ジョブズの人生を変えた男の過去 〜スティーブ・ジョブズの成長物語 ピクサー篇(2)
ジョブズの人生は彼一人が作ったものではない。とりわけピクサーの創業者エド・キャットムルは図らずも公私に渡って彼の成長に深く関わることになる。彼こそジョブズが史上最強の経営者に新生するきっかけとなった人物だった───。
音楽産業のみならず人類の生活を変えたジョブズの没後十周年を記念する集中連載、第12弾。
■才能がないとわかった後
『ピーター・パン』のティンカーベルに初恋を患い、オタクとなったキャットムル少年(後のピクサー創業者)は、部屋に線画台をしつらえて黙々とセル画描きの真似事に没頭していた[1]。
だが高校生にもなると、才能がない自分を受け入れざるを得なかった。セル画は描けても、大切な絵心が欠けていた。それで彼は、憧れのディズニー社に就職する夢を捨てた。
かわりにできることはないのか。
悩んだキャットムルは、とりあえず数学ができたのでユタ大でコンピュータ科学を専攻、そのまま研究者になるつもりだった。が、キャットムルの胸にはクリエイター人生への憧憬がくすぶり続けていた。
そして彼は稀代のビジョナリー、サザーランド教授(前回)と出会った。教授の研究室に来たキャットムルは、天才の発明を見ることになった。
モニターにはいくつもの直線が描画され、抽象的な立体がゆるりと動いている。誕生したばかりのコンピュータ・グラフィック、世界初のCGだった。六十年代半ばのことである。
キャットムルには、生まれたてのCGはアートのように美しく見えた。同時に、彼の得意とする数学の塊でもあったのだ。後にピクサーとAppleの信条《クレド》となる、テクノロジーとアートの交差点がそこにあった。
彼の胸に炎が灯されたのはこの時だ。これを進化させれば、いずれ子供の頃からの夢だったアニメ映画だって創れるかもしれない…。若きキャットムルは研究室に寝泊まりするほど入れあげることになるのだった。
ほどなくして、この大学院生は少しだけ世界を変えた。直線だけの武骨なポリゴンしかなかったCGに、質感を持たせることに成功したのである。
学生だった彼の発明したテクスチャ・マッピングは、今日のゲームやCGアニメに欠かせない基礎技術になっている。
しかし道はふたたび閉ざされてしまった。院卒を迎えた彼をどの大学も雇ってくれなかったのである。航空会社のボーイングが、創成期だったCADソフトウェアに通じる彼を雇ったが、彼の創りたいのは飛行機やミサイルではなかった。
CGでディズニーに匹敵するアニメ映画を創る───。
そんな途方もない彼の夢は、潰え去さろうとしていた。
■じぶんより優秀な人間を雇う
サラリーマン生活に埋没したキャットムルの夢を救ったのは、大学院で創った、とある作品だった。
学生時代、大学院に三ヶ月泊まり込んで、それまで幾何学的図形しかなかったCGの世界に、人間の手の動きを再現してみせたのである。世界の片隅で起こった小さな革命だった。
この作品を見て胸がときめいた謎の富豪がいた。ニューヨークのロングアイランドに住む、『グレート・ギャツビー』のごときA・シュアーは、キャットムルをこう口説いたという。
これからコンピュータの時代が来る。僕はコンピュータ時代のディズニーになりたい。僕が監督になるから、君はCGのプロを集めてくれ。金に糸目はつけない…。
その夢はまさに、キャットムルのそれと重なっていた。だから全員、とびきり優秀な人間を雇おうと思った。
自分がいちばん劣っていることになったっていい。それで自分が追い落とされても構わない。だってディズニーの創業物語が教えている。最高の作品には最高の人材が必要なのだ、と。
その信条は後に出会うジョブズと全く同じものだとは、当時の彼が知る由もない。決心したキャットムルは大学という大学を回り、コンピュータ科学の博士だらけの最高の技術陣を組み上げた。
しかし肝心のアニメ監督がみつからなかった。いたのは「CG時代のディズニー」を気取る謎の富豪オーナーで、じぶんが監督をやると張り切っていた。
素人監督の富豪と、博士号を持つCGエンジニアたち。彼らは、ストーリーの組み上げ方も、演出のメソッドも持ち合わせていなかった。何年も費やして、作品とも呼び難い出来損ないに終わった。
「俺の人生を二年も無駄にしちまった!」[2]
内輪の上映会でエンドロールが流れる中、CGアニメーターが悲痛に叫んだ。テクノロジーとアートが全く交差していなかったのだ。
だが運命とは読めないものだ。
出来は最悪だったが、最高の専門家集団を組んだことがキャットムルの身を救うことになった。『スター・ウォーズ』を世界的にヒットさせた新進気鋭の監督、ジョージ・ルーカスが彼らの存在を聞きつけたのだ。
キャットムルたちは文字通り雀躍りした。ルーカス監督のもとに行けば、今度こそ世界初のCGアニメ映画を創れるはずだ、と。
彼らは示し合わせて、ひとり、またひとりと富豪の経営する研究所を離職。スター・ウォーズの生まれた、サンフランシスコ近郊のスカイウォーカーランチで落ち合い、キャットムルのCG集団はルーカス監督のもとに集結した。
だが、そこでも失望が待っていた。
■キャットムルがジョブズに出会うまで
コストダウンのための便利な道具。
ジョージ・ルーカス監督にとって、はじめCGはそれだけの存在だったのだ。フィルム一枚一枚に手書きで入れていた光の効果を、CGで代用しようと監督は考えていた。
せっかくハリウッドに来たのにこのままでは、いち技術屋で終わってしまうかもしれない…。
そんな不安を押して、彼らは高価なワークステーションでミレニアム・ファルコンの噴射口やライトセーバーの色付けに励むのだった。
「そもそも最初から、彼らはディズニーになることを目指していた。口を開けばその話ばかりだったよ」
後に第二のディズニーとも称されることになるピクサーの創業者について知る者は、そう語ったことがある[3] 。キャットムルが諦めなかったのには、科学者らしい数字の根拠があった。
ジョージ・ルーカスのもとに集結した頃、キャットムルは封筒の裏にある計算をしたためたことがある[4]。彼の夢、フルCGでアニメ映画をいま本気で創ると制作費はどれほどになるのか。計算すると十億ドル以上、当時のレートで約二千億円という天文学的な数字になってしまった。
だが時は技術に味方する。ムーアの法則に基づけば、年々コストは半分になっていくはずだった。割り算を繰り返すと、あと十二年、つまり九〇年代前半にはふつうの制作予算でフルCGアニメが出来るはずだった。
これから十二年、ルーカス監督の元で黒子に徹する。そうやってこのCG集団を維持していれば、いずれチャンスはやってくると踏んだのである。
ターニングポイントは『スタートレックⅡ:カーンの逆襲』の外注が来て、VFXを担当したときだった。宇宙船を中心に視点をぐるぐる回して、ひとつの星が生成されていく光景を描き出した。実写では不可能なカメラワークだった。
「ものすごいカメラワークだな」
部屋にやってきたルーカスは、ただひとこと褒めたのみだった。だがそれ以来、監督はCGを多用するようになってくれた。とはいえCGがルーカスの映画づくりの中心になることはなく、あくまで実写の特殊効果に留まるのみだった。
追い打ちをかけるような事態が訪れた。ボスのルーカスが離婚する関係で、慰謝料のためにキャットムルのCG部門が売却されることになったのだ。チームはふたたび解散の危機を迎えた。
そうして彼は、スティーブ・ジョブズに出会った。(続く)
■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。
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[1] キャットムル『ピクサー流 創造するちから』第1章 Kindle edition, Location No. 360
[2] ディヴィッド・A・プライス著 櫻井祐子訳『メイキング・オブ・ピクサー』(2011)早川書房, 第2章 p.48
[3] プライス『メイキング・オブ・ピクサー』2章 p.47
[4] アラン・デウッチマン著 大谷和利訳『スティーブ・ジョブズの再臨』(2001)毎日コミュニケーションズ, 第2章 p.141