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マンガの父でもあった福沢諭吉と、サイダーに癒やされた夏目漱石

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト
(提供:アフロ)

前回の「横浜で花開いた国産ビールの起こりと日本初の職業マンガ家が描いたビール事始め(マンガあり)」で福沢諭吉のことを「『元祖マンガ家』の育ての親でもあり、ある意味では日本のマンガ史においても父のような存在だった」と書いた通り、現代に通じる近代漫画の礎と言われる何人かの作家は福沢諭吉と深いつながりがある。

例えば先の「田吾作と杢兵衛」を書いた北沢楽天は1896(明治29)年に福沢諭吉と知己を得たという。福沢は北沢楽天に漫画で生きていくよう諭し、横浜の英字新聞「ボックス・オブ・キュリオス」を紹介。同社に漫画記者として入社することになる。

「田吾作と杢兵衛」(北沢楽天)
「田吾作と杢兵衛」(北沢楽天)

その3年後の1899(明治32)年、北沢楽天は福沢諭吉が社主をつとめる時事新報で時局漫画を描き始め、1901(明治34)年には時事新報に請われて入社。絵画部の担当となり、「田吾作と杢兵衛」などを紙上に掲載していくことになる。それまで「ポンチ絵」「おどけ絵」などと呼ばれていた風刺画を、セリフなどの文字情報もふんだんに使い、ストーリーのある「漫画」へと昇華させていった。

そう。ビアホールをテーマとした「田吾作と杢兵衛」は、ビール大好き福沢諭吉が社主をつとめる時事新報に掲載された作品であり、作者の北沢楽天は福沢諭吉によって漫画の素養を見出され、才能を開花させた。福沢諭吉は現代日本の代表的な大衆文化、ビールとマンガの父……と言うのは若干言いすぎかもしれないが、少なくともマンガの父ではあり、前回紹介したようにビールを広めるのに一役買ったのは事実なのだ。

ちなみに福沢諭吉は北沢楽天のほかにも「漫画」描きを育てている。日本で初めて「漫画」という言葉を使い、時事新報で挿絵や風刺画を描いていた今泉一瓢である。実は今泉は、福沢諭吉の甥(妻・錦の姉の長男)であり、彼もまた福沢の勧めによって画業の道に進んでいた。しかも、北沢楽天よりも数年早く時事新報に風刺画を描いている。福沢は大衆が何を求めているかを見抜く目利きであり、優秀なマーケターだったのだ。

「食」にまつわる作品は今泉も残している。

「一瓢雑話」より
「一瓢雑話」より

オチは現代の衛生観念から考えると「ありえないから、かえって笑える」ように映るかもしれないが、公衆衛生という考え方自体がいまほど行き届いていなかった当時、果たして主と使用人が同じ公衆衛生觀を共有していたか。一枚の絵を読み解くには、当時の世相や明治維新以前の身分制度なども加味していく必要がある。明治の中期にはまだ階級ごとのリテラシーの差は厳としてあった。

元祖炭酸水の「平野水」とは何か

世相を映し出すのがマンガなのは、昔もいまも変わらない。公衆衛生にまつわる作品は北沢楽天も残している。

まずこの絵を見ていただきたい。

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編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

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