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沢尻エリカのための映画『ヘルタースケルター』──スキャンダルを丸呑みしたバケモノ女優の一撃

松谷創一郎ジャーナリスト
映画『ヘルタースケルター』公式Facebookより。

 今年2月、沢尻エリカが俳優に復帰した。2019年の不祥事から約4年ぶりに表舞台に戻ってきた。さまざまな言動が物議を醸し「お騒がせ女優」と呼ばれた彼女にとって、その不祥事はサヨナラ満塁ホームランを打たれたほどの致命的なものだった。しかし、彼女はカムバックした。
 そんな沢尻のキャリアにおいて、大きな転機になったのは2012年の映画『ヘルタースケルター』だった。21~26歳までの約5年間、仕事から見放されて彼女はこの作品の大ヒットで電撃的に一線に返り咲いた。
 今年の俳優復帰も約4年ぶりのこと。俳優として類まれなる実力を持つ彼女の大きな転機を振り返る(初出:朝日新聞社『WEBRONZA』2012年7月25日/一部加筆修正)。

岡崎京子、蜷川実花、上野耕路、戸川純

 岡崎京子のマンガ『ヘルタースケルター』は、美容整形をして人気ファッションモデルとなった女性を描いた物語だった。1996年まで連載されたこの作品が、90年代中期以降のガーリーフォトムーヴメントを牽引した写真家の蜷川実花によって映画化された。音楽は、80年代前半に戸川純をヴォーカルに据えたユニット・ゲルニカの上野耕路。パッヘルベルの「カノン」に詞をつけた戸川純の「蛹化(むし)の女」も挿入歌として使われている。

 岡崎京子、蜷川実花、上野耕路、戸川純──この映画にかかわったこうした固有名詞は、ひと昔前を生きたサブカル少女(/少年)たちにとっては、とてもなじみ深いものだ。それは1974年生まれのアスミック・エースの宇田充プロデューサーのセンスが発揮された結果の座組でもあるのだろう。

 もちろんそれだけでなく、浜崎あゆみが2001年に発表した「evolution」も挿入歌として使われている。公開後、この浜崎あゆみの起用は、岡崎京子ファンの元サブカル少女からしばしば批判の対象となっている。

 それは、過去に幾度も見られた光景でしかない。不思議ちゃんがギャルに敵意をむき出しにする、とてもわかりやすい構図だ。まさに1996年、アムラーはシノラーのことなど気にも留めていなかったが、同じ頃ファッション誌『CUTiE』では「コギャル撲滅キャンペーン」が起きていた。今回の浜崎あゆみ批判という現象は、いまだに自意識問題から解き放たれない元サブカル少女のその後が見えてくる。

 そもそも、美容整形を繰り返す主人公・りりこのイメージに近かったのは、90年代後半にブレイクした頃、しばしば「サイボーグ」と形容された浜崎あゆみだった。岡崎京子の言葉を借りれば、「ぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうね」──。

つながるサブカル作品

 『ヘルタースケルター』の単行本が刊行された2003年とは、当時20歳だった金原ひとみの小説『蛇にピアス』が発表された年でもある。この作品は、19歳の女性が舌をふたつに割り、全身にタトゥーを入れるなど、身体改造に惹かれていく姿を描いた物語だった。テーマ的には『ヘルタースケルター』と遠くない。

 そして、この作品が映画化されたのは2008年のこと。監督は、蜷川実花の父親で演出家の蜷川幸雄だった。映画『ヘルタースケルター』のクレジットで金原ひとみが「協力」としてクレジットされているのもわからなくもない。

 なんだか、いろいろな人物や作品が繋がっていく。しかもそれは、映画文脈だけにまったく収まることはない。80年代から2000年代前半にかけての、日本の女性向けサブカルチャーの中心となったものがさまざまに放り込まれている。

 が、しかし──。

 この映画からそうした印象を受けることは少ない。沢尻エリカが、岡崎京子も蜷川実花も、すべて無効化するかのような存在感を発揮しているからだ。これは、沢尻エリカの、沢尻エリカによる、沢尻エリカのための映画以外のなにものでもない。

現代を舞台とした「ビフォーの時代」

 主人公のりりこ(沢尻エリカ)は、全身整形を施され、トップモデルとなる。若き日の事務所の社長(桃井かおり)を模したりりこは、そもそも主体性を剥奪された存在だ。そして、その改造によって得られた“美”が、さまざまなメディアに露出されて広がっていく。主体性を剥奪された存在が、その代償として新たな主体性(=人気)を獲得していく構図だ。

 しかし、りりこの整形は日に日に崩れ、そのたびに再手術を余儀なくされる。機械のようにメンテナンスを必要とされる、まさに「サイボーグ」といった存在だ。

 たしかに原作が連載された95~96年の段階では、このモチーフは斬新だったかもしれない。当時は、コギャルが自らの記号性を操って街を闊歩していた頃だ。しかし、残念ながら人体改造といったモチーフは、いまやなんとも古く見える。

 2000年代中期以降とは、インターネットが進展し、誰もが能動的に露出できる時代だ。言うなれば、有名人と素人の境界が曖昧となり、だれの身体も容易くメディア化する。Twitterでは胸の谷間を見せるブームが定期的に生じ、ニコニコ動画では承認欲求の塊が自らの性をエサにアイドル気分を味わっている。女性たちの自意識を簡易に埋めるメディアは、いまや無数にある。

 いまやスターがたった一人のユーザーにTwitterで返信し、また、「会いに行けること」をテーマとしたアイドルがトップに君臨するのが現代日本だ。それを踏まえれば、雑誌やテレビを中心としてりりこの人気が明示されるのは、現代の描写としてはあまりにも古い。それは、1996年──つまりビフォーの時代の話でしかないからだ。

 この映画には、こうした作劇や時代考証の問題が無数に存在する。そもそも脚本が原作に寄り添いながらも、現代を舞台としている時点で、無理が生じている。登場人物がiPhoneを使いながらも、渋谷にルーズソックスをはいたコギャルがいる時点で、時代性を無効化する意図も見えなくはない。が、そうした社会風俗は、簡単に無効化することなど当然できないからこそ風俗であり流行だ。

すべてを吹き飛ばす沢尻エリカ

 が、そうした問題をどうでも良いこととして感じさせてくれるのが沢尻エリカの存在感だ。

 沢尻の存在について、多く説明する必要はないだろう。2007年、映画の舞台挨拶における「べつに」の一言でバッシングにあった彼女は、この映画の公開直前にも、『週刊文春』がスキャンダルをすっぱ抜いた。結果的に、スターのりりこを演じたはずの沢尻は、そのままりりこ本人に重なっていった。

 スターが、スキャンダルによってさらに注目を集めていく──『ヘルタースケルター』が描いたのは、大なり小なりいつの時代にも見られる現象だが、今回は期せずして(?)『週刊文春』の報道が重なった。これによって沢尻は「体調不良」を理由に(もちろん、そんなことは簡単に信じられないが)映画のプロモーションにも姿を見せなくなった。

 沢尻エリカは、若き日から注目された実力派の女優だった。端正な顔立ちだけでなく、『パッチギ!』などで見られたようにその演技力にはもともと定評があった。

 『ヘルタースケルター』では、そんな彼女の凄まじい演技が爆発している。不安と狂気が入り混じり本人も制御できなくなったりりこの感情は、沢尻の芝居によって見事に表されている。いや、逆にりりことは沢尻エリカのことだったと思わされるほどに。

2012年7月14日、東京・丸の内ピカデリーにて映画『ヘルタースケルター』の舞台挨拶に登壇する沢尻エリカ
2012年7月14日、東京・丸の内ピカデリーにて映画『ヘルタースケルター』の舞台挨拶に登壇する沢尻エリカ写真:Yumeto Yamazaki/アフロ

スキャンダルを丸呑みする

 沢尻エリカのスキャンダル性をいかに活用するか──それは創り手側も決して無視してはいない。ラストに近いクライマックスには、記者会見のシーンがある。これは原作にはなかった映画オリジナルのシーンだ。

 カメラを構えた多くの報道陣が際限なくストロボを焚く中、沢尻エリカ/りりこは記者会見に臨む。この報道陣は、みな同じスーツを着て、カメラで顔を隠している。その匿名的な多くの視線は、マスコミだけでなく、スターを取り巻く一般層も象徴している。そして、その後に起こるあの出来事とはつまり、沢尻エリカからマスコミや一般層に対する強いアイロニーを意味する。

 沢尻エリカは、おそらく今後もスキャンダルを生み出し、芸能マスコミは大騒ぎしながらそれを報道し、我々もそのニュースを大喜びで摂取するのだろう。しかし、そうした狂騒をも沢尻は呑み込んでしまう。

 『ヘルタースケルター』とは、このようにすべてを丸呑みするバケモノ・沢尻エリカを堪能するための映画である。

●2024年の追記

 この映画の後、沢尻エリカは見事に一線に復帰する。そもそも2007年の不祥事も法に触れるような内容ではなかった。周囲は若気の至りとそれを解釈し、2010年代は地上波ドラマでも主演として活躍する。

 だが2019年、薬物問題によって逮捕され、撮影が10話まで進行していた大河ドラマ『麒麟がくる』も降板。2007年とは比較にならないレベルの不祥事でふたたび姿を消した。

 今回は2度目の復帰だ。それは本人の意欲があるからこそではあるが、周囲が類まれなる俳優としての才能を彼女に見ているからにほかならない。4月には38歳となり、俳優としてのポジションもこれから変化していくはずだ。

 豊かな才能の持ち主が、かならずしも聖人であるとは限らない。アメリカでは不祥事を繰り返したリンジー・ローハンがスターの座から転落して、いまももがいている。沢尻エリカがふたたびスキャンダルを呑み込むかどうかは、大きな注目に値する。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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