【黒川案件】東京第6検察審査会のみなさま、ご苦労さまでした。しかし、議決書には違和感を覚えました。
■はじめに
東京第6検察審査会は、賭博罪や収賄罪で告発され不起訴処分となった黒川弘務元東京高検検事長について、賭博は「起訴相当」、収賄は「不起訴相当」との議決を行いました。
この議決書は、江川紹子氏が次のところで公表されています(以下、引用もこれに依ります)。
本件については審査会内部での議論も大いに紛糾したことが予想され、難しい判断だったと思います。本当にご苦労さまでした。しかし、議決書を読んで、私は違和感を覚えました。
■賭博についての考え
検察官と審査会の判断
検察官が不起訴にした理由はいろいろありますが、要するに本件麻雀が娯楽性が高く、射幸性も低い(いわゆる「点ピン」で、一人あたり一晩で数千円から2万円程度が動く程度)というのが主な理由でした。
これに対する審査会の判断は、(1)賭け金や賭け率(射幸性)が格別高いとは言えないが、(2)取材対象者と取材者との関係で行われ、私的な遊興とはいえず、(3)回数も月に2~3回の頻度であったし、(4)(自粛すべき)緊急事態宣言下でも行われていることから賭博に対する規範意識の鈍麻がうかがわれ、また、(5)黒川氏は当時東京高検検事の職にあり、違法行為を自制、抑止すべき立場にあったということことなどであり、これらを総合的に判断して起訴相当の結論に至ったとしています。
賭博の評価は流動的
賭博罪については、私は以前から立法論として刑法を改正して単純賭博罪の非犯罪化を行うべきだとの考えであり、今でもそれは変わっていませんが、本件についての問題の中心は、いわゆる点ピン麻雀が刑法185条の解釈として「賭博」に当たるのかどうかです。
(賭博)第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
形式的には、賭博とは偶然の事情によって財物の得喪を争うことをいいます。囲碁、将棋のように、技量によって明確な差が生じるものであっても、偶然を排除できなければ賭博に当たります。もちろん麻雀もそうです。ただし、刑法は、「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは」、賭博に当たらないとしています。これは、コーヒーとか、簡単な食事のように、価格も低く、その場で消費されてしまうようなものを賭けた場合です。金銭は、たとえ少額であってもこれに当たらないとする見解もありましたが、今では低額の金銭は「一時の娯楽に供する物」に当たると考えられています。そうすると、一人あたり一晩で数千円から2万円程度が動く「点ピン麻雀」は、金額の点で言えば必ずしも少額とは言えず、射幸性は高いといわざるをえません。
しかし、殺人や窃盗などのように具体的な被害者がいる犯罪と違って、賭博やポルノに関する犯罪などのように具体的な被害者が存在せず、健全な風俗や社会秩序の乱れが「被害」だと考えられているような犯罪では、犯罪としてのその評価は時代の影響を受けて流動的であるため、それを犯罪として立件し、処罰するかの判断に当たっては、当該行為に対する社会一般の評価が重要になってきます。
私自身は麻雀をやりませんし、「点ピン」といっても具体的なイメージが湧かないので、この点を賭博性が明らかな競馬と比較して考えてみたいと思います。
競馬と比較したら
競馬ファンは、いったいどれくらいの馬券を買っているのでしょうか。
日本中央競馬会(JRA)のサイトを見ると、馬券はネットで最低1000円から購入できるようですが、個人が馬券購入に使う金額の平均についての公式データは存在しないようです。ただ、私的に200人にアンケート調査をした結果が公表されており、それによると競馬ファンが競馬場に行くときに持っていく予算は、平均で〈約24,000円〉ということです。
なお、JRAだけでの年間の売得金(売上金)の総額は、直近の令和元年度で〈約2兆8000億円〉、総参加者人数が〈約1億8000万人〉であったということですから、単純に1人当たりで計算すると約15,000円ということになります。
もちろん競馬は合法な賭博で、賭ける金額の上限は無制限ですが(ただし、金額が多くなればなるほど配当金はゼロに近づきます)、このような数字からは、賭博で動く数千円から2万円程度のお金は社会的な許容範囲にあるのではないかと思われます。実際、麻雀好きの知人の話やネットでの書き込みなどから判断すると、どうも「点ピン」までは許容する意見の方が圧倒的に多いように思います。つまり、点ピン麻雀の、(道義性の問題はともかく)犯罪としての違法性は低いのだという認識を多くの人が持っているのではないかと思えるのです。
そして、合法な賭博での平均的な賭金の額は、賭け麻雀の許容性の限界にも影響を与えていると考えることができるのではないでしょうか。
2つのケース
ところで、先日(2020年12月23日)、岐阜市で賭け麻雀をしたとして書類送検された麻雀店の経営者ら6人について、岐阜地検が、「ごく限られた仲間内で行われていたのが明白であり、諸般の事情を考慮して起訴猶予処分が相当」として不起訴処分としたという報道がありました。実は、このときのレートが〈点ピン〉だったのです。
他方、以前ある漫画家が賭け麻雀で逮捕され10万円の罰金刑を受けたことがあります。この場合は、1時間で3万円ほどが動くいわゆる〈リャンピン〉(1000点200円)と呼ばれる、本件と比べて倍のレートでした。しかもそのケースでは、雀荘の売上の一部が広域暴力団に流れているとの情報があり、その一斉検挙の過程で発覚した事件だったと言われています。
この2つのケースの比較だけから単純に結論を出すというわけではありませんが、どうも過去のケースを見ていると、賭金が多額であり、バックに暴力団が絡んでいたりすれば別ですが、そうでない限り、実際には立件される可能性はほとんどないといえそうです。
検察官という立場
ただ、検事長という立場で〈点ピン麻雀〉をしていたということをどう考えるべきでしょうか。議決書も、黒川氏が「違法行為を自制、抑止すべき立場」にあったことを重要視しています。
確かに、犯罪を取締り、法を執行する立場にある者が「賭け麻雀」を繰り返し行っていたというニュースが国民に与えた衝撃は決して軽いものではありません。ただ、犯罪の重さは、行為者が侵害した結果を中心にして量るべきであり、法で定められたその犯罪に対する刑罰は、その犯罪を犯した者だれもが平等に受けなければなりません。一般の国民ならば処罰されるのに、特別な社会的地位にある者が、その地位ゆえに処罰を逃れるようなことがあれば、これほど不正義なことはありませんし、逆に、一般の国民ならば処罰されないのに、特別な地位にある者が、その地位ゆえに処罰されるようなことも同じく不平等な扱いになります。
改めて賭博が処罰されている理由をみると、「賭博によって国民の健全な勤労観念が害される」といった説明がなされています。重要なことは、ここには(賭博を処罰することによって)一定の社会的地位にある者の職責に対する信頼を守るといった要素は含まれていないことです。つまり、賭博を行った者が、会社員であろうと、公務員であろうと、弁護士や医師であろうと、大学教授であろうと、賭博によって侵害されたもの(勤労の美風)に軽重の区別はないはずです。それぞれの職責に対する信頼は、個別に定められた別の法律によって担保されています。黒川氏の場合は、その職責に対する信頼を裏切った責任は国家公務員法や法務省内部で定められている大臣訓令などによって対処すべき問題となります。
以上のような点から、私は議決書には、賭博罪という刑法の規定に対する過剰な、あるいは筋違いの期待が込められているのではないかと思いました。
■収賄罪についての考え方
検察官と審査会の判断
黒川氏は、麻雀が終わったあとで麻雀仲間の新聞記者からハイヤーで自宅まで送ってもらっており、これが常態化していたということです。
検察官は、これについて、「経済的な利益があったとしても僅かであることや、被疑者黒川が被疑者B(注:新聞記者)に取材の場を提供していたと評価できること、被疑者黒川の職務関連性を欠き、賄賂性が認められないことから、本件送迎行為について贈賄罪及び収賄罪の嫌疑がないと判断した」としています。
審査会も、「被疑者黒川の職務との関連性を認めることはできず、贈賄罪及び収賄罪の成立を認めることはできない。ただし、本件送迎行為は、被疑者Bにおいて現在又は将来の取材活動を円滑に進めるために継続的に行われていたものであり、短期間の本件送迎行為それ自体から何らかの便宜供与を求めるものでないからこのような評価になるだけであり、検察官の指摘の評価を全面的に是とするものではないことを付言する」として、検察官の判断は正当であったとしています。
収賄罪について
私は、この点に関する収賄罪の可能性についても前に詳しく説明していますので、ここでは論点を簡単に整理します。
収賄罪は、公務員がその職務に関して賄賂を受け取る犯罪です(送った側は贈賄罪)。単純な収賄ならば5年以下の懲役ですが、賄賂を受け取る際に具体的な依頼(請託)があれば、7年以下の懲役と重くなります。
(収賄、受託収賄)第197条1項 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の懲役に処する。
具体的なケースでは、渡った金銭などがその公務員の職務行為の対価(お礼)と言えるのかが問題になります。たとえば検察官が被疑者から金銭を受け取って事件を不起訴にしたといったような場合には、収賄になることは明白ですが、具体的に何が当該公務員の職務行為になるのかが不明確な場合が少なくありません。そのため、判例では、それが職務の公正さを害し、社会の信頼を傷つけると考えられるときに、「職務と密接な関係のある行為」(職務密接関連行為)にまで賄賂罪の対象を広げています。分かりやすい例を一つあげるとすれば、次のようなケースがあります。
- 大学設置諮問委員会の委員が中間審査結果を事前に知らせたという事案について、最高裁は「職務と密接な関係にある行為」だと認めています(昭和59年5月30日決定)。つまり、公務員が秘密を漏らす行為はもちろん職務ではありませんが、公務員には守秘義務が課せられていますので、秘密を漏らすことは職務と密接に関係するというわけです。
黒川氏の場合
以上の点を黒川氏について考えてみます。
まず、記者が支払ったハイヤー代です。検察官は「経済的な利益があったとしても僅かである」としていますが、報道によると、記者が会社のチケットで支払っており、年間にして100万円ほどになるということですから、「僅か」どころか、明らかに金額の点からは問題となる便宜供与だといえます。
問題は、このハイヤーによる便宜供与が、黒川氏の公務員としての〈職務に対する対価〉であるかどうかです。報道によると、黒川氏は帰りのハイヤーの中で実際に取材に応じることはあったということですが、審査会は、「本件送迎行為は、被疑者B(注:新聞記者)において現在又は将来の取材活動を円滑に進めるために継続的に行われていたもの」と認定しています。
かりに黒川氏がハイヤーの中で実際に取材に応じることがなかったとしても、送迎行為は捜査情報入手を円滑にするためともいえるものであり、職務関連性は決して薄くはないといわざるをえません。取材を円滑にするために、タクシーチケットを日常的に渡し、受け取っていたことと同じです。もしもこれが収賄にならないとしたら、たとえば特定の新聞社が事件報道について将来の取材活動を円滑にするために、刑事課に所属する刑事を毎日タクシーで送迎していても何も問題はないということになります。
審査会は、「短期間の本件送迎行為それ自体から何らかの便宜供与を求めるものでないからこのような評価になるだけであり、検察官の指摘の評価を全面的に是とするものではないことを付言する」と、何だか奥歯に物が挟まったような言い方をしています。
■まとめ
議決書を読んだ私の率直な感想は以上のとおりです。賭博は不起訴相当、収賄は起訴相当と、審査会の判断とはまったく逆になりました。
少し前ですが、現職の大臣が大臣室で多額の現金を受け取り、秘書は秘書で1000万円以上の接待を受けたという、有力政治家の威光を背景にした典型的な口利き事案が不起訴になりました。
さらに、先日もやはり現職の大臣(すでに議員辞職)が同じく大臣室で多額の現金を受け取った容疑で、東京地検が収賄容疑でその事務所を捜索しました。
このように汚職疑惑が絶望的に続くなかで、本件の収賄疑惑も審査会の判断で終結させるのではなく、起訴を促す決定をすべきだったのではないかと思います。(了)