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偉人?クソ野郎?ジョブズの評価が分かれた訳 〜スティーブ・ジョブズの成長物語 ピクサー篇(1)

榎本幹朗作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント
(写真:Shutterstock/アフロ)

「傲岸不遜のエゴイスト」「ふだんは思いやり深い男だった」ジョブズの人物評は彼を知っている者たちの間でも真っ二つに別れる。その理由は何だったのか。そこにジョブズが史上最高の経営者に成長した秘密がある───。

音楽産業のみならず人類の生活を変えたスティーブ・ジョブズの没後10周年を記念した毎日連載は本日よりピクサー篇に突入する。

■ジョブズはどこで生まれ変わったのか

 早すぎた晩年、ジョブズはこう漏らしたことがある。 

「生まれ変わったらピクサーの監督になりたい」[1] 

 率直に過ぎる彼は、こうしたことで世辞をいう人間ではなかった。彼はピクサーのラセター監督によく言っていた。Appleの製品がどんなに素晴らしくとも寿命は五年、最後は埋立地に行く運命にある。だがピクサーで君が傑作をものにすれば、その映画は百年後も生き続ける、と。 

 エンターテインメントが専門でない自分が、ピクサーの成功に関わることができて幸福だった…。死の迫った二〇一一年の夏の終わり、最後の電話でそう語ったジョブズの声を、ピクサーの初代CEOだったエド・キャットムルは忘れることが出来ない。

 ジョブズはいつ、史上最高の経営者になったのだろうか? 

 初代Macの大赤字、二代目Macの開発失敗にともなう会社追放。そしてピクサー社、ネクスト社の倒産危機に至るまで、Apple復帰前のジョブズは常に「経営者失格」と揶揄されてきた。彼は生まれ変わる機会を、どこかで得たのだ。

 友人として、そしてピクサーの創業者としてキャットムルは二十六年をジョブズと共にした。それほど長く、彼の近くにいた人間はキャットムルと知野弘文をおいて他にいない。家族ですら───。

 傲岸不遜。人を人とも思わぬ暴言を吐く、奇行に満ちた天才。それがメディアの描くジョブズ像だ。若い頃を共にした同僚や恋人たちはそんなエピソードを次々と繰り出す。

 そんなのは全く違う。読者の好みに迎合したメディアの偏向だ、そう語るティム・クック現CEOや天才デザイナー、ジョナサン・アイブのような少数派もいる。たとえ傲慢に見えてもそれは最高の作品づくりのためであって、ふだんの彼はナイーブで思いやり深かった、と。彼らはApple復帰後、ジョブズと親しくなった。

 ひととなりを知る者の間でも、ジョブズ像が分裂した理由。それをキャットムルは知っている。 

 若い頃のジョブズといた人々は、二度といっしょに仕事をしなかった。恋人たちも別れていった。そして、成熟してからできた家族や側近たちは、以前の彼を知らない。だが二十六年、一緒にいたキャットムルは知っている。

 ジョブズはほんとうに変わったのだ。 

■「ITの時代」を設計した天才教授

 シリア人の入国を拒んだドナルド・トランプのような大統領の治世下なら、ジョブズは存在すらできなかったかもしれない。

 一九五五年。シリアから来た留学生とアメリカ人女性との間に男の子が生まれたが、ふたりは別れざるをえなかった。アメリカ女性の父、すなわちスティーブ・ジョブズの外祖父が、イスラム教徒との学生結婚に猛反対したからだ。 

 若い二人は赤ん坊を養子に出すほかなかったが、終生これを苦にした。赤ん坊は成人して母を許したが、自分を捨てた父のことは生涯、許さなかった。だが何故か自分の娘リサにも同じことをするのだが、生まれたばかりの赤ん坊がそんな将来を知る由もない。 

 一九五六年。世界で初めてプログラミングできる汎用コンピュータが誕生。辞書には、『人工知能』が掲載された。学会では、人工知能に喧しい時代は六十五年前にもあったのだ。

 一九五七年。世界初の人工衛星スプートニクが、ソ連の手によって地球の軌道上を回ると時代が一気に加速。ジョブズ家に引き取られた男の子が将来、活躍する舞台が整えられていく。

 この人工衛星がきっかけで、莫大な国家予算が宇宙科学とコンピュータ科学に流入することとなったからだ。ソ連のスプートニク打ち上げにショックを受けたアメリカのアイゼンハワー大統領が、すぐさま巻き返しを図ったのである。

 そうして生まれたのが航空宇宙局NASAと、高等研究計画局ARPA《アルパ》だ。インターネットの基、ARPAネットが誕生した場所だ。

 そのARPAネットを、二十六歳の若さで手掛けたアイバン・サザーランド教授は本物の天才だった。彼が国家予算を携えて大学に下野すると、そこから次々と我々の生活する「今」が半世紀以上前に設計されていくことになった。 

 Macで完成し、iPhoneで万人のものになったGUI。ピクサーで花開いたコンピューター・グラフィックス。果てはネクスト社が実現し、今のスマホ・アプリ全盛の時代を創出したオブジェクト指向プログラミング。

 ジョブズが後に手がける全仕事の基礎は、サザーランド教授が二十五歳の時つくった伝説的なプログラム、『スケッチパッド』から始まっている。どこかiPadにも似た名だ。

 昨今ようやく浸透し始めたVRも、その原型は若きサザーランド教授の手によるものだ。半世紀以上前に、ヘッド・マウント・ディスプレイを装着し、コンピュータの描く仮想現実を体験できるようにしたのは、二十代でインターネットの礎づくりに参画したこの若き天才教授だった。

「ユタ大学の大学院生は、不可能を不可能と思わないところがいい」 

 それが大学で教える若きサザーランド教授の口癖だったという[2]。才能は才能を呼ぶ。ルネサンスの時代、フィレンツェに偉大なる芸術家が結集したように、サザーランド教授の向かったユタ大学には、後に大仕事をする学生たちが集結していった。

 GUIを開発したアラン・ケイ。アタリを創業し、ゲーム産業の父となったノーラン・ブッシュネル。アドビの創業でDTPの時代を創ったジョン・ワーノック。ネットスケープ社を創業し、人類の誰もがウェブ・ブラウザを使う時代の鐘を打ち鳴らしたジム・クラーク。 

 みな、共通点がある。 

 コンピュータとヴィジュアルを組み合わせて革新を起こした点、そして歴史の収束点であったスティーブ・ジョブズの人生に関わった点だ。

 ジョブズは大学中退後、ブッシュネルのアタリ社で社員になった。ケイのGUIを見てMacを創り、ワーノックのアドビはMacに初めてのキラー・アプリをもたらした。ネットスケープ社の上場はApple追放後、初代Macだけの一発屋に終わろうとしていたジョブズの復活に関与している。

 この錚々たる学生たちのあいだに、友として、そしてパートナーとしてジョブズと長年過ごすことになるピクサー創業者、エド・キャットムルもいたのである。(続く

■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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[1] Ed Catmull (著), Amy Wallace (著), 石原 薫 (翻訳)訳『ピクサー流 創造するちから』(2014)ダイヤモンド社, 終章 Kindle edition, Location No. 5400

[2] キャットムル『ピクサー流 創造するちから』第1章 Kindle edition, Location No. 400

作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント

著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DUBOOKS)。寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。2024年からMusicman編集長

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