黒人だけでなく多くの白人も参加して抗議の声を上げ、歴史上の英雄とされた人物の銅像が攻撃の対象にされた。米国では南北戦争で南軍の司令官を務めたリー将軍や、第26代大統領のセオドア・ルーズベルトの銅像が撤去され、英国では第二次大戦の英雄チャーチル元首相の銅像に「差別主義者」と落書きされ、また17世紀の奴隷商人の銅像も台座から引きずり下ろされ踏みつけられた。
前のブログで書いたが、1992年の米大統領選挙の年に、黒人に暴行を加えた白人警察官が無罪になったことに怒った黒人がロサンゼルスで暴動を起こし、動員された軍隊との間で6日間にわたる銃撃戦を展開したことがある。
湾岸戦争の英雄で支持率が90%近くまであったブッシュ(父)大統領は、その年の大統領選挙で無名の田舎の州知事クリントンに敗れた。しかしその暴動はロサンゼルスだけで終わり、世界に反人種差別の運動が拡大することはなかった。
それから28年後の今年はコロナの蔓延も早かったが、反人種差別運動の広がりも早い。そして歴史をさかのぼるなど本質に迫ろうとしている。なぜならその間に通信技術の進歩でグローバリズムの時代が始まり、ヒト、モノ、カネが世界を自由に動き回るようになったからだ。
1992年の前例に倣えば、トランプ大統領の再選は厳しいと見るべきだろう。しかし欧米、とりわけ米国社会に残る白人至上主義が根強いのも事実である。これはフーテンの見方だが、キリスト教に裏付けられた信仰がそれを支えている。疑問を持つことを許さないのが信仰だから問題は容易に解決しない。
しかも白人至上主義は世界中で追い詰められている。キリスト教社会が野蛮な異教徒と見た辺境の民の存在感が増し、欧州ではドイツのメルケルのように移民を受け入れ共生社会を作ろうとする動きもあるが、追い詰められ絶滅の危機を感じる白人至上主義はしぶとく生き残ろうと最後のあがきをする。それが米国では特に強い。
コロナ後の世界をどう見るか。様々な観点から考察しなければならないが、今回は人種差別あるいは文化の観点から考えてみたい。コロナ後の世界はグローバリズムと自国第一主義がせめぎ合うというのがフーテンの見方だが、そこには必ずキリスト教に裏付けられた白人至上主義が絡んでくる。
フーテンが初めて行った外国は英国のロンドンで時代は1972年だった。まだ日本人の海外旅行は一般的でなく、外貨の持ち出し制限もあった。テレビ取材のためだったが、それもまだ珍しい時代で、出発する時には部員全員が飛行場に見送りに来た。
支局に手配をお願いしたホテルに行ってみると、我々の部屋は本館ではなく別館だった。別館の客は我々以外みなアラブ系で白人の姿を見ることはなかった。ところが朝食のために本館のレストランに行くと白人の客ばかり。白人と有色人種は部屋を別にされていることが分かった。これが最初の被差別体験である。
80年代は日米貿易摩擦が激しかった。自動車産業を抱える選挙区の米議員たちは反日発言を繰り返す。最後は決まって「在日米軍撤退」を言って日本を脅すのが常套手段だった。その頃、米国務省で対日政策を担当していたロナルド・モース氏に「米国にとって理解不能の国が世界に3つある。それは北朝鮮、キューバ、日本」と言われた。
冷戦時代で米国の敵はソ連と中国だと思っていたから驚いた。「ソ連と中国は理解可能なのか」と聞くと「そうだ」と言う。世界を隔てているのはイデオロギーではなく文化的価値観なのだ。それにしても北朝鮮と日本が似ている訳がないだろうと思ったが、米国から見れば同じに見えるのだろうと思い直した。
言われてみると、ほとんどの家庭が大晦日に紅白歌合戦を見るとか、夏の暑い季節に高校野球に国民が熱狂するとか、朝のラジオ体操を日本中でやっているとか、米国人から見れば奇妙かもしれない。一方で日本に植民地支配された北朝鮮には天皇制と似たところがある。
東西冷戦構造とかイデオロギーでしか日米関係を見てこなかったフーテンに、モース氏の言葉はもう一つの見方を提供してくれた。そのもう一つの見方で日米関係を見ると、違った構図が見えてくる。それは先住民を皆殺しにした米国の白人至上主義と日本との関係である。
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