おとり捜査の「おとり」はどこから調達されるのか―驚愕の実態―
わが国の薬物政策でもっとも憂慮すべきは、人が薬物を非医療的に使用するのは人格の弱さが原因だと考えられている点である。そのため薬物に対する厳しい対応や処罰こそが薬物使用を抑止し、社会へのまん延を防ぐという懲罰的厳罰主義こそが重要だといわれている。
また、このような人格的な弱みにつけ込む薬物密売人は、社会に対する重大な脅威であり、厳罰でもって対処しなければならないと考えられている。
このように薬物と犯罪(刑罰)は密接に結びついており、薬物に対する懲罰的厳罰主義は、薬物の怖ろしさを強調する公的なキャンペーンを通じて私たちの理解と対応を枠づける常識へと固まっている。
しかし、最近 note に掲載された次のおとり捜査に関する話(告発)は、このような厳罰主義の闇の存在を指摘するものであり、おそらくこれを読んで驚かない人はいないだろう。すべての人にとって、まさに驚愕の内容である。
本当にある怖い話 麻薬取締部の「おとり捜査」|Yuko Taniya
おとり捜査とは、麻薬取締官(いわゆるマトリ)が犯人検挙の目的で、自ら身分を隠しておとりとなって相手方(密売人など)にワナをしかけて近づき、麻薬の入手を申し込み、相手方が捜査官に麻薬を引き渡そうとするところを逮捕するという捜査手法である。
薬物犯罪は組織的かつ秘密裡に実行される犯罪であり、しかも窃盗や強盗のように直接の被害者が存在しない談合的犯罪であるために、このような捜査手法が用いられる。
麻薬及び向精神薬取締法(麻向法)第58条には、「麻薬取締官及び麻薬取締員は、麻薬に関する犯罪の捜査にあたり、厚生労働大臣の許可を受けて、この法律の規定にかかわらず、何人からも麻薬を譲り受けることができる。」という規定が置かれていて(他に、あへん取締法第45条、銃刀法第27条の3)、この条文がおとり捜査の法的根拠になっている。条文に「おとり捜査」という文言は出てこないが、この条文が一定限度においておとり捜査を許容する趣旨だと理解されている。
確かに、おとり捜査は相手をワナにはめるところから、国家自らが犯罪を誘発する側面があり、犯罪捜査における適正手続きの保障(憲法第31条)に反するのではないかという批判がある。しかし、学説も判例も、麻薬事犯の重大性に加えて、摘発の難しさから、麻薬の密売に関係していると合理的に推認される人物に対して、その意思を強制しない程度に、密売の機会を提供するかたちでワナにかけることは違法ではないとしてきた。
ところでこのようなおとり捜査が、捜査官以外の一般人の協力のもとに行なわれる場合がある。
たとえば組織に関係している人物、あるいは関係していた人物が、組織に反旗を翻し、組織を抜ける手段として捜査官に情報を提供し、自らも捜査協力者となって密売人の検挙に協力する場合などが考えられる。学説でもそのようなケースは想定されており、私人が「捜査官の手足と同様にみられる場合には、その行為は、捜査官の行為に準じ、適法」だとされている(千葉裕「麻薬及び向精神薬取締法」[注解特別刑法/医事・薬事編(1)〈第2版〉]1992年、92頁)。
しかし、「手足と同様にみられる」とは、具体的にどのような場合なのか、またなぜ一般の私人が捜査官に協力するようになるのかなどについての詳しい実態はよく分からないし、もちろん深い議論もない。
私もそうだが、おそらく一般の人びとも、マトリが自らをおとりにして命がけで捜査に当たっているものと思っていただろう。しかしよく考えると、全国で300名ほどの麻薬捜査官がおとりとなって捜査に当たればすぐに密売組織に顔が割れるであろうし、おとり捜査の仕組みそのものがすぐに行き詰まるはずである。したがって、おとり捜査においては、一般私人の「捜査協力者」の存在は不可欠なのである。
では、問題は、マトリはこの捜査協力者をどのようにして確保するのかということである。それについて、上記の記事は衝撃的な告発を行なっているのである。
一例をあげると、マトリには再犯を防ぐ部門と捜査を行なう部門があり、実はそれらが裏でつながっていて、情報が共有されているというのである。つまり、「薬を止めたい」とマトリに救いを求めて相談に来た人たちの情報が裏で捜査部門に流され、その人たちがおとりとなるようにマトリから強く説得されているというのである。救いの手を差しのべながら、他方の手で地獄に落とすようなものである。
上記の記事には、このあたりの事情が詳細に語られている。他にも、驚愕の事実が告発されているが、ぜひ実際に記事を読んで考えてほしい。そこに具体的なエビデンスは挙げられていないが、まさに当事者でなければ知りえなかったような内容が書かれている。
おとり捜査の真の問題は、ワナの仕掛け方にあるのではなく、それ以前のおとりの調達にあったのである。実務家法曹も含めて、われわれ刑事法学者は、おとり捜査の適法性についてなんとトンチンカンな的外れの議論をしてきたのであろうか。(了)