最悪の第一印象だった友ジョブズ 〜スティーブ・ジョブズの成長物語 ピクサー篇(3)
ピクサーの創業はジョブズに復活の未来を与えたのみではない。彼が新たな経営手法を学び、史上最強の経営者になるきっかけとなっていた。だがキャットムルが第一印象最悪のジョブズを嫌っていたらその道は閉ざされていただろう。そうなっていれば音楽産業を変えたiPhoneも誕生していない───。
スティーブ・ジョブズの没後十周年を記念した集中連載第13弾。
■ジョブズの第一印象は最悪だった
「面白い奴らがいるよ」
そう言って、ジョブズにキャットムルを紹介したのは、もうひとりの天才アラン・ケイだ。
若きジョブズやビル・ゲイツに自分のつくったGUIを見せて霊感を与え、パーソナル・コンピュータの時代を促したケイは、キャットムルにとって同じサザーランド教授門下の先輩だった。
「初めて会ったときから気に入っていた」とジョブズは、やがて友となるキャットムルとの出会いをそう語る[1]。
後にそのことを聞いて、キャットムルはさぞかし驚いたろう。なにせ初対面のジョブズはひどい態度で、正直、苦手なタイプだとキャットムルは思ったのだ。
無駄話は一切せず、常人とは別次元の熱っぽさで、マシンガンのように質問を浴びせかけ、スパーリングのように不躾な言葉を連打した後、刺すような眼でこちらをじっと見てくる。わざとじぶんを怒らせにかかっているのではないかとさえ、疑ったほどだ。
次に会ったとき、若きジョブズはAppleを辞めていた。
相変わらずじぶんの考えを話し続けるかと思ったら、途中でキャットムルの方に向き、「君の仕事を俺に譲れ」とさらりと言い出した。はぁ?となった[2]。Appleを追い出されたからと言って、別会社の創業者に向かって社長の椅子をよこせとよく言えたものだ。さすがに気を悪くした。
だがジョブズは全く気にしない。悪びれることもなく、ぜひ明日うちに来てくれと彼を強く誘った。初対面の直感ですべてを決めがちなジョブズと逆に、第一印象を保留して相手の真価を見出そうとするのが、キャットムルという人間だ。とりあえず鬱蒼たる林のなかにあった、ジョブズの住むスペイン風の古屋敷に赴いた。
アールヌーボーのランプと高級オーディオの他、ソファも机もないだだっ広い居間に、キャットムルは招待された。美意識に叶わないものは絶対に側に置きたくないので、家具を揃えることもままならなかったのだ。床に座ってくれと促したジョブズは、君らをどうしても手に入れたいと言いつのってきた。
『スター・ウォーズ』に感動した彼は、ルーカス監督のスタジオに訪れたことがあった。そのときキャットムルのCGを見て、パロアルト研究所でケイのGUIを見たのと同等の衝撃を受けたという。
Appleに対抗するコンピュータ会社(ネクスト社)をこれから創る。君らのCGツールを、そのキラー・アプリケーションにしたい。それでAppleを叩きのめしてやるんだ、と彼は言った。
キャットムルはその情熱に謝意を示しつつも、買収案を丁重に断った。その誘いは「倒産したくないなら、『第二のディズニーを創る』なんて夢を捨てコンピュータの会社になれ」というのと同義だったからだ。
だが、ジョブズはしつこかった。次に会うと彼は、君らさえよければルーカスからいつでも買収する用意があると繰り返した。ジョブズは、この世界初の本格的なCG集団の技術力に心底惚れ込んでいたのだ。
奇跡だと思っていた。
彼は終生、テクノロジーとアートの交差点にこだわっていたが、その方向ではキャットムルたちの方が、じぶんの創ったAppleのはるか先に進んでいる…。それほどまでに感激していたのだった。
それに、似た者同士の匂いをジョブズは嗅ぎつけていた。
キャットムルの職場にはピンク・フロイドやクリーム、あるいはボブ・ディランが大音響で流れていた[3]。スタジオを裸足で歩き回る博士。ヒッピーのような格好をした博士。風呂に入らない博士に、仕事中も片時も愛犬を離さない博士。キャットムルの集めた若者はジョブズに劣らぬ変人揃いだったのだ。
このコンピュータ科学のエリートたちは、金目当てではなく『第二のディズニーを創る』というビジョンに吸い寄せられていた。初代Macを開発した『秘密基地』のあの熱気。その思い出がジョブズを襲っていた。
後にジョブズがこの買収をメディアに発表すると「ついに気でも狂ったか」と陰口を叩かれたが[4]、彼は使命感すら感じていた。この奇跡のようなテクノロジー集団を霧散させるのは罪ですらある、と。なによりも、どうしてもキャットムルをじぶんの側に置いておきたかった。
ジョブズの人生を貫く、人惚れの激しさが炸裂していた。
■あまりにも激しすぎるモノづくりの情熱
相手をわざと怒らせ、人の本質を見抜く。それが若くして成功し、阿諛追従に囲まれたジョブズの処世術だった。
金持ちの若造がおべっか使いを側に置けば身の破滅に遭う。王国追放の主因となった二代目Macの開発で犯した数々の過ち。あのとき、彼の激しい気性に立ち向かってでもそれを諌め、説得してくれる強い部下がいたのなら…。
だから、挑発に立ち向かってこない「間抜け」は大嫌いだった。そういう意味で、何があってもおだやかな面持ちを崩さないキャットムルは、初対面で間抜け野郎に分類されてもおかしくはなかった。
「沈黙を弱さと勘違いするかもしれない」ジョブズはキャットムルを評する。「でも彼のそれは強さなんだ」[5]
キャットムルは何を言っても怒らなかった。そのままおだやかに話を聞き、おもむろに真を穿つ洞察を述べてくる。
そんな人物には長年、師事してきた知野禅師を除いてジョブズは会ったことがなかった。実際、長い付き合いでキャットムルが本気でジョブズに怒鳴ったのは「今月おまえらの給料は払わない」と言われたときの一度だけらしい。
キャットムルをどうしても欲しかったジョブズは折れた。ルーカスからの買収後、君らにまかせる。会社は牛耳らない。そう約束したのだ。
キャットムルの方は当時のジョブズが正直、苦手だった。だけどもこう思い直した。その激しい性格は彼なりに持っているモノづくりの良心が吹き上がっているのかもしれない、と。根っこでは、じぶんたちと同類なのかもしれない…。
背に腹は代えられなかった。キャットムルは、ジョブズのあふれんばかりの情熱に賭けてみることにした。やがて彼の洞察は、正しかったことが証明される。
ともかく買収は成立し、ピクサー社が誕生した。(続く)
■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。
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[1] Brent Schlender, Rick Tetzeli (2015) Becoming Steve Jobs: The Evolution of a Reckless Upstart into a Visionary Leader, Crown Business, Chap.7 p.177
[2] キャットムル『ピクサー流 創造するちから』第2章 Kindle edition, Location No.. 910
[3] プライス『メイキング・オブ・ピクサー』第2章 p.44
[4] デウッチマン『スティーブ・ジョブズの再臨』第2章 p.162
[5] Schlender, Tetzeli “Becoming Steve Jobs” Chap. 5, p.173