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怪作『トラペジウム』に集まる「主人公がクズ」評──幼さと狡猾さが同居する「性根ガッサガサ」のリアル

松谷創一郎ジャーナリスト
『トラペジウム』劇場フライヤーより。

傑作や駄作を超える〝怪作〟

 ときどき、まったく共感できない主人公の映画に出合うことがある。しかも主人公が悪役などではなく、得体の知れない人物のケースだ。

 たとえば、20世紀初頭のアメリカで油田を掘り当てて一獲千金を狙う中年男性を描いた『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)。あるいは、ハンバーガー店・マクドナルドを創業者から乗っ取るビジネスマンを描いた『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(2017年)。

 彼らに共通するのは、みずからの欲望をひたすら押し進めることだ。それゆえ野蛮だったり狡猾だったり下品だったり、共感できるところはとても少ない。しかしそんな人間だからこそ興味深く凝視してしまう。「貪欲」との表現をはるかに超える得体の知れない欲望を彼らが見せるからだ。

 5月10日に公開された『トラペジウム』も、そういうタイプのアニメ映画だ。ただこの作品が奇妙なのは、主人公がアイドルを目指す女子高校生であることだ。観る者の多くは彼女に共感することなく、むしろ「クズ」と評する声ばかりが目立つ。

 そんな『トラペジウム』は、簡単に傑作とも駄作とも言い切れない。完全に〝怪作〟の部類の映画だ──。

好感度UPのためのボランティア活動

 『トラペジウム』の主人公は、高校1年生の東ゆう(声:結川あさき)。冒頭から、彼女は他校を回って可愛い女の子に声をかけて仲良くなる。市の南側の学校ではお嬢様の華鳥蘭子(声:上田麗奈)を、市の西側の高専では大河くるみ(声:羊宮妃那)と知り合う。

 その行動は最初から東の計略だった。彼女の目的は、市の東西南北の学校からひとりずつスカウトし、4人組のアイドルグループを作ること。実はそのために自らスカウトに赴いていた。そしてほどなく、北側の高校に通う亀井美嘉(声:相川遥花)とも出会う。

 こうした展開からは、大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』(1992年)をまずは連想する。それは1960年代の男子高校生が、メンバーを集めてロックバンドを結成する青春物語だった。その現代版だからアイドルなのかな──と、一瞬思う。しかし、その予想はすぐに覆される。

 なぜなら主人公の東が非常に計算高く、物事を損得でしか考えないからだ。他の女の子たちに近づく際も、自分の目的(アイドル活動)を隠している。まずはとにかく4人と仲良くなっていっしょにメディア等で目立ち、そしてアイドルグループを結成して人気を得る計画を密かに抱いている。

 そのとき東は手段を選ばない。メンバーのひとりがやっているボランティア活動に参加するが、彼女にとっては目的のための手段でしかない。それゆえ、車椅子の子どもとの山登りボランティアでは、4人が別々のグループにされたことに不満を隠さない。彼女にとってのボランティアは、4人でいっしょに活動する事実をSNSに残して好感度を高めるためのPR、つまり「いいひとアピール」でしかないからだ。

 山頂で振る舞われた食事をもらうときにも、東は謝辞を発することなく無言で受け取り、その味噌汁にアリが混入していたのを見て「水死って辛いよな」とつぶやいて捨てる。彼女の性根が見事に表されるシーンだ。

腹黒く、性根ガッサガサ

 その後、テレビ番組に出演することとなり、4人は「東西南北(仮)」というグループ名でアイドル活動をするようになる。芸能プロダクションにも所属し、いよいよ活動も大きくなっていく。東の計画は順調に進む。

 しかし、そのときにメンバーのひとりである美嘉のSNSの裏アカウントが発覚。そこには恋人と交際3周年を祝う写真が投稿されていた。ボランティアなどでイメージ戦略をしてきた東の目論見は完全に狂う。

 すさまじいのは、このときの東の態度だ。「チッ!」と舌打ちをし、そしておいおい泣く美嘉に対してこう言い放つ。

「聞いてない。彼氏がいるんだったら、友だちにならなきゃ良かった」

 一時が万事、東はこの調子だ。自らのエゴを達成するためには手段を選ばず、他のメンバーたちも目的のための道具のようにしか見ていない。「クズ」と評されるのも、繰り返しこうした言動が描かれるからだ。

 『トラペジウム』は、アイドルを目指す女子高校生を主人公とするキラキラした青春アニメ映画でもなんでもない。腹黒くて、性根がガッサガサで、損得勘定ばかりする若者のリアルを描いた〝怪作〟と言うほかない。

幼さと狡猾さの奇妙な同居

 この東ゆうのキャラクターはとても生々しい。「共感」が必要されることの多い現在の日本映画では、こういう作品はとてもめずらしい。観る側が共感できるところがなかなか見つからないからだ。

 一般的に若者が不義理をしてしまうことはままあるとしても、むしろそれは後先考えずにしてしまうことばかりだ。そこに打算はない。若者がゆえの感情的で幼い行動は、多くのひとが抱える黒歴史だろう。

 しかし、東はそういうタイプではない。彼女はしっかりと計画を練っており、すべて損得を基準に判断する。感情的で刹那的な若者ではなく、冷徹で狡猾な山師だ。

 だからこそ、その存在性は現代的なリアリティを醸し出す。彼女は破天荒なサイコパスでも、経験を積み重ねた老獪な中高年でもなく、アイドル志望の高校生だ。それはSNSの「いいね」を軸とする情動経済を所与とし、コスパを基準に物事を判断することを自明として育った、新しいタイプの若者を感じさせる。つまり、Z世代のネガティヴタイプだ。

 そう感じられるのは、アイドルを目指す彼女の動機やその背景があまり描き込まれないからでもある。作中で彼女は動機について極めてシンプルに話す。

「初めてアイドルを見たとき思ったの。人間って光るんだって/それからずっと自分も光る方法を探してた」

 これだけと言えばこれだけだ。彼女はこの信念で周囲を計画的に巻き込んで猪突猛進していく。実はオーディションに落ち続けてきた彼女にとって、他のメンバーは「アイドル計画:プランB」のツールなのである。

 そうした思考回路は、たしかに独我論的な自己中心的意識からなるものではあり、そう捉えればたしかに幼い。しかし、その一方で彼女はものすごく計算高い。幼さと狡猾さの奇妙な同居──このへんがとても現代的で、そして彼女が「クズ」と評される要因だ。

 ただそんな東は、決して「性根が腐った」という感じではない。なぜかといえば大した屈折や挫折が感じられず、もともとこのように育ってきているようだからだ。だからこそデフォルトで「性根がガッサガサ」と感じる。

 この作品の面白さは、間違いなくこの主人公のリアリティにある。誤解を恐れずに言えば、クズをクズとしてしっかり描いたことが最大の魅力だ。

主人公とオーバーラップする現実

 もうひとつこの映画の背景として興味深いのは、この原作小説が元乃木坂46の一期生・高山一実によって書かれたことだ。けっして彼女の自伝ではなくフィクションだが、原作にも見られる若者描写は極めてリアルだ。高山の経験的な観察力から生まれた作品だと考えられる(※)。

 そして同時に思い出すのは、先日炎上したある元乃木坂46のメンバーのことだ(名前はあえて記さない)。情報番組に出演したそのメンバーは、イスラエルのパレスチナ侵攻に反対する学生デモを伝えるニュースにおいて、「せっかく入った難関大学を退学処分になる可能性もはらんでいる中で、デモの有効性ってどこまであるんだろう」とコメントして、物議を醸した。

 高山と同時期に活躍したそのメンバーの論理的思考能力の高さは、以前から筆者もテレビ番組で観て知っていた。実際に難関大学の出身だ。だからこそ、倫理観や正義感よりも目先の打算を優先させたその発言からは、得体の知れないパーソナリティが伝わってきた。それは東ゆうの姿と確実にオーバーラップする。

 そしてなにより『トラペジウム』が不気味なのは、主人公たちが目指す先がキラキラした(と見なされている)アイドルであることだ。アイドル界隈の裏話を軸とする『【推しの子】』の大ヒットもあったが、そこでは既存の仕組みをいかに攻略するかが描かれている。

 それは秋元康がプロデュースする48グループや坂道グループが大ブレイクした2010年代に強まった傾向だ。実際にある48グループのメンバーは、過去に以下のような投稿をして注目された。

「仕事とは、真面目にやってる人が成功するんじゃなくて、うまくやってる人が成功するんです」

 たとえアイドルでも、K-POPのようにグローバルに訴求する音楽(パフォーマンスや楽曲)が基準であり目標であれば、こうした発言は出てこない。音楽から遠く離れてしまった日本のアイドル市場で一定のパイをめぐり感情労働として競い合うからこそ、「うまくやる」ことをアイドル志望者が自明の理としてしまう。

 そしてもはやその界隈には、そうした者を諭すことのできる元AKB48の高橋みなみや高橋朱里のような存在もいない。さらに言えば、現在はそうした日本のアイドル状況に魅力を感じない者は、タヤマ碧のマンガ『ガールクラッシュ』でも描かれているように韓国に渡る(「スターを目指す若者たちは『韓国』に未来を見る──『NiziU』の快進撃」2020年7月9日)。

黒光りする〝怪作〟

 ネタバレになるので詳述はしないが、この作品はいちおうは綺麗にまとまって終わる。「キラキラ青春アイドルアニメ」としての体裁を保つことは目指されている。やはりそれは、この映画がソニーのレーベル所属の乃木坂46メンバーによる原作で、声優にも原作者や元乃木坂メンバーが参加し、製作しているのもソニー傘下のANIPLEXだからだろう。


 しかし終始そこに漂う不穏な空気からは、業界への強いアイロニーも感じられる。そして、宣伝側もこの作品の黒光りする〝怪作〟としての魅力におそらく気づいている。「夢への衝動と狂気が光る」とのコピーを多用するからだ。

 ただ、「狂気」ではまだオブラートに包まれているかもしれない。言葉を選ばずにこの映画にコピーをつけるなら「クズ・オブ・ザ・イヤー金賞受賞」あたりが適切だろう。

 「キラキラ青春アイドルアニメ」との雰囲気で公開されている作品は、記憶に残る〝怪作〟なのである。

※個人的な体験としても、幼稚さと狡猾さが同居する東ゆうのような若者には少なからず出会ってきたと記憶する。そして、概してそのタイプはふたつ。ひとつは名門男子校出身の高学歴男子大学生、もうひとつは駆け出しの女性芸能人だ(東はもちろんこの後者に近い)。両者に共通するのは、多様な価値観の存在を認識していない視野狭窄傾向と、状況追認ばかりする保守的な姿勢、そしてホモソーシャル下での生育環境だ。ただ、20~30年前はごく一部だったこうしたタイプが、いまはかなり一般層でも見られるようになってきたと感じる。おそらくその背景にあるのがSNSの浸透と、新自由主義経済がもたらした自己責任観である。狡猾な若者たちの増加は、のびのびと育つ状況を許さなかったからこそだ。つまり、大人の責任だ。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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