《2024ドラフト候補》NPB入りして故郷・能登に明るいニュースを! 川﨑俊哲(石川)、5年目の決意
■故郷での凱旋試合で大活躍
振り抜いた打球はぐんぐんぐんぐん伸び、ライトフェンスをまたいだ。
先制の第3号3ランを放った川﨑俊哲選手(日本海リーグ・石川ミリオンスターズ)は、ダイヤモンドを回りながら右拳を高々と突き上げた。
1月1日に起こった能登半島地震。その復興を祈念し、9月16日のリーグ最終戦は珠洲市営球場で開催された。隣の輪島市出身の川﨑選手は4番に座り、「地元なんで、やっぱり試合に懸ける思いが違った。少しでも勇気づけられたらいいなと思って、全力でプレーしました」と件の本塁打を含む3安打と気吐き、守備でもイキイキと躍動した。
「知り合いも来ていたし、連絡もいろいろもらいました。『やるやん!』って言われましたね(笑)」。
まだまだ野球を観る余裕などない人も大勢いるだろう。もちろんそれは重々承知しているが、少しでも気持ちが伝わればと、そんな思いを込めて故郷の空にアーチを架けた。
■能登半島地震、そのとき・・・
「怖かった…」。思い出すと身震いする。
1月1日、午後4時10分。川﨑選手は実家近くの小学校の校庭で、兄・公一朗さんと自身の友人の3人で野球の練習に汗を流していた。そのときだ。大きな揺れに立っていられなくなった。
「20メートルのシャトルランくらい揺れていました。ずっと反復横跳びしているみたいな感じっていうのかな。だいぶ長かったし、怖かったです」。
やや落ち着くのを待って家に帰った。幸い家は築浅であったため、倒壊するようなことはなかった。しかし携帯の電波が届かず、友人や知人の安否確認ができないばかりでなく、自身の無事を報せることもできなかった。ひとまず高台に避難し、そこで夜を過ごした。ようやく球団スタッフなどに連絡できたのは、3日ほど経ってからだった。
「食事はおせち料理があったんで。餅もね。あとは山水を汲んできて、カセットコンロで沸騰させてカップラーメンを作ったりとか、サバイバル生活みたいな状態でした」。
ライフラインは完全に途絶えていた。
しかし、そんな中でも父・哲史さんは「こっちは大丈夫だから、お前は野球をしろ」と、金沢へと送り出してくれた。家族と離れることは「めちゃくちゃ不安でした」と後ろ髪を引かれたが、応援してくれる気持ちに応えたいと、父の言葉に背中を押されて実家を後にした。
■岡崎太一監督との出会いで成長できた
そんな特別な思いで臨んだ5年目のシーズンだ。独立リーグで在籍5年というのは、かなり長い部類になる。
「大卒1年目の年だし、まだ全然やれると思ったんで続けました。過去のNPB戦でも結果を出してきていたんで、チャンスはまだあると思ったし、諦めてはいなかったですね。それに体の状態もよくなってきて、上でも通用すると思っています」。
今年こそ絶対にNPBに行くんだと、決意を新たにして5年目を迎えた。
そんなとき、新しい監督が就任した。阪神タイガースから派遣された岡﨑太一監督だ。岡﨑監督との出会いによって今年、より成長できたと感謝する。
「野球に対して取り組む姿勢も教わりました。当たり前のことなんですけど、道具を大切に使うとか、全力でプレーするとか。あらためて、そういうことが大事なんだなって思いました。監督もそういう姿勢でされているんで」。
初心に帰るというのか、「当たり前のこと」を徹底したという。また、ミスをしたあとの切り替えの仕方も岡﨑監督から学んだと語る。
■目から鱗
今年、自分でもかなり手応えを得たのがバッティングだ。「パンチ力が上がった」と自覚し、その上で岡﨑監督のアドバイスも効力を発揮した。
「今年は初球から積極的に打ちにいって、追い込まれたら厳しい球をカットして甘い球だけをとらえるというのを意識していたんですけど、なかなかその対応ができなくて…。僕、真ん中からインコースに来るスライダーが苦手で、まずそれを監督に伝えたら『別にフェアゾーンに入れなくていいから』って。全部カットしてファウルにして、そういう球を投げさせない。そして打てる球を待つ。駆け引きですかね。監督はキャッチャー目線で、バッターの反応の話とかもしてくれたんです」。
打者主導でカウントを作っていく術を、わかりやすく伝授してくれたという。
■代打から9番、やがては5番に
肩のコンディショニング不良で、開幕戦はスタメンから外れた。「正直、めちゃくちゃ悔しかったです」と吐露する。だが「肩が痛くても、バッティングと足の状態は抜群だったので、そこでなんとかしようという思いでいました」と、代打からスタートしたシーズンだった。
代打の2試合で2打数1安打、2四死球に2盗塁と、言葉どおり“なんとか”し、3試合目からはスタメンに名を連ねた。
当初は9番だった。川﨑選手にとって馴染みのない打順だが、「監督が、その意図を説明してくれました」と明かす。
「9番って、ランナーがいる確率が高いから、『お前が還してくれると思ってるから』という言葉をもらって、僕も納得しました。その仕事もだし、ランナーがいなかったら1番につなぐバッティングも必要になる」。
さまざまな状況に対応できると見込まれてのことだと理解し、意気に感じて打席に立った。
たまに6番や7番を打つこともあったが、8月11日からは5番に上がり、12試合連続でクリーンアップの仕事を全うした。
「やっぱりランナーのいる確率も高いし、監督が期待してくれているんだなと思って、そこでもしっかり仕事はできたと思います」。
モチベーションが爆上がりし、どの役割もやり通せたと胸を張る。
■走塁と守備
盗塁も今年は15コ記録した。刺されたのはわずか3コで、盗塁成功率.833は非常に高い数字だ。
これも「監督に『積極的にいけ』と後押しされたから」だという。グリーンライトを与えられ、常に積極的にスタートを切ることは意識していた。
「ピッチャーの癖もよく見ました。チームでも話し合いますし、監督からも一言二言もらって、タイムも計って…。そういうので、けっこう走れましたね」。
一旦大きくした体を今年は少し絞ったことで、よりスピードに乗れた。
守備でも送球が格段によくなった。もともと肩には自信があるのだが、高めに浮くことがあった。しかしそれもなくなり、安定するようになったのだ。「周りの人からも『足の運びがよくなったから、送球が安定してきている』って言われますね」と笑顔を見せる。
高めに投げないように意識するのはもちろんだが、ノックで遅い球を打ってもらい、しっかり足を使って捕る練習を重ねたことで、足の運びがよくなったのだろうと自己分析する。
それだけに、シーズン序盤のエラーを悔やむ。捕球ミスだ。
「簡単なミスがめちゃくちゃ多かった。正面の打球で、ちょっとバウンドが合わなかったり、足が止まってしまったり…。あれは対処できましたよね」。
エラーの数は8コだが、そのうち5つは5月に、2つは6月に記録している。だが以降は、9月の1失策のみで「一歩目を素早く前に出られましたし、迷いが少なかったと思います」と、ほぼノーエラーである。
■意識の変化が行動にも表れた
NPBに行くという思いは年々膨らみ、それとともに取り組む意識も変わってきた。体も入団したころと比べると現在は81~2キロと約10キロも増量し、打球を飛ばす力に直結している。
昨年は少し重さを感じ、今年はより動けるようにとやや落とした。これがキレやスピードにもつながった。
精神面も今までとは違う。これまでを「年齢も下だったんで、ちょっと甘えとった部分もあったかもしれないです」と省み、今年は「年齢も高くなったし、頼ってばっかりじゃなくて自分から引っ張っていかないといけないなっていう気持ちは強く持っていました」と、率先してやろうという意思で動いた。
それは自然と行動にも表れる。たとえば守備に就いているとき、マウンドに行ってピッチャーに声をかける頻度は明らかに昨年までより増えたし、その表情も頼もしく見えた。
「今までより、めちゃくちゃ意識しましたね。キャッチャーが1試合に3回までしか行けないんで。キャッチャーだけに頼ってもいけないし、ショートは守備の要でもありますし。間の取り方が重要。監督も『ピッチャーは孤独だから』って言われているので、ピッチャーをひとりにさせないことが大事かなと思っています」。
ピンチになるとマウンドに行き、間を取ってピッチャーを落ち着かせる。プラスになる声をかけて、「一緒に戦っている」という気持ちを共有する。それは自分の役目だと心得てやってきた。
そのような自分が引っ張っていくという強い気持ちが「ちょっとは結果にも出たんじゃないかなって思っています」と自負している。
■兄の影響で野球を始めた
「お兄ちゃんが小学5、6年のとき、年中とか年長さんの僕はずっとついて行ってました」と6歳上の公一朗さんに倣って遊び感覚でやっていた野球を、小学1年から本格的に始めた。3年生から二遊間を守り、中学は部活の野球部でショートに就いた。
高校1年はサードで始まり、その年の夏にショートに、2年夏からはピッチャーになった。ただしピッチャーが主ではあるが、ショートも兼務した。3年になっても変わらずだ。
しかし、ミリオンスターズには内野手で入団した。「ピッチャーはもう無理だなって思いました。球も141キロくらいで、そんな速くなかったですし」と自らショートを希望した。
「やっぱり肩に自信あるし、遠い距離だって投げられますし、ショートって華のあるポジションだと思ってるんで」。
ショートでNPBを目指そうと、腹をくくった。
■能登半島に明るいニュースを届けたい
入団5年目の今年は、なんとしてもNPB入りの夢をかなえるつもりで取り組んできた。今後、川﨑選手はさらにバッティングを磨いていきたいと意欲を燃やしている。
「走攻守そろった選手が一番いいと思うんですけど、やっぱり一番自信あるのがバッティングなので。NPBの選手と比べて長打は少ないけど、速いまっすぐに対しての対応力は負けていないと思っています。それと、状況に合わせてバッティングスタイルを変えられるというのも。バッティングをもっと魅力的に仕上げていきます」。
NPBの剛腕投手たちとの対戦を思い描き、心を躍らせている。
故郷の能登半島では、元日の大地震に続いて先月には豪雨に襲われた。「家から一番近いコンビニが半分くらい水に浸かって…。僕の知っている町がすごいことになりました」と実家から送られてきた画像を見て、甚大な被害に様変わりした故郷の町の姿にショックを受けた。
「暗いニュースばっかりだったんで、なんとか僕が明るいニュースを届けたい」。
これから先、自分に何ができるかはわからない。けれど今、NPBへの夢をかなえることはきっと、地元に光を灯すことになる。
運命の10月24日、川﨑俊哲は能登の人々に笑顔で吉報が届けられることを願っている。
(本文の写真の撮影は筆者)
【川﨑俊哲(かわさき としあき)*プロフィール】
2001年5月2日(23歳)
173cm・82kg/右投左打
輪島高校
石川県出身/内野手/背番号1
【川﨑俊哲*今季成績】
39試合/打席151/打数117/安打33/二塁打2/三塁打5/本塁打3
四球27/死球5/三振25/犠打0/犠飛2/併殺打4
打点25/得点24/盗塁15/盗塁死3/失策8
打率.282/出塁率.430/長打率.462/OPS.892